第71話:醤油戦士、目覚める
- 2週間後 -
シーンとする静寂の中、すすり泣く声だけが聞こえてくる。
女の子の泣いている声なのに、なぜ心地よく聞こえてしまうんだろうか。
そんな趣味は持ってないんだけど。
複雑な気持ちのまま、ゆっくりと目を開けていく。
どうやら大きな部屋のベッドで寝かされていて、部屋は月明りだけが照らしているようだ。
今までにないくらい頭がボーッとするし、体を動かす気になれなかった。
このまま女の子のすすり泣く声だけを聞いていたい。
子守歌を聞くように心が落ち着いていき、自然と目を閉じてしまう。
しばらく泣き声を聞いていると、女の子は落ち着きを取り戻したのか、泣き止んでしまった。
ご褒美タイムが終わり、もったいなく感じる。
でも、女の子が泣いている声で喜んじゃダメだ。
女の子には、囁き声で優しく責められるのが1番なんだから。
そんなことを考えていると、右腕がマッサージされ始めていく。
オイルマッサージを受けているような柔らかいタッチで、妖艶な手の動かし方をしてくれる。
5分ほどマッサージされていると、今度は手のマッサージに変わるのか、優しく手を握るように包み込んでくれた。
思わず僕は握り返して応えようとしたけど、全く力が入らなかった。
かろうじてピクピクと動かせる程度。
その反応に激怒したのか、女の子は僕の手をベッドに投げつけてきた。
さすがに怖くて、目が開けられない。
興奮させてきたのはそっちなのに、興奮したら怒りだすんだもん。
ご奉仕詐欺みたいなもんだよ。
女の子は布団をバッと取り去ると、僕のおへその上に馬乗りになってくる。
もうちょっと……下に乗ってほしい。
膨らんでいる場所へのマウントを希望しつつ、ゆっくりと目を開けていく。
そこには、大粒の涙をこぼして僕の顔を覗き込む、スズの姿があった。
「……お゛き゛た゛の゛?」
なんでこんなに泣いているんだろうか。
夜中に欲情して襲ってきたわけじゃないの?
泣きながら顔を近づけないで。
女の子の泣き顔を見て、喜ぶ趣味は持ってないよ。
それに、君の涙がちょうど目薬のように落ちてくるんだ。
そういうオリジナルプレイは楽しみ方がわからないから、説明を要求するよ。
トンチンカンなことを考えている僕とは違い、スズは泣き崩れるように抱きついてきた。
こんな時は背中に手を回してあげたいけど、なぜか体が動かないんだ。
なんで体が重くて動かないんだろう。
声を出す力も残っていない。
泣いているスズに声もかけられないなんて。
なぜか泣かせちゃったみたいだし、せめて一言だけでも謝りたい。
「ごめ……ん、ね」
精一杯振り絞って出したその言葉で、僕は疲れ果ててしまった。
朦朧とする意識の中、今度起きた時はちゃんと謝ろうと思っていると、自然とまぶたが塞がり、だんだん気が遠くなっていく。
- 12時間後 -
強い光が目に差し込み、あまりの眩しさで目を覚ます。
もう少し眠りたいと思っていたけど、また右手を誰かが握ってくれていた。
でも、手の感触がスズじゃない気がする。
このメロメロになりそうな温かい手は、すでに経験しているな。
そう、お姉ちゃん属性を持っているフィオナさんだ。
手の温もりで人を判断するなんて、手フェチなのかな。
しかも、スズの手は気付かなかったのに、フィオナさんの手は気付いてしまったよ。
スズに謎の罪悪感を覚えつつ、弱々しい力で右手を握り返した。
すると、フィオナさんが応えるようにギュッと握ってくれた。
「お目覚めになりましたか? お身体は大丈夫ですか?」
この声はやっぱりフィオナさんだ。
今すぐ膝の上に座って、頭を撫でまわされたい。
目を開けると、視界の端っこの方にフィオナさんの顔が見えた。
思うように動かない体にムチを入れ、首をゆっくり右のほうに向ける。
すると、フィオナさんの姿をしっかりと捉えることができた。
首を右に捻じっただけでも、思ったよりエネルギーを使ってしまったな。
運動不足のオッサンが駅の階段を猛ダッシュして、電車に間に合わなかった時の脱力感と疲労感に似ている。
唯一違うのは、閉まった電車の扉越しに見られる、哀れな目で見られていない。
お姉ちゃんが優しく出迎えてくれるような、温かい視線を感じるんだ。
フィオナさんの問いかけに答えたいけど、声を出したらまた意識が飛ぶに違いない。
首を右に向けるだけでこんな感じになるんだもん。
でも、少しくらい応えてあげたい。
「スズが1度だけ気を取り戻したと言っていたのですが、声を出したらまた眠ったと言っていました。もし声を出すのがツラいなら、軽くでいいので手を握ってもらえませんか?」
そういう気遣いが身に染みる。
少しでも意思疎通が取れる方法があってよかったよ。
精一杯の弱々しい力で、フィオナさんの手を握りしめる。
「わかりました、少しだけ現状を説明しますね。スズと私で看病しているのですが、タツヤさんが1度起きてから、12時間が経過しています。あの時は深夜の3時でしたので、今は昼の3時になったところ。すでにタツヤさんが倒れてから、2週間が経ちます。今は体が回復するまでしっかりお休みくださいね」
え? 僕は2週間も倒れていたの?
なんで2週間も倒れてたんだろう。
頭がエロ方面にしか働いてくれなくて、まともに考えることができないんだ。
脳内メモリーが撫でまわされたいという欲求で埋め尽くされているよ。
できたら、安眠できるようにフィオナさんのナデナデパワーをわけていただけると嬉しいです。
僕のクソみたいな脳内が伝わったのか、フィオナさんは握っていた手を放して、頭を撫でようとしてくれた。
近付いてくるフィオナさんのゴッドハンドに、僕は大興奮。
でも、予想以上に興奮しすぎてしまったんだろう。
フィオナさんが僕の髪の毛に触れた瞬間、恋の衝撃が体を襲い尽くし、すぐに意識が刈り取られてしまった。
それからの僕の生活は、起きては寝るを繰り返し続けた。
どうやら僕が起きていられる時間は5分ほどらしい。
起きる度にスズかフィオナさんのどちらかが、必ず右手を握って待ってくれている。
昼夜問わず、その5分のために起き続けてくれたのが、嬉しくもあって申し訳なくもあった。
- そんな生活のまま、3日が過ぎる -
ようやく体力が少しずつ回復し始めてきた。
といっても、自分で体を動かすことはまだまだ難しい。
できないわけじゃないけど、すごく疲れるんだ。
全身に重りが付いているような感じで、ほとんど力が入らなかった。
まだ声を出すのも億劫で、ベラベラと話せるほど回復はしていない。
文章で話すのはしんどいから、単語だけで会話して意思疎通を取っているよ。
そして、なぜか発動していなかった『
いったい僕の体はどういうシステムになっているんだろうか。
そんなに心臓が元気に動けるなら、筋肉も元気に動いてくれよ。
しかも、ここ3日間の僕は欲望に支配され続けて、「手、握る」「ナデナデ」しか言っていなかったぞ。
せっかく単語でしゃべれるようになったのに、意思疎通が欲望ってどういうことだ。
32歳のオッサンが15歳の女の子達にさせる行動じゃないだろう!
……幸せだったけど。
最近気になるのは、自分の性癖の危険性だ。
どうやら『幼児退行プレイ』が好きなのかもしれない。
明らかに嫌われるであろうヤバいやつだよね。
だから、32年間も彼女がいないんだと思う。
みんな本能的に僕の性癖を恐れ、恋愛対象から除外してしまったに違いない。
そんな欲求すらも受け入れてくれる2人には、感謝の思いがどんどん溢れてくるよ。
同じくらい危ない欲望も溢れてきているけどね。
そんな変態の僕の手を、今はフィオナさんがお願いしなくても握ってくれている。
手をギュッ、ギュッて握って遊んでいるんだ。
もうビクビクすることはないんだけど、彼女はすごく楽しそうだよ。
王女様も危ない性癖を持っているのかな。
命にかかわらない限り、僕は何でも受け入れるよ。
結局、変態街道一直線だったので、少し状況を確認するため声をかけることにした。
「なぜ……寝てる……教えて」
驚いたフィオナさんは、簡潔に説明してくれた。
・黒ローブの強襲のこと
・味噌で足を取られた黒ローブを、スズがワンパンで倒したこと
・スタンピードは守りきって被害が少なかったこと
・死力を尽くしたアンリーヌさんが、昨日ギルドに復帰したこと
・一命をとりとめたリリアさんが、まだ眠り続けていること
フィオナさんの話では……、
過去最大級の歴史的なスタンピードだったにも関わらず、死者は恐ろしいほど少なかったらしい。
それによって、ギルドも国もスタンピードの報奨金に頭を抱えてしまう。
というのも、4回分のスタンピードが同時に起きてしまったようなものだから、当然報酬も4倍払う必要性が出てきたんだ。
そこで、スタンピードがあった3日後に、王都で大規模なホットドッグ祭りを行った。
肉屋はウィンナーがバカ売れ、
パン屋はパンを前日から焼き続け、
トマト農家は成熟したトマトが全て無くなり、
王都にいる人々は、初めてのホットドッグに大地を揺らすほどジャンプして喜んだ。
未だかつてない盛り上がりを見せたホットドッグ祭りは、当初の予定よりも時間を延長して、丸1日行うほどの大盛況で幕を閉じた。
国とギルドが払う報奨金を断り、「代わりにホットドッグを食べさせてほしい」と、懇願する人まで現れているそうだ。
そのおかげで一時的にケチャップが作れなくなったものの、スタンピードで払う予定だった報奨金がかなり浮いたらしい。
ギルドと国にとっては、予想以上の効果で驚きを隠せなかったみたい。
現在では、スタンピードの影響がスッカリ落ち着いてるそうだ。
「スタンピードで力を振り絞って下さった3名だけが気がかりでした。先日ギルドマスターは復帰されたので、タツヤさんも早く良くなっていただけると嬉しいです」
3人とも力を振り絞って倒れた事実はあるものの、2人と一緒にしてはいけない気がする。
精霊魔法による反動で倒れたアンリーヌさん、
大魔法を使った反動で倒れたリリアさん、
味噌を召喚した反動で倒れた僕。
味噌を出しただけで2週間以上も看病してもらうなんて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
でも、味噌で埋もれても嫌いにならないでいてくれて嬉しいよ。
ごめんね、非常事態とはいえ味噌プレイしちゃって。
サラちゃんが悲鳴を上げてたのが気になるけど。
「出した、味噌、大丈夫?」
「ふふふ、まさか味噌に埋もれるとは思いませんでしたよ。私とスズは味噌だとわかったので安心しましたが、お父様達は大慌てでした。あの後に体がベタベタだったので、サラと一緒にお風呂に入ったんです。お湯に溶ける味噌に気付いて、『豚汁!』と飲み始めた時は大変でしたよ」
サラちゃんらしいほっこりエピソードだ。
2人がお風呂に入っているシーンを想像すると、とても温かい気持ちになるよ。
フィオナさんと一緒にお風呂に入ったら、僕の肉体は蒸発するだろうなー。
ロリコンじゃないから、サラちゃんとは仲良く入れると思うよ。
入念に体を洗ってあげて、お兄ちゃんらしさを見せてあげたい。
その後も色々な話を聞かせてくれた。
どうやら僕は回復魔法が効きにくい体質らしい。
そのせいで治療がうまくいかずに、長引いているそうだ。
魔力のない世界から来ていることが影響しているのかもしれない。
でも、その話を聞いて納得したよ。
この世界は、回復魔法が発達しているせいで医療が未発達なんだ。
2週間以上眠ってた割に、点滴とか一切されていないからね。
自分が病人だということに気付かなかったよ。
そのまま話を聞いていると、誰かがノックして入ってきた。
スズかなって思っていると、予想もしていない人物だった。
料理長が土鍋を持って、不気味な笑顔のまま入ってきたんだ。
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