第68話 時間
ユサとそっくりの
「時間……」
ユサはその言葉を復唱した。横にユサを庇う様に立つヒルマを見上げる。
言われてみれば確かに欠けていた。本来であれば歳を取り50手前な筈のヒルマの見た目は、25の見た目のままだ。
日頃の態度からも恐らく中身もそんなものだろうとは思っていたが、そうならば納得だった。髪や髭が伸びることを考えると何もかもが止まっている訳ではないのだろうが、食事もすれば排泄もするので、その辺りは時間よりも生理反応の方に引っ張られるのかもしれなかった。
「ユサが、俺の時間?」
ヒルマの混乱した表情。目が揺らぎ始めていた。ユサはヒルマの腕をしっかりと掴んだ。
「ヒルマしっかりしろ」
「ユサ、でも」
「まだ質問は終わってねえ」
ユサは
「まだ答えてねえぞ。――お前は何者だ。何かの神様か? それとも悪魔か? ただの化け物か?」
「先程一応答えたんだけどね」
そう言って口だけで笑った。
「私は時間だ。この世界の時の番人だよ。神とでも悪魔とでも化け物とでも好きに呼べばいい。どれでもありどれでもない」
「はあ? 何だそりゃ」
「世界にはひとりずつ私の様な者が置かれている。それが世界を成り立たせる条件だからな。だから私はただここで過去から未来迄を見ている。見て、眺めて時折この奥――」
ちら、と神殿の更に奥に目をやった。
「あっちにある時の核を興味本位で見に来る者を相手に暇つぶしをしている、それだけの存在だ」
「時の……核?」
ヒルマが呟いた。
「何だヒルマ。お前は奥に何が祀られているかも知らずにこの神殿に来たのか?」
勿論ヒルマがそんなことを調べてくる訳がない。従って黙り込んだ。
「馬鹿な男だ。だからこそ探すことを諦めずにこれたのかもしれないがな」
侮蔑のこもった声で言い捨てられた。ユサがヒルマを見上げると不貞腐れた顔をしている。ユサは思わず笑いそうになったが今はそういう場面ではない。頑張って止めた。
「時の核がなくなると世界は壊れる。私の仕事はこの世界の維持だからな」
「なあ、お前の言うことが本当だとすると、他にもこんな世界がいっぱいあるってことなのか?」
ユサは興味本位で尋ねた。あまりにも規模が大きく眉唾な話ではあるが、これ程にも奇異な存在が言うと本当の様に思える。
「あるかもしれない。ないかもしれない」
「何ひとつはっきりしねえ奴だな」
ユサが愚痴る。残るは最後の質問だった。
「そう、それで俺に埋められたヒルマの時間はどうやって返せばいいんだ?」
ユサを作ってユサに埋め込んだこいつなら取り出せるのではないか。そう思っての質問だった。
「お前なら取り出せるんだろ? 埋めることが出来たもんな」
自分と同じ者と思えばヒルマが感じている程の恐怖はなかった。
「そう、埋め込んだ。だから埋め込んだものはもう癒着しているだろう」
「え」
ヒルマの身体が強張った。低い声が出た。
「癒着、とはどういうことだ」
「そのままの意味だ。目に埋め込んだ。20年以上ユサの目として機能してきて同化している。もう切り離すことは出来ない」
ヒルマが息を呑んだ。
「なんて酷いことをするんだ……」
「そもそもがお前の探しものを少し助けてやろうという私の優しさだったんだがな。それに」
とうとうユサの目の前に立った。近くで見て違和感を感じた。こいつ、始めと姿が違くないか。
「ユサは私の刹那でいわば私の分身、複写だ。自分の複写をどう扱おうがお前に関係ないだろう」
「ふざけるな!」
ヒルマが吠えた。怒りと悲しみがその声色からは伝わってきた。男とも女とも判別のつかなかった顔は、もうほぼ男のものになっていた。
「関係ある! 俺はユサと残りの人生を面白楽しく過ごすって決めてんだ!」
「ユサがそのつもりなら好きにすればいい。切り取った刹那はもう私には戻らない。勝手にすればいい」
男版のユサがヒルマの顔のすぐ近くまで迫った。しばらくヒルマを覗き込んだ後、ふっと離れた。
「欠けたものは全部集めた。そもそも時の核を狙っていた訳でもない。私の刹那を愛したことは滑稽だが、それも好きにするがいい」
ユサはその言葉にほっとした。この男に縛られることはないのだ。だが。
「だがユサに埋まっているものを呑み込まないとお前の時間は進まない」
そうだった。ユサの、左目。これをヒルマに返さない限り、ヒルマの時間は止まったままだ。
「……だったら、時間が止まったままでいい」
ヒルマが男に返答した。ユサは驚いてヒルマの腕を払い除けてヒルマの前に立った。
「何言ってんだお前! それじゃ話が違うだろ! 一緒に年取っていくんじゃなかったのかよ!」
「ユサを傷付けてまですることじゃない」
ヒルマの声は硬かった。顔は真面目だ。それを見てユサはカチンときた。
「はあ!? なんだそれ! じゃあ俺と結婚しねえのかよ! もう俺は要らないのかよ!」
「ユサ、要らない訳じゃない、でも、一緒に年を取れない俺が隣に居るとユサが嫌だろう」
「ずっと一緒にいろ、いなくなるなって言ったのはどの口だ!」
ヒルマの胸を拳で思い切り叩いた。ユサの力ではヒルマの身体は揺らぎもしない。ヒルマの青い目が、前髪で隠れた。
ヒルマは唇を強く噛み締めていた。
「お前勝手だぞ……! 俺に散々未来の夢を見せておいてもう要らないだと!?」
ヒルマは何も言わない。目も見えない。きっと今、青い目が揺らいでいる。きっと涙を堪えてる。馬鹿な男だ。馬鹿な位ユサの事しか考えない。だけど分かってない、ヒルマのいないユサの未来に明るさなどない事を。
ユサを闇の底から救い出してくれたヒルマじゃないともう駄目なんだと、分かってない。
「俺の目が揃ってないとお前はもう俺が要らないのか!? 俺はお前に必要ないのか!?」
ヒルマの両腕を掴んで振った。少しも動かない。目が見えない。口はきつく閉ざされたままだ。
涙が滲んできた。嫌だ、ヒルマと離れるなんて嫌だ嫌だ嫌だ。
何と言えば通じる? 何をすればユサを見てまた笑いかけてくれるだろうか?
「お前は、俺がいなくても平気なのか?」
ヒルマがハッと息を呑んで顔を上げた。ようやく目が合った。涙は堪えてなかった、もうとっくに溢れていた。
「……平気だ」
ぼろぼろとユサの大好きな青い瞳から涙が溢れ出してきて顎を伝って落ちていく。ユサはふ、と笑った。
「お前は本当に嘘が下手だな」
「嘘、じゃない」
涙混じりの声で返すが、説得力などないに等しかった。
「俺は平気じゃないぞ」
ユサが言う。ヒルマが涙声で返した。
「きっとすぐ平気になる。もう男は怖くないんだろ? だったら俺じゃなくても大丈夫だ」
苦しそうな声でそんなことを言うのだ。本当に考えなしの馬鹿な男だ。そんなのでユサが騙される訳もないのに。
ユサはしっかりと男に変わったユサの大元の時の番人を振り返った。
「おいお前」
「……なんだ」
相変わらず感情の読めない声が答えた。
「お前暇なんだろ? だからこんな遊びしたんだろ?」
「暇、という言い方はどうかと思うが、まあそうだ」
ユサは提案した。
「俺はお前の刹那だ。つまりお前と一緒だ。そんなお前の子孫がこの世界に生まれたらちょっと興味湧くんじゃねえか? たまに暇つぶしに様子を眺めたりしたら楽しそうじゃねえか?」
これは賭けだ。暇人のこいつが興味をそそられるかどうかの、賭け。
案の定、男の眉がぴくりと動いた。男がゆっくりと口を開いた。
「……私に何をしろと?」
乗ってきた。ユサはニヤリと笑った。
「ヒルマに絶対呑ませろ。そんで間違っても怪我させたり殺したりすんな。そうじゃなきゃ暇を潰す機会はなくなるぞ。俺はヒルマ以外の男とどうこうなる気はないからな」
「……成程」
男が一歩ヒルマに寄ってきた。
「ユサ、何を言ってるんだ」
ヒルマの戸惑う声。もしかしたら本当に分かってないのかもしれない。ユサが今から何をしようとしているかを。
ユサは最高の笑顔を作った。
「お前忘れてないか?」
「……何をだ」
ヒルマの、どうしたらいいか分からない、迷子の子の様な声。愛しい愛しいヒルマ。
「俺は盗賊だぞ。自分の欲しいものは自分で奪う」
「……ユサ? 何を言って」
ユサは左目に指を当てた。
「おい! ユサ! 何を……!」
「お前ヒルマを押さえてくれ」
「……人使いの荒い」
「人じゃねえんだろ」
「……そうとも言う」
男が指をすっとヒルマに向けるとヒルマの身体の動きが止まった。顔は動くらしい、必死な形相で叫んだ。溢れた涙が辺りに飛び散る。
「ユサ! 駄目だ! 俺はそんなことがしたくてユサを好きになったんじゃない!」
「お前の意見は聞いてない」
ユサは笑いながらヒルマに言った。それを聞いたヒルマの情けない表情。
大好きだ。
「俺はお前の未来が欲しいんだ」
ユサは静かに言った。指に力を入れた。
「欲しいものは盗む。それが盗賊の心意気だろ?」
「駄目だ! ユサあああああ!」
ヒルマの叫び声が暗闇に木霊する中。
ユサの指が、左目の窪みに沈んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます