第62話 就職先
その後のクリスティナの交渉は見事であった。
さすが国の敷地をポンと
絹の仕入れ値、ヨルクへの販売単価、ヨルクの仕立てと刺繍にかかる時間、使用する副資材、完成品の仕切値の確認までをざっと計算した上で、最終的な末端の売価をなかなか吐かないワンを納品書の不備、実際の絹の生地の相場の知識をもって追い詰め、最終的にどこから生地を仕入れどこに完成品を販売しているのかまで洗いざらい吐かせてしまった。
クリスティナが冷ややかな声色で告げた。
「では、今後は私が直接購買と販売を致しますので、まずは今日の分の不足金がこちら」
そう言うと紙にサラサラと金額を書いた。
「今までの分全てとなるとさすがにそちらもお辛いでしょうから、
「はい!」
ヨルクはすっかりクリスティナの言いなりだ。顔が赤いのは気のせいではあるまい。
「先月から今月にかけてお渡しした完成品と、購入した生地の大体でいいから量を教えて頂戴な」
「は、はい」
そう返事をすると、ヨルクがクリスティナが差し出したペンを受け取り、紙に追記し始めた。時々「うーん」と首を捻っている。
「こんなもんかな」
「貸して」
クリスティナが紙とペンを受け取るとしばし睨めっこを始めた。次いで算盤で金額を弾き出すと、紙を反対にしてワンに分かる様に見せた。
にっこりと笑う。
「不足金がこちらになります」
「えっこれ、いつもの3ヶ月分位だよ!」
ヨルクが目を白黒させている。その言葉で、ユサにもヨルクが今までどれ位ぼったくられていたのかが分かった。
ワンが顔を凄ませる。
「お嬢さん、あんたこんなことしてただで済むと思うのかい?」
「あら、今の言葉は恐喝とも受け取れますけど」
クリスティナが半眼で返す。
「もし私達に何かしてごらんなさいな。白磁国を全面に敵に回すことになりますよ」
「? それはどういう……」
ワンの顔が歪んでいる。
「
ヨルクがポカンとしてクリスティナを見つめていた。まあ、仕方のない反応だろう。
ワンも驚いた顔をしていた。
クリスティナが立ち上がってワンを冷ややかに見下ろした。
「この先もこの商売を続けたいなら余計なことをするなって言ってるのよ! この
クリスティナが啖呵を切った。今度はワンも口をポカンと開けた。まあ、聖女のすることではない。
クリスティナが手を出した。
「今持ってるお金、全部出しなさい」
「えっ今はそんなに」
ごねるワンを見て、ユサがヒルマに声をかけた。
「おいヒルマ、見てやれ」
「おう」
これに関してはヒルマは天才的だ。驚いているワンの身体をささっと触ると、個人用と思われる財布と商売用と思われる財布を取り出し、次いで裏ポケットにこっそり隠されていた封筒に入った金も見つけ出した。
その金をクリスティナが事務的に取り出し数え出した。
「若干足りないわね」
そう言うとワンが持っていた生地を見た。
「これを足しても少し足りないけど、まあいいわ」
「えっこれは上等な次のカモの……!」
「うるさいわね! カモって何よ! 本当小者ねあんた! 警ら隊に突き出してやろうかしら」
ヒルマがワンの首の後ろの服を掴んで持ち上げた。
「国境に放り込んだらボコボコにされるんじゃないか?」
「あらヒルマさん頭いいわね」
「ひいっやっやめてくれ!」
「やっちまえヒルマ」
「おう」
ヒルマはワンを持ち上げたまま飛び出して行ってしまった。ワンの泣き声が遠くなっていくのが聞こえた。
ユサとクリスティナが顔を見合わせ、次いで笑う。
「あはは、怖かった!」
クリスティナが楽しそうに言う。
「何言ってんだ、この場で一番怖かったのがクリスティナだったぞ」
「やだユサったらあ」
笑いながら言い合っていると、おずおずとヨルクが声をかけてきた。
「あの、何か僕騙されてたみたいで、ありがとうございました。えーと、クリスティナさん?」
「はい、クリスティナです」
ヨルクの手は震えている。それでもクリスティナの手を握り合わせると、信じられないものを見るような目でクリスティナを見つめた。
「あの、先程仰ってたことは本当なんですか?」
「えーと、母のことは本当よ? 社会勉強は嘘だけど。私、家出してきたの」
ふふ、とクリスティナが笑う。ヨルクがクリスティナを見つめる目には熱が篭っていた。まるで女神を崇める様な、そんな目つきだった。
「では、本当に白磁国の聖女様……」
「やあね、様なんてよして頂戴な。私、恋愛をしたくて国を飛び出してきたのよ。でもひとりでやっていくには職と住居が必要じゃない? それを今日は探しているところだったの。だから、よかったらこのまま私をここで雇っていただけると嬉しいんだけど」
「も、も、勿論です!」
ヨルクの手に更に力が篭った。クリスティナがそれに気付くと少し照れ臭そうにした。なんせ人生初の男性との接触である。
「男の人の手ってこんなにゴツゴツしてるのね」
顔を赤らめてそんなことを言い始めた。立派な殺し文句である。勿論本人に自覚はない。
「あああああのっ貴女がよかったらなんですがっ」
「なあに?」
ふたりとも顔が真っ赤だ。ユサはそんなふたりの様子を生暖かい目で見守った。人が幸せに一歩踏み出すのをただ眺めるだけなのも案外悪くはない、そう思った。
「ぼ、僕の家に一緒に住みませんか!」
「えっ」
いきなり随分と飛躍した話だが、クリスティナの様子を見ると満更でもなさそうだ。
口元を緩ませながら、上目遣いになって返事をした。
「あの、その、私、貴方の作品を外から見て一瞬で好きになってしまって、そんな作品を作る貴方もきっと悪い人じゃないのかと思うんだけどどうなのかしら?」
男はこんな顔をされたら堪らないだろう。
女性が苦手と言っていたヨルクでさえこれだ。
ヨルクがクリスティナに顔を近付けた。
「ぼ、僕は、悪いことはしません! きっと貴女を守ってみせます!」
いつの間にか告白になってないか。ユサは腕組みをしながらクリスティナがどう反応するかを待った。
クリスティナが言った。
「わ、私も貴方を守るわ!」
会ったばかりで大丈夫だろうか。若干不安だったが、刺繍の腕は立派だ。それにクリスティナの商才が加わればとりあえず生活は問題ないだろう。
それに、このヨルクという男はどうも奥手そうだ。そう簡単にクリスティナに手を出したりはしないだろう。
数日様子を見て問題がなければこの町を立とう。そう考えていると、カランカランと鈴の音がした。ヒルマだった。
「ただいま。……て、今どういう状況?」
あまり興味がなさそうに尋ねてきた。ユサが教える。
「クリスティナの職と住む場所が決まったところだ」
「おう。そりゃよかった」
ヒルマはユサの隣に来るとまた腰に手を回した。ヒルマの身体はひんやりしている。外を走ってきたからだろう。ユサはヒルマの腰に両腕を回すと、ぎゅっとした。
「冷えてるぞ。そうだ、あのワンて奴どうなったんだ?」
「ん? 放り込んできた。ついでに門番に、絹を高値で売りつけてぼったくってたって言ったら連行されていったぞ」
ヒルマはユサの頭をクンクンしている。ポツリと呟いた。
「ユサから抱き締めてくれるなんて、夢みたいだ」
「風邪引いても困るしな」
「それでもいい」
ヒルマの腕の力が強くなった。がしかし、この場でこれ以上いちゃついている場合ではない。
もうひとつ解決しないといけない件があった。
もそもそ、とヒルマの腕の中から顔を出すと、相変わらず手を取り見つめ合っているクリスティナとヨルクに尋ねた。
「で、結婚してるってことになってんのはどうすんだ?」
手を取り合ったまま、クリスティナとヨルクがユサを見た。
忘れていた、ふたりともそんな表情をしていた。
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