第154話:あなたの好きにしていいんですのよ?

 イリスさんの部屋は、ギルドの中とは思えない雰囲気だった。


 白を基調とした部屋で、水色の家具が印象的な少し大きめの部屋。

 休む用のベッドもあり、話し合う用のソファーもあり、仕事用の机もある。

 冒険者ギルドの統括らしく、棚には大量の書類がビッシリと詰まっていた。


 窓へ近付いてカーテンを閉めたイリスさんは、早くもベッドに腰を下ろす。

 一方、僕は部屋の扉を閉めた後、扉の前で突っ立っているだけ。


 女性の部屋という聖域に踏み込んだことにより、どうしたらいいのかわからないんだ。


「ボーっとしていないで、ソファーに座ったらどうですの?」


「はい。す、座ります」


 ササッと動いて、ソファーに腰を下ろす。

 リラックスできるはずもなく、ビシッと背筋は伸ばしたまま。


 どうしよう、何を話せば良いムードになるんだろうか。

 逆にもう服を脱いだ方がいいのかな。

 いや、それはただの変態になるし、イメージダウンに繋がりそうだ。


 緊張しすぎて何も考えがまとまらないため、無駄に沈黙が流れていく。

 情けないと思いながらも、イリスさんの方を向いて指示を仰ぐことにした。


「確か、報酬は1時間だけわたくしを好きにしていい、ということでしたわね。では、今から1時間としますわ。現場で指揮を執った後はいつも休みますから、しばらく誰もわたくしの部屋に入ってきませんのよ。何も気にすることはありませんわ」


 と言ったイリスさんは、足を組んで誘惑してきた。

 見た目は中学生のお嬢様なのに、足を組まれるだけで大人っぽく感じてしまう。


 好きにしていいと言われた以上、ムードもへったくれもないだろう。

 いきなり全裸になって襲い掛かっても、問題がないような雰囲気。


「ほ、本当にいいんですね?」


「いいですわよ、この部屋で起こったことは誰にも言いませんわ。あなたの好きにしていいんですのよ?」


 完全に同意しているだけでなく、誘ってくるパターンのやつ。

 こんな展開になって、男だったら避けることができるだろうか。いや、できない。

 己の欲望のまま突き進むのみ!


 僕の中に僅かに存在する、1%の男という猛獣の血が騒ぎだす。




 しかし、それ以上に存在する99%のヘタレの血が抑制を始めていく。

 その結果、自分から手を出すことができなくなってしまう。




 よく考えれば、僕は32年間も待ち続けた男。

 女性を好き勝手弄びたいんじゃない、女性に好き勝手弄ばれたいんだ。


 服を自ら脱ぎ捨てたり、女性の服を脱がしたり、欲望のまま体を欲したりするのは、雄だからできること。


 僕は雄を捨てた存在、ヘタレ。

 待ち続けることしか能がない男であり、襲うという言葉は僕の辞書に存在しない。

 子供という武器を使い、イリスさんにリードしてもらう形で卒業しよう。


 説得は得意なんだ、任せてくれ。


「子供なんで、リードしてもらってもいいですか? 子供なんで」


「報酬の内容と異なりますから、ダメですわ。あくまで報酬は、わたくしの体を好きにしてもいい、ということですの」


 不敵な笑みを浮かべるイリスさんを見て、僕は全てを理解してしまう。

 最初から彼女は、体を重ねるつもりなんてなかった、ということを。


 今思えば、イリスさんは若くして冒険者ギルドの統括を任される程の奇才。

 戦闘経験がないのに現場で指揮を執り、数々の高ランク冒険者達から信頼を得ているのは、優れた知性を持っている証だろう。

 依頼へ行くことになったのも、計算高いイリスさんの戦略で逃げ道を封鎖するように丸め込まれてしまったからだ。


 僕の考えが確信だと理解してしまうように思いだすのは、彼女の何気ない一言。



 『わたくしの人を見る目は確かですのよ』



 つまり、僕に襲われることはないと理解したうえで、報酬を提案していたんだ。

 女の子と目を合わせて話せないようなヘタレは、どこまでいってもヘタレなのだと。


 まさか、最初から最後まで彼女の手の平で転がされていたなんて。


 ずっと弄んでいただいていたということか!!

 本当にありがとうございます!!


「優秀な冒険者のデータは、全て頭に入れておりますの。あなたは頭の回転が速いですから、もう気付いたのではありませんこと?」


 気付いてしまいました、長期間に渡る弄びプレイをしてくれていたんですね。

 卒業できないことは残念ですが、言葉責めも大好物なんですよ。


「な、何のことですか?」


 自分の考えが正しいか確かめるため、あえて僕は誤魔化すことにした。

 ふふっと鼻で笑うイリスさんの姿を見て、背筋がゾクッとしてしまう。


「とぼけても無駄ですのよ。あなたは嘘を付く時、左の頬が少しだけピクッと動く癖がありますの。もっと言えば、瞬きの回数が通常時の1,8倍に増えますわ」


 えぇーーー?! 早くも知的なデータプレイで逃げ道を封鎖してくださるんですか?

 僅かな期間で僕のことをじっくり見ていたことが嬉しくて、心臓がビートを刻み始めましたよ。


 第2の妹に個人データを管理されるという、未知の束縛プレイ。

 謎の高揚感に体が支配され、イリスさんの言葉責めを求めてしまう。


「じゃ、じゃあ、今まで僕がどんな嘘をついたか教えてください」


「そうですわね、今日だけでも随分嘘が多かったように思いますわ。ワームとの戦闘中にわたくしが問いかけた時、返ってきた答えはほとんど嘘だったように思いますの。倒す自信があったようですから、そのままにしましたけど」


 や、やだー。恥ずかしい。

 妹に心を全て見透かされ、思い通りに動かされている感覚が堪らない……。

 もっと手の平でコロコロ転がされて、言葉で弄ばれたい。


「これはわたくしのカンですが、帰り道でマールと話していたこともほぼ嘘ですわね。どうやって魔物を操ったのかわかりませんが、幻覚作用はなかったと思いますわ」


 表情なんて見なくても、何もかも全てお見通しってことですね。

 言わなくても伝わってしまう、これが以心伝心ってやつですか。

 僕が弄ばれたくて仕方ないことも、充分伝わっているに違いない。


 報酬は、イリスさんの体を好きにすること、ではなかったんですね。

 僕の性癖を理解したうえで、手の平で転がしてあげる、ということだったとは。


 ありがたく報酬を頂戴し、プレイを楽しんで弄ばれよう。


「そうですか、うまく騙せたと思っていたんですが。冒険者ギルドには色々貢献していると思いますから、深く詮索しないでください。どこで誰に聞かれるかわかりませんので」


「もちろんですわ。アイテムボックス持ちにどんなスキルを持っているかなんて、口が滑っても聞けませんもの」


 いえ、実は32歳のオッサンだとバレたくないんです。

 見た目は子供でも、僕はイリスさんの4つ上ですからね。

 深く詮索されて、子供に若返ったことを知られたくありません。


「でも、1つだけわからないことがありますの。それだけ聞いてもよろしくて?」


 ここまで完璧に僕のことを理解してくださっているのに、それでも聞きたいこと。

 頭の回転が速い知的キャラに目覚めている僕は、すぐにポンッと理解してしまうよ。


 第2の妹であるイリスさんは、兄である僕を騙したことに罪悪感を感じている。

 街を守るためとはいえ、虚偽の報酬を提案してしまった自分を責めているんだ。

 本当の報酬が言葉責めだったとしても、体で払うことと比べてしまうと、明らかに価値が伴っていないからね。


 少しずつ落ち込むような表情に変わっているのが、その証拠。

 ポーカーフェイスを装っても、お兄ちゃんはすぐに気付いてしまうよ。


 正直、普通の人なら気付かないレベルだろう。

 でも、無表情のスズと過ごし続けた僕にとっては、どんな些細な変化も逃さないよ。

 ましてや、妹であったら逃すはずもない。


 手の平で転がしてあげる、という報酬とは別に、違う報酬を渡して機嫌を取りたいんだろう。

 僕は充分な報酬だと思うけど、イリスさんは罪悪感でいっぱいになっているから。


「報酬のこと……ですか?」


 驚くような顔に変わったイリスさんは、深くため息を付いてしまった。


「気付かれてしまうなんて、わたくしもまだまだですわね。では、教えていただいてもよろしくて? どうして報酬が嘘だとわかったのに、あなたは喜んでいますの?」


 ……何を言っているんだろうか?

 報酬は手の平で転がしてもらうこと……いや、計算高いイリスさんのことだ。

 これが新たな追加報酬なんだろう。


 あえて声に出して言わせ、その後に罵倒するという作戦。

 やっぱり優しいな、我が妹は。

 お兄ちゃんは罵倒プレイも大好きだぞ。


 でも、自分の性癖を声に出す勇気は持てないから、許してほしい。


「言わせないでくださいよ、恥ずかしいじゃないですか」


「気になりますから、言ってくださいな。あなたは今頃になって、わたくしを襲うような勇気を持つ人ではありませんわ。ヘタレの中でもドがつくほどの、ドヘタレですもの」


 どう転んでも罵倒してくださるんですね。

 お嬢様のような可愛い見た目ということもあり、非常に魅力的でございます。

 一時は後悔しましたが、本当に依頼を受けて良かったです。


「い、言えませんよ。も、もういいですから」


「よくありませんの、気になるとイライラしてしまいますわ。ヘタレすぎて、女の子と会話することが嬉しいんですの? こんな短期間の間で、わたくしのことを好きになりましたの? ハッキリ言いなさいな。罵倒される趣味を持ってるわけでも……」


「こ、声に出さないくださいよ。恥ずかしいじゃないですか、もう」


 照れて顔の温度が上昇する僕とは違い、イリスさんはポーカーフェイスで隠しきれないほど顔が引きつっていった。


 罵倒プレイはもう終わってしまったんだろうか。

 ドン引きされるのは性癖的に受け付けないので、やめてほしいんですけど。


「人それぞれ……趣味は違いますわ。い、良いと思い、思いますわよ。おほ、おほほ、おほほほほ」


 何だこの違和感は。

 知的で全て計算していたイリスさんが、挙動不審になるほどわかりやすく取り乱している。


 もしかして……、


「あの、本当に知らなかったんですか?」


「え、えぇ、知りませんでしたわ。知的な方だと報告を受けていますので、どこまで頭が回るのか確認したかっただけなのですが。えーっと、わたくしも体を重ねるのは困りますが、ば、罵倒で喜ぶのであれば、おて、お手伝い、しま、しましょうか?」


「いえ、あの……大丈夫です。無理して罵倒されても、困りますし」


「そ、そうですわよね。なんだか、本当にあの、申し訳ありません……わ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る