第98話:愛される女、リーンベルさん

- 2日後の昼間 -


 約1週間ぶりにフリージアへ帰ってきた。


 やっと戻ってきたというべきか、戻ってきてしまったというべきか……。

 お願いだからちゃんと耐えてね、リーンベルさん。

 またスズが怒ったら、今度こそ手が付けられなくなるから。


 ギルドに入る前に、僕はもう1度フォローすることにした。


「スズ、あんまり怒っちゃだめだからね。リーンベルさんも頑張って我慢すると思うから。食欲に走ってしまう残念なところもリーンベルさんなんだよ」


「……わかった」


 スズが嫌そうな顔で納得したので、ギルドに入る。

 冒険者カウンターには、いつもの受付嬢3人が暇そうにしていた。


 リーンベルさんは「あっ」と僕達に気付いて、笑顔で手を振ってくれている。


 そういう可愛いところがポイント高いよね、天使対応だ。

 あの笑顔を見る限り、今回は大丈夫かもしれない。


 いや、そう見せかけて、お腹を鳴らしてくるのがリーンベルさんだ。


 足取りが重くなる僕とは違い、スズは安心して進んでいく。

 神様にリーンベルさんが我慢してくれることを祈るしかない。


「ただいま」


「おかえり、一昨日ユリアンヌさんから連絡きたよ。無事にワイバーン倒せたんだね。まだ解体してないんでしょ? ヴォルガさんのところに持っていってね」


 どうした? いったい何があったんだ?

 なぜ天使は普通に対応してくれるんだろうか。


 予想外の発言に、スズも驚きを隠せていない。

 僕の顔を真顔で見つめて、目線で驚きを訴えかけた後、リーンベルさんと向き合った。


「お姉ちゃん、私、スズ。冒険者、してる」


 混乱して片言になってるよ。

 しかも、このタイミングで自己紹介する意味を聞きたい。


「うん、知ってるよ。それがどうしたの?」


 ダメだ、スズのライフが0になった。

 首をグルグル回すほど混乱している。


 バジル村から戻ってくる間にフォローしすぎて、逆に今の展開を受け入れる心を失ったんだ。


 けど、これは嬉しい誤算。

 本当に天使に戻っているのか確認しようと思う。


「り、リーンベルさん。僕、ワイバーンに醤油で攻撃しちゃったよ」


「なんで君がワイバーンと戦っちゃうのかなー。お姉ちゃんと無理しないって約束じゃなかった? 戦闘向きのスキルじゃないんだから、大人しく待ってなきゃダメでしょ」


 あぁぁぁぁぁぁ、悪しき心が浄化されそうなこの感覚は、まさに天使ぃぃぃぃぃぃぃ!

 心配して怒ってくれる姿が激萌えである。

 怒られたい、このまま「めっ」とか言われて怒られたい。


「べ、べ、べ、べっべべっべ、ベル先輩! 好きです! あっ、ち、違います。違わないけど違います、好きま、そう、隙間です。隙間風は体を冷やすので気を付けてください」


 天使の姿に心をつかまれたのは、僕だけじゃなかったみたいだ。


「もう、前からマールはたまに意味のわからないこと言うんだからー。ちょっとお手洗いに行ってくるから、その間ちゃんとしててね」


「は、はいっ!」


 よしよし、マールさんが百合展開に戻ってくれた。

 両手を合わせて涙目になりつつ、リーンベルさんの背中を眺める姿は恋に落ちた少女そのもの。

 そんなマールさんにキュンキュンしてしまうよ。


 誰もがリーンベルさんの対応に幸せを感じ、冒険者ギルドが楽園に変わった。




 と、思ってた。




 トイレにこもっているのであろうリーンベルさんの声が漏れ出てくるまでは。


「うぅーうぅぅあー、うぁうあぁぁ。どひあ、うぁううぅあ、どどひ。タマゴサンドを足の裏で食べたひ。どい、うぅあ、うぅぅあーうぁ」


 いったい僕達は、どれほど彼女を苦しめてしまったんだろうか。

 足の裏から食事をしたくなる気持ちを、理解してあげることができない。

 このまま我慢を続ければ、心が壊れる可能性もある。


 口から1番遠く離れた足裏から食べたくなるほど、今のリーンベルさんはタマゴサンドを欲しているんだ。

 あの笑顔の裏で、妹を守るための激しい戦いが行われていたなんて。


 見守っていたシロップさんとアカネさんは、手足がガタガタと震えている。

 マールさんは頭を掻きむしり始めた。

 スズなんて、体がふらついてこけてしまうほどだ。


 ……スズはさっき首をグルグル回してたからだね。

 単純に目が回っただけだ。


 そこに、何食わぬ顔でリーンベルさんが戻って来て、受付カウンターの椅子に座った。


「ん? どうしたの? あっ、依頼処理がまだだったね。ごめんね、じゃあギルドカードを出してもらってもいい?」


 言われるがままにギルドカードを提出すると、スズが涙目になって、しがみついてきた。


「お願いがある。お姉ちゃんにタマゴサンドを上げてほしい。ちゃんと口から食べてほしいから」


「早くしないと~、人じゃなくなるかもしれないよ~」


 1番怒ってたスズが許可を出したんだ。

 今からリーンベルさんがガツガツ食べても、誰も文句は言わないだろう。


 依頼処理をしてくれてるリーンベルさんにタマゴサンドを差し出す。


「リーンベルさん、タマゴサンドをどうぞ」


「今は仕事中なんだから、食べられるわけないでしょ。はい、ギルドカードと報酬金ね」


 なんていうことだ!!

 タマゴサンドを目にしても平然と耐えてしまうほど、固い意志を持っているなんて。

 今は我慢することを求めてないんだ、食べることを求めてるんだよ。


 食べるなと言ったり、食べろと言ったりして申し訳ない。

 理性という人間らしい思考を兼ね備えたリーンベルさんを求めていたことも事実。

 でも、それは僕達が間違っていたんだ。


 我が儘な僕達を許して、急いでタマゴサンドを口から食べてほしい。


 どうすることもできないと思った僕達は、先輩であるアカネさんに助けを求めた。

 全員が涙目になっているのは仕方がないことだろう。


「ベル、無理はしなくてもいいのよ。逆にみんな心配しているわ。あなたがさっきトイレで言ったこと、全部聞こえてたから」


「もう、何を言ってるんですか? 普通にお手洗いをしただけなんですから、聞こえるわけないじゃないですか。仮に聞こえたとしても、聞こえないふりをするべきですよ。それがマナーというものですからね」


「そ、そうね。ご、ごめんなさい」


 ザ・正論!!


 女の子にトイレの音が聞こえたなんて、口が裂けても言っちゃいけないことだ。

 さっきから言っていることはリーンベルさんが正しい。


 どうしたらいいんだ……。

 このままではリーンベルさんの心が崩壊するかもしれないんだぞ。

 タマゴサンドを我慢しただけで。


 すると、僕が手で持ち続けているタマゴサンドをスズが奪い取り、リーンベルさんの口に差し込んだ。

 口に入ったことで自然と咀嚼運動が始まり、瞬きすることなく1点を見つめたまま食事が始まっていく。


 僕がタマゴサンドをスズに渡して、そのままスズがリーンベルさんの口に入れていく。

 謎のホットラインが誕生した。


 どの依頼を受けようか悩んでいた冒険者達も、よくわからない光景に釘付けだ。

 でも、これはリーンベルさんの人命救助である。


 彼らが「おい、リーンベルちゃんめちゃくちゃ食べるな……」と、ギルドのアイドルが大食いだったことに気付いても気にしない。

 初心者冒険者に養えるほど、リーンベルさんの食費は安くないんだ。


 全部スズが出してるけど。



- リーンベルさんが食事を始めて20分経過 -



「アカネ先輩、違うんです」


「大丈夫よ、ベル。みんな逆にホッとしているのよ。冒険者達は引いているけど、私達は本当に安心したの。この間はごめんね、酷いことをしてしまって」


「何を言ってるんですか。食べる気なんてなかったんですよ。スズもなんで差し込んじゃったの?」


「大丈夫、逆にもっと食べてほしい。お姉ちゃんに餌付けしたい」


「お姉ちゃんはペットじゃないんだよ。手を出してきても、お手はしないの。それで、どうしてマールは私の髪をといてるの?」


「え? あ、いえ、そのー、み、身だしなみは大切ですからね。髪の毛が触りたくなったわけじゃありませんよ。触りたくないわけじゃないですけど、触りたいですし。ほ、ほらっ、ボクは髪の毛が短いので、手入れしたくなる時があるんです」


「………仕事中よ? ねぇ、タツヤくん。私は何を求められてるの?」


 今日のリーンベルさんは、足裏で食事をしようと思ってたこと以外は全て正しいと思う。

 最初に出逢った頃のような素晴らしい受付嬢だ。

 そんなリーンベルさんをみんな大好きで仕方がないんだよ。


 先輩からも後輩からも妹からも愛される女、それが天使リーンベルさん。


 冒険者達からは引かれたけど。

 でも、僕は惹かれているよ。


 なんとなく全てが丸く治まった気がしたので、この話題を締めくくるべく、ドヤ顔をしてカッコつけてみる。


「僕達が間違っていた、ただ……それだけです。今日は天気がいいですね。絶好の解体日和になりそうだ。さっ、ヴォルガさんに解体してもらいに行こう」


 1人で解体場に向かって走り出すと、スズとシロップさんは付いてこなかった。

 不思議に思って振り返ると、真顔のみんなと目が合う。


「タツヤくん、天気と解体の関係性はないと思うよ。うちのギルドは雨でも室内で解体してるからね。いってらっしゃい」


 やっぱり今日のリーンベルさんは全てが正しい。

 ただ、それは思ってても口に出してほしくなかった言葉だ。


「い……いってきま……す」

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