第149話:イリスの計算

 解体場に戻ると、マールさんがいつものようにティアさんを眺めていた。

 いつもと同じように、僕は付き人として隣に腰を下ろす。


「イリス様はなんて言ってたの?」


「え?! あ、うん。巨大ワームのことで意見が聞きたいって」


 ど、どうしよう。

 ワームの討伐に参加することになったなんて言いにくい。

 動機はイリスさんの体目的だし。


「この間も言ってたもんね。グアナコから来る時も、ラクダ車がいっぱい停滞してたでしょ? あれも冒険者ギルドから通行に規制がかかってたんだよね。多分、巨大ワームが影響してると思うんだ」


 そんな前から危ないことがわかってたんですか。

 おそらくイリスさんは本気で国を捨てる覚悟があったんだろうな。

 入場制限をかけて、もしもの時に逃げる人数を少なくしていたに違いない。


「そ、そうですね。襲われたら危ないですからね」


「砂漠には優秀なAランク冒険者達が多いから、長引くのは珍しいんだけどね。こういう時は一斉召集がかかって、一気に決着を付けることが多いんだよ。ボクが住んでた時からそうだったもん。でも安心して、フリージアと違ってみんな強いからね」


 安心できないですよ、すでに1回やって失敗してるんですから。

 第2回目の一斉召集で、近隣の街の冒険者まで集めるという大掛かりになっているんです。

 戦力外の醤油戦士まで選ばれるという波乱の幕開けですよ。


 だ、ダメだ。引っ張れば引っ張るほど言いにくくなる。

 早く言った方が楽になるパターンのやつ。

 もう言おう、せーので言おう。せーのっ!


「マーr「できたー、ようやくブリリアントバッファローの解体に慣れてきたよ」」


 勇気を振り絞って言おうとした時に限って、誰かと声が被るパターンのやつ!!

 言おうとしてた気持ちがバキッて折れましたよ。


 オレンジだって果汁を搾り切った後には、生ゴミしか残らないんだ。

 勇気を振り絞った後の僕なんて、もうただの変態だからね。


 すぐに追加のブリリアントバッファローを取り出すと、ティアさんは嬉しそうな顔で作業に戻っていく。

 レフィーさんと同じように、ティアさんも本当に解体が好きなんだろう。


「ねぇ、さっきボクに何か言いかけなかった?」


「い、いえ、何も」


「そう? それならいいんだけど」


 どうしよう、今になって浮気をしてるような気分になってきた。

 リーンベルさんにスズ、フィオナさんがいながら、イリスさんの体に走ろうとしているんだもん。

 最近はマールさんとティアさんの体を見てずっと喜んでいたのに、なぜ今になってこんな感情を抱くんだろうか。


 正当な依頼の報酬という形で、イリスさんのお体を1時間ちょうだいするだけ。

 両者ともに合意しているんだから、犯罪でも何でもない。

 夜のお誘いなんて、これを逃せば一生ないかもしれないのに。


「あれ、イリス様? またどうしたんですか?」


 マールさんの言葉を聞いて、バッと勢いよく振り向いてしまう。

 浮気している相手が妻のいる新居に訪ねて来たような気分だ。


「細かい日程を伝え忘れていましたの。4日後の朝、冒険者ギルドに来てくださいな。全員が集まり次第、ワーム討伐へ向かいますわ」


 あっさり言っちゃうよねー。

 罪悪感に潰されている中ですぐ言っちゃうよねー。


「ワーム……討伐? イリス様、タツヤはパーティで来ていないので戦えませんよ」


 や、やだ、なにこの修羅場的な展開。

 マールさん、1回落ち着いて。

 まさかマールさんが真顔になって心配してくれるなんて、完全に想定外だよ。


「他にAランク冒険者もたくさん参加しますわ。頭が切れる人がいた方が助かりますし、彼にサポートしていただきたいですの」


「だ、ダメですよ。普通のワームでもAランクモンスターに分類されるんですから。フリージアでタツヤを見てきたボクは背中押すことができません」


 やめてー! 僕のために争わないで!

 マールさんの優しさが胸に突き刺さるから!

 イリスさんの体目当てで挑むことがバレたくないの!


「1人の冒険者として彼に依頼して、正当な理由で引き受けてくれましたの。マールには関係がありませんわ。言うこと聞かない悪い子はお仕置きですわよ」


「えぇっ?! お仕置きありがとうg……ううん、ダメだよ。ベル先輩から任されてるんだから、いくらイリス様でもダメ。タツヤはちゃんとベル先輩の元に返すんだから」


 イリスさんという妹の誘惑に打ち勝ち、リーンベルさんを選んで僕を守ろうとするなんて……。

 どっかの醤油戦士とは大違いじゃないか。

 数分前の自分に聞かせてやりたいよ。


 マールさんも浮気性の心を持っているけど、心の芯にはリーンベルさんという天使が存在する。

 一方、僕はどうだ? モテない癖に本気で浮気をしようとしてるじゃないか。


 僕はいつだって優柔不断。

 ぶら下がった甘い誘惑を断ち切れず、すぐに女の体ばかり追いかける。

 そんな理性のない行動は、魔物だって獣だってできるんだよ。


 32歳にもなって、バレなきゃいいと浮気するなんて最低だ。

 もっと彼女達を満足させられるように、愛の特訓をしなきゃダメだろうが。

 スズだって本当に離れていくかもしれないぞ。


 いい加減に目を覚ませよ、自分!


「それなら、一緒にお風呂に入って背中を洗ってあげるお仕置きにしようかしら」


「ええええっ?! あ、あ、ありがとうございm……だ、ダメだよ。ベル先輩なの、ベル先輩からお願いされたことなの」


「その後に一緒に寝て、一晩中抱き枕にしてあげますわ。当然、朝は着替えのお手伝いをしてもらわないといけませんわね」


「はぁぁぁぁぁ!! ありがとうございまs……だ、ダメ。我慢するの、我慢しなきゃ。これぐらい耐えなきゃ、ベル先輩に合わせる顔がないんだから」


「そう、なら今言ったことは全部ナシっていうお仕置きが必要ですわね」


「えっ、あ、はい……。だ、大丈夫ですよ」


 めっちゃテンション下がってるじゃないですか。

 ちょっと期待してたんですね。

 我慢できるのがすごいと思いますけど。


「でも、彼の参加はもう決定したものですの。本人に参加の意思も確認しましたし、正式なギルドからの緊急依頼として受付も処理しましたわ。わたくしも少し後ろめたい気持ちがありますのよ。それでも、彼の討伐経験は他の冒険者が持っていないものですの。今回の依頼には役立つことが多いはずですわ」


 イリスさんの言葉に、ムッとしたマールさんが僕を睨みつけてくる。


「どうして無茶な選択をしたのさ。パーティのサポート役だからって、1回断ってたよね。同じパーティメンバーがいないのに、どうやって戦うつもりなの。君は数か月前に、Dランクモンスターのオークに殺されかけてたレベルだよ」


 は……はい、おっしゃる通りです。

 まったく反論する余地がありません。


「彼が戦いに行く理由を知りたいんですの?」


 えっ?! ちょっと、イリスさん。

 な、何を言おうとしてるんですか?!

 それは内緒って言う約束じゃないですか。


 ま、待って、待ってください!

 元を言えば誘惑に負けた僕が悪いんですけど、言わないでくださいよー!!


「マールの故郷を守りたいからと、自ら志願してくださったのですわ」


「「……えっ?!」」


 あれ? 僕が知ってる話じゃない。

 なに、そのイケメンの話。


「わたくしも引き留めましたわ。でも、どうしてもマールの故郷を守りたいからと聞かなくて。幸いなことに格上の魔物を討伐する心得をお持ちですし、協力をお願いしましたの。あまり男に恥をかかせるものではありませんわよ、マール」


「ボクの……ために……。ジージとバーバがいる街を守ろうとして、危険だとわかりきってる依頼に向かうの? 家に泊ってるからって、そんな気遣いはいいんだよ。ベル先輩が……帰りを、待ってるのに……」


 恥ずかしそうにモジモジするマールさんは、時折見せてくる女の顔になっている。


 チラッとイリスさんの方を見ると、軽くウィンクしてきた。

 我が妹は恐ろしいほどの策士だな。

 冒険者ギルドの統括をしているだけあって、口で敵いそうにない。


 きっとレフィーさんに災害級の魔物を引き渡したお礼のつもりなんだろう。

 こういう展開になると思って、わざわざもう1度ここへ来たんだ。

 マールさんを最初に引きはがして、違う部屋へ連れて行くところから計算してたのかな。


 とんでもなく計算高い人だ、驚きを隠せないよ。

 まぁ、お礼というのなら絶好の棚ぼたチャンスはいただきますけどね。


「マールさん、大丈夫ですよ。今までも死地を切り抜けて来ましたし、無理はしませんから。ティアさんと一緒に、帰って来るのを待っててください」


 なお、ティアさんはブリリアントバッファローの解体に夢中で全く話を聞いていない。


 視界に映るイリスさんがニヤリッと笑うと、口元を手で隠した。

 全てが思い通りにいったような表情を見て、イリスさんの本当の狙いに気付いてしまう。


 マールさんと僕をくっつけることが目的じゃなかったんだ。

 今ここで僕が自分から討伐へ行くことを宣言させることで、逃げ道を封鎖するための作戦だったに違いない。


 僕がマールさんの故郷を守るために戦うという設定にすることで、もし逃げたらマールさんの故郷を見捨てたみたいな雰囲気になる。

 これだけ好感度を上げてしまったマールさんを裏切るなら、かなりのマイナスポイント。

 取り返しのつかない事態になって、帰りの馬車は気まずくなるだろう。


 な、なんて策士なんだ。

 10歳の子供に普通ここまでするか?


 絶対にワーム討伐して弄んでもらおう!!


 満足したイリスさんが帰ろうとした時だ。

 モジモジしていたマールさんが頬を染め、グッと拳を握って僕に向かい合って来た。


「ボ、ボクも一緒に行く! 生きて帰るつもりなら問題ないよね?」

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