第10話:感謝のクッキー

 なんとか正気に戻った僕は、オークをアイテムボックスに入れて、急いで街へ戻った。

 まだ昼過ぎだけど狩りをする気になれない。


 ギルドに戻ると、昼休みだったので冒険者は2人しかいなかった。

 その2人も入れ違いで外に出ていく。


 冒険者カウンターにリーンベルさんはいなくて、マールさんが座っているだけだった。


 毎朝顔を合わせていたマールさんを見るとホッとする。

 それと同時に、張りつめていた緊張の糸がプツンと切れてしまう。


「今日は早いね……ってどうしたの? 顔が真っ青だよ、大丈夫?」


 オークに殺されかけた恐怖を、フラッシュバックのように思いだす。

 手はガタガタと震え、マールさんの問いに何も答えることができない。


 マールさんは不自然なほど怯える僕に「落ち着いて、大丈夫だよ」と言いながら、両手を握ってくれた。

 何度も声をかけてもらったおかげで、取り乱すようなことはなかったけど、死の恐怖が消えることはなかった。


 この場から動く気になれないし、オークのことを話す気にもなれない。

 誰かに一緒にいて欲しくて、1人になるのがたまらなく怖かった。


 そこにリーンベルさんがお昼休憩から戻ってくる。


「あれ、タツヤくん? 戻ってくるの早いね」


「ベル先輩、ちょっと……」


 マールさんはリーンベルさんにゴニョゴニョと耳打ちをした。

 リーンベルさんは僕の手を取り、「おいで」と休憩室に連れて行ってくれる。


 休憩室に着くと、近くのソファに2人で腰を掛けた。

 何かあったことを察してくれたリーンベルさんは、いつものように怒ることはない。

 逆に僕の頭を撫でて、慰めようとしてくれた。


 それがとても心地良く、心が落ち着いていくのがわかる。

 思わず自然とリーンベルさんへ体を預けてしまう。

 うっかり目を閉じるとオークの顔を思いだすから、ずっと目を開けていたけど。


「怖いことでもあった?」


「……もう少し、このまま」


 オークという言葉を口にするのが怖い。

 今でもオークの咆哮で動けなくなったことが頭をよぎる。

 一歩間違えれば死んでいたし、生きて戻ってこれたことが奇跡だと思うから。


 リーンベルさんは「そっか。少し休憩しようね」と、再び頭を撫で始めてくれた。




 どれくらい時間が経ったかわからない。

 ついつい眠ってしまいそうなほど心が穏やかになっていた。

 目を閉じてオークを思いだしても、もう恐怖で怯えることはない。


 リーンベルさんと一緒なら大丈夫な気がする。

 でも……まだ離れたくはない。一緒にいてほしい。


「解体場まで、一緒に来てもらえませんか?」


「いいよ、一緒に行こっか」


 リーンベルさんに手を繋いでもらい、解体場まで連れて行ってもらう。



 解体場に着くと、ヴォルガさんがいつもと同じように出迎えてくれた。

 僕はリーンベルさんと手を繋いだまま、反対側の手を前に出し、倒したオークを取り出した。


 オークの姿は悲惨なものだ。

 どう見ても普通の戦闘じゃないことが一目瞭然でわかるほどに。


 体は醤油で黒く汚れ、顔面はハバネロで真っ赤に染まり、顔は激辛で苦しんだ悲痛の表情をしている。


「「「………」」」


 重い空気を察してくれたヴォルガさんは、無言でオークを洗い流して、解体を始めてくれた。

 僕はリーンベルさんの手をギュッと握り、今日あったことを話し始める。



・ゴブリンしか出ない場所でオークが走ってきたこと

・オークの方が足が早くて逃げきれずに戦ったこと

・咆哮で足がすくんで死を覚悟したこと

・なんとか隙をついて倒せたこと

・怖くて早くギルドへ戻ってきたら、マールさんが慰めてくれたこと



 リーンベルさんは「うん、うん」と、相槌を打ちながら話を聞いてくれた。

 たったそれだけのことだけど、僕は妙に安心できた。


 そばにいて話を聞いてくれることが嬉しかった。

 手を握ってくれるだけで落ち着くことができた。

 ようやく今日の出来事とも向き合うことができたと思う。


 全てを話し終えたら、リーンベルさんが僕の前でしゃがみこんで「がんばったね」と、また頭を撫でてくれた。


 帰ってこれた。生きてるんだ。

 リーンベルさんにまた会えたんだ。


 死の恐怖が薄れ、生を実感し始める。

 ……もう少しこのまま一緒にいたい。



- 10分後 -



 10分も頭を撫でられていると、だんだん恥ずかしくなってきた。

 それだけいつもの自分に戻れたんだろう。ありがたい。


 リーンベルさんの温かい手を意識すると、胸の高まりが止まらなくなっていた。

 称号の『初心うぶな心』が発動してしまったようだ。


「あ、あの~。わざと戦ったわけじゃないですから、今回は怒らないでくださいね?」


 怒られないとわかっていた。

 でも、恥ずかしさを誤魔化したかったんだ。


「ふーん、実は怒られたいのかなー?」


 リーンベルさんも『もう大丈夫』と思ったんだろう。

 冗談を交えて話をしてくれるようになった。


 そんな何気ないやり取りが嬉しい。

 いつもの毎日に戻れたことを実感する。


 リーンベルさんにお礼を言って解体場を離れ、マールさんにもお礼を伝えた。

 ニコッと笑ってくれたマールさんは「明日もちゃんと顔を出してね」と言ってくれたので、「はい」と返事をして冒険者ギルドを後にした。


 今日は個人的なことで、とてもお世話になってしまった。

 明日は冒険者生活をお休みして、お礼の日にしたいと思う。



- 翌朝 -



 お礼は予定していた通り、クッキーを渡そうと思う。

 前から気になってたけど、この宿屋には大きなオーブンがあるんだ。

 クッキーの材料は用意できても、オーブンは借りないと作れないからね。


 泊まっている宿屋の夫婦に、思い切ってお願いをする。


「オヤジさん、空いてる時間だけでいいのでオーブンをお借りできませんか?」


「オーブンって、料理で使うオーブンだろ? 何に使うつもりだ?」


「お世話になっているギルドの方へ恩返しのクッキーを作りたいんです」


 親父さんはポカンとしている。

 冒険者がお願いする内容じゃないし、ましてや今の僕は子供だ。

 子供がいきなりオーブン貸してっておかしいよね。


「なんでお菓子の作り方を知ってるんだ? この街にすら置いていない高級品だぞ。 だいたい材料なんてすぐ手に入るようなものでは……」


 材料はスキルで用意できます、なんて言えない。

 仕方ないから、チョコレートを少し食べさせよう。

 他にオーブンを借りられそうな場所って知らないし。


「このチョコというもの食べてみてください。これを使ってクッキーを作ります。出来上がったら、オーブンを貸してくれたお礼に差し上げますよ?」


 オヤジさんがチョコを口に入れた瞬間、あっさりOKが出た。

 奥さんにも言ってくれて、逆に「よろしくお願いします」と頼まれたぐらいだ。

 2人の目は期待に満ち溢れたキラキラした目だったよ。


 オーブンが借りられるとわかれば、早速クッキーの材料である『薄力粉とバター』、調理器具を買いに行く。

 予算は金貨8枚(8万円)あるから充分だ。

 何回も借りるのは気が引けるし、ギリギリの時間までひたすら作っていこう。


 アイテムボックスがあれば、作り置きしても腐らないから便利だよね。


 クッキーにアーモンドパウダーを入れて作るとおいしいんだけど、さすがに売ってるはずもなかった。

 異世界だし仕方ない。

 むしろ、小麦粉もバターも売っててよかったよ。


 早速宿屋に戻って、クッキーを作り始める。


 1.小麦粉をふるいにかける

 2.バターを溶かし、小麦粉と混ぜる

 3.チョコチップを混ぜて、丸い形を作る

 4.オーブンで焼いて、冷ましたら完成


 お菓子作りって、意外に簡単だからね。

 今回はスノーボールってタイプのクッキーを作った。

 卵を入れないからサックサクのクッキーになる。

 小さくて食べやすいから、ついつい口に運んで食べちゃうんだ。


 焼きあがったクッキーを冷ましながら、オーブンでどんどん焼いていく。




 朝の9時からスタートして、午後3時まで作り続けた。

 途中で何回か「良い匂いがするんだけど」と、宿屋に通行人が入ってきた。

 クッキーを焼いている甘い匂いが、辺りに広がって噂になっているらしい。


 オヤジさんは「企業秘密だ」と言って、追い返してくれた。

 迷惑をかけてるみたいだし……多めに差し上げますね。


 大きなオーブンで一度にたくさん焼けたこともあり、全部で1,000個のクッキーが作れた。

 アイテムボックスに入れたら腐らないから、もっと作りたかったのが本音だ。

 定期的に食べると、すぐに減っちゃうからね。


 宿屋の夫婦にお礼のクッキー40個をあげたら、すぐに食べ始めた。

「もっと欲しい」といわれたので、さらに追加で40個あげたよ。

「王族が食べる物よりおいしいんじゃない?」と、言っていたから味は完璧だろう。


 リーンベルさんが喜んでくれるといいなー。


 ちょうど3時のおやつにピッタリの時間だから、すぐにギルドへ向かった。

 自分が作ったものを渡すのって思ったより恥ずかしいね、緊張してきたよ。

 しかもリーンベルさんみたいな天使に食べてもらうなんて。


 ……そういえば、女の子にプレゼントした経験がないな。どうやって渡せばいいんだ?

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