第67話 神殿の主
カツン、カツンと石の床が音を立てる。
神殿内部の空気はひんやりとしているが古臭い匂いはしない。入り口に扉がないからだろうか、風の動きも感じられた。反対側にも外へと繋がる道があるのかもしれなかった。
先を行くヒルマにランタンの灯りが反射しているが、ユサは完全にヒルマの影に隠れている。もし相手が前方に居る場合、ユサが居るなど思わない可能性もあった。そして恐らくヒルマはそれを狙ってあえてヒルマの背中にユサを隠そうとして歩いている。ユサの手を握るヒルマの手は、外気は冷たいのにじっとりと汗ばんでいて、ユサを絶対に前に出さない様に腕と手に力を入れていた。
この雰囲気だと会話をすることも
暗闇の中を徐々に前進していく。
ふと、風が吹いた。
ヒルマの足が止まり、ユサの手を握る手に更に力が籠もった。ヒルマが辺りを伺っている。ヒルマの身体からは緊張がにじみ出ていた。
「――居るのか?」
ヒルマが闇に向かって声をかけた。しばし待つ。すると、ひた、ひた、と静かな音が聞こえてきた。誰かいる。
「集めたか」
静かな、男とも女とも取れる声が足音がした方向から聞こえてきた。ヒルマがランタンを高く掲げると、暗闇の奥から裾の長い白いローブが揺れながら近付いてきた。ユサはヒルマの横から少しだけ顔を出してそこに他の人間が居ることを確認した。
「全部集めたぞ」
答えるヒルマの声は低い。
「まだひとつ残っているだろう。何故取り戻さない? すぐ横にあるのに」
白いローブの人物が手を優雅に上げるとすっとユサを指差した。ヒルマがユサを背中で庇う。
「ユサは下がってろ。……人間にあったことがないから取り戻し方が分からん」
その者は更に一歩近付いた。長い髪が揺れるのが見えた。顎と鼻が見えた。男だろうか、女だろうか、やはり分からない。髪の色はユサの色と近い赤茶の髪だった。
「そいつはお前の役に立っただろう?」
口元が妖艶に笑う。
ユサは混乱した。そいつとは、ユサのことだろうか? 何故ユサが会ったこともない人にそいつと呼ばれている? しかも役に立ったとは、まさか。
「俺が……俺が欠けたものを探す助けになっただろうってことか?」
「そう、その通りだ。ユサという名前を付けてもらったのか。可愛らしい人間の女の様な名前だな」
「あ?」
ヒルマの手には相変わらず力が籠もっていたが、無理矢理ヒルマの横に立った。今こいつと会話しているのはユサだ。
「――どういうことだ」
大して感情の籠もっていないくすくす笑いが聞こえた。気味が悪い。何なんだ、こいつは。
「ユサ、下がって」
「うるせえ、今話してんのは俺のことだろ」
ユサとヒルマが言い争っていると、今度は楽しそうな感情の籠もった笑い声になった。
「成程、ヒルマ。お前はこの子に惚れたのか。ふふふ、滑稽だな」
「何が滑稽だ!」
ヒルマが声を荒げ、一歩前に出た。ランタンの灯りがその者の顔を照らした。
そして、ヒルマは言葉を失った。
「やあ、顔を見せるのは初めてだな」
ユサもその者の顔を見た。目に映るその顔にユサは今度こそ混乱した。口から乾いた声が漏れ出る。
「な……なんで」
その者は、男か女か分からない中性的な顔をしている。体つきも中性的だがユサよりは背が高い。作りは大人っぽい。
だが、その顔は明らかにユサと同じ顔だった。
「お前、何者だ……? 何で俺と同じ顔してるんだよ!」
ヒルマの腕が前に出ようとするユサを止める。そのユサとそっくりな
「逆だよユサ。お前が私と同じ顔をしているんだ」
訳が分からない。だって、ユサはユサだ。紅国で生まれて、とんでもないクソ親父に半分放置されながら育てられ、育ったら売られた。その記憶は間違っていない。嫌という程ユサの記憶に刻まれていた。
「はっきり言えよ! お前は何なんだ!」
ユサが叫んだ。そうでもしないと混乱の波に拐われてどこかに流されてしまいそうだった。ヒルマがユサの質問に重ねて質問した。
「ユサに俺の欠けたものを植え込んだのはお前の仕業か?」
「そうだ。今までの奴らは結局探しきれなくて途中で諦めてここにやって来た。例外なく、皆」
「途中で……諦める?」
ヒルマは驚いていた。ユサは頭の片隅で思った。そうか、こいつはそもそも途中で諦めていいのかもしれないなどと考えたこともなかったのだろう。ただ立ち止まっていただけで。その後は考えずに進むだけで。
ヒルマが阿呆でよかった。心底そう思った。
「皆、長い生、不便な欠けた身体に耐えられなくなり死を望みここを訪れた」
「それで、そいつらは」
「勿論、望み通りに終わらせてあげたよ。負けを認めた奴は勝負から降りるしかないだろう?」
ヒルマは返答に詰まっていた。ユサは
「それで、何で俺にヒルマのもんを植え込んだんだよ」
「そうそう、この勝負は難しいのかな、そう思ってね、ヒルマの時は集めやすいようにおまけを付けてみたんだ」
「……俺はおまけか」
分からない。何もかもが分からなかったが、それでもひとつひとつ聞いていかねばならない。
「よく見えただろう? 見て光を辿るだけだからね」
大して楽しくもなさそうに、それでも笑う。
「で、俺のどこに埋め込んだ?」
口角は上がってるのに目は全く笑っていない。自分よりも少しだけ大人な顔がこんなにも冷たい表情を見せることに違和感しかなかった。
「今ので分からないか? 可笑しいな、ユサは私の一部なのにそんなに飲み込みが悪いのか? 本当は分かってるんだろう?」
ユサは唾を飲み込んだ。寒いのに汗が滲んできてヒルマと繋いだ手が滑りそうだった。
「……分かってるよ、目だろう。俺の左目だ」
「正解だ。よかったよ、分かっててくれて」
光はいつも目を開けないと見えなかった。光をよく映していたのは左だった。それは知っていた、分かっていた。ヒルマには言わなかっただけで。
つまりユサの左目が、ヒルマの最後の欠けたものだ。
「俺がお前の一部ってどういうことだ」
「言葉の通りだよ、ユサ。お前は私の刹那を切り取ったものだ」
「お前は女じゃねえだろうが」
ユサは噛み付く様に言う。ヒルマのユサを押さえる腕に更に力が篭った。でも今はヒルマは見れない。目の前のこいつに注力せねばいつ何時ひっくり返されるか分からない。
何故かそう感じた。
「私は女でもあり男でもある。子供でもあり老人でもある」
「あ? 意味分かんねえ」
ユサが睨みつけるが、こいつは静かに嘘くさい笑顔を浮かべ続けているだけだ。
「私はいつでもどこでも存在する。たまたま女であった一瞬を切り取った刹那的な存在がお前だよ、ユサ」
「じゃあお前は一体何なんだよ! 神か!? 悪魔か!? それともただの人間か!? 」
「ユサ」
ヒルマの戸惑う声がした。
「俺はついていけてない、どういうことだ? 訳が分からん。何でユサは理解してるんだ?」
不安そうなその声に、ユサは泣きそうになった。ヒルマを不安にさせる為にここまで来たんじゃないのに、結果としてヒルマは不安でいっぱいになってしまっている。
「理解はしてねえよ、多分。ただこいつは嘘は言わねえ。分かるんだ」
「……どうしてだ」
ユサは唐突に理解した。そんなの決まっている。
「何故なら俺が嘘はつかないからだ。俺は黙ることはある。でも嘘はつかねえ。だからこいつもそうだ」
こいつの言う通り、ユサはこいつの一部だったのだ。それが切り離されてユサとなった。ヒルマの探し物をするオマケとして。
「ユサとこいつは……」
ヒルマの驚愕の、だが何かがしっくりとした様な表情。
ユサはそれに頷いてみせた。
「こいつは俺だ。俺はこいつだ。元が一緒なんだ、多分」
ヒルマの横に立ち、目の前のユサに酷似した人間に向き合った。
「お前は何者だ? 俺に埋まってるこれは、ヒルマの何だ?」
目の前の人間は、実に楽しそうにニタア、と笑った。
「時間だよ」
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