第59話 新たな関係

 暗闇の中、ユサはヒルマに横抱きにされていた。ユサを抱えるヒルマは、夜の町を静かに歩いている。


「もう大分遅くなっちゃったなあ。ユサ、静かにね。クリスティナが起きると面倒くさそうだし」


 満足げな顔をしたヒルマが、腕の中のユサに笑いかけた。ユサはぐったりとしている。移動やらその後の何やら諸々あり、さすがにもう体力の限界を迎えていた。


 ユサは呆れて言う。


「お前は元気だな」

「おう、元気なのが俺の取り柄だからな」


 心なしかヒルマの肌ツヤがよくなっている様に見えた。どれだけの底なしの体力か。ユサはげんなりとした。


「元気すぎなんだよ、俺の身にもなってくれ」

「すまん、つい」


 ヒルマがにへらと笑った。何がつい、だ。ユサはイラッとした。つい文句が口から飛び出す。


「そもそも襲えって言ったのはそっちなのに結局最後は逆になってたじゃねえか」

「はは、でもまあこれでもう男でも俺なら怖くないっていうのが分かったんだし結果よかったんじゃないか」


 反省のはの字もない。噛み合わない会話に頭が痛くなってきた。ヒルマが心配顔で顔を近付けた。


「ユサ、帰ったらゆっくり寝た方がいいぞ。顔色が悪い」

「疲れたんだよ。お前のせいだお前の」


 ユサは半眼でじと、とヒルマを見上げた。体中につけられてしまったあとを見る。


「しかも何だこれ、お前つけすぎなんだよ。クリスティナに見られたらどうすんだ」

「すまん、つい」

「ついついって、これだから考えなしは」

「いや悪かったって。頭が真っ白になっちゃって、はは」


 はは、じゃない。ユサの抗議をヒルマがのらりくらりと躱している内に、ふたりは宿の玄関まで辿り着いた。先程鍵は閉めてこなかったので開いている。ヒルマが身体でそっと押して開けた。


 宿の中は暗い。先程帰り道で回収したランタンは倒れた拍子に油が漏れてしまって役に立たなくなってしまっていた。


「そういえば部屋の鍵開いてるのかな? 開けっ放しで出て行ったからなあ」


 小声でヒルマが言う。それを聞いてユサは急に不安になってきた。


「お前あの世間知らずの女を鍵開けっ放しの部屋に置いていったのか?」


 この辺りは治安もいいし、クリスティナは来る途中誰かに見られた訳ではないので大丈夫だとは思うが。


「仕方ないだろ、急いでユサを追いかけたんだから」


 あの場に居られず思わず逃げてしまったのはユサだ。追いかけて欲しいと言った訳ではないが、結果として追いかけさせたのであればまあユサにも非はあるに違いなかった。


「謝んないとな」

「別に大丈夫じゃないか? あいつがユサのこと追いかけて恋人未満の未満を取れって言ってたぞ」


 そんなことを言ってたのか。どうも恋愛小説をかなり読み漁っていたふしがあるので、恋の駆け引き程度は男を見たことがなくとも何となくある程度は分かるのかもしれなかった。


 だが、その先のことは知っているのだろうか。聖女様には刺激が強すぎてひっくり返るんじゃないか、そう思うとげんなりした。


「まあ、ひとりにしちゃったしな。ちゃんと謝るよ」

「ユサは律儀だなあ」


 部屋の前でヒルマがユサを降ろした。ユサが軽くノックをする。ドアノブを回すと、やはり鍵はかかっておらずすんなりと開いた。


「クリスティナ?」


 ユサが部屋を覗くと、中はまだ明るい。ベッドに腰掛けていたクリスティナがはっとして振り返り立ち上がった。


「ユサ! ああ、帰りが遅いから心配してたのよ!」


 涙目で駆け寄ってきた。ユサとヒルマは室内に入るとドアを閉めた。もう深夜だ、あまりうるさくしては苦情が入ってしまう。


「ごめん、遅くなって。それに悪かったよ。クリスティナは何も悪くないのにな。びっくりしただろ?」

「私はいいのよ、ユサが無事なら。――てユサ、その怪我どうしたのよ⁉︎」


 クリスティナがユサの身体中に付いた痣に気付くと半泣きになった。こいつは根がいい奴なのだ、そうユサは思った。だがさてこれをどう説明しようか。


「えーと、これは怪我じゃないから問題ない」


 クリスティナが目を剥く。慌てたようにユサの服をくり、布で隠れている部分も確認しだした。


「だってこれ! 首にも胸元にも腕にもお腹にも! やだ太ももの内側にもあるじゃない! 何よこれ! 痣になってるじゃない! あっ頭に枯れ葉がついてる! もう、一体何があったのよ!」

「えーと」


 結局こういうことになるのだ。本当に頭が痛くなってきた。ヒルマの目の前で詳細を説明させられるのは勘弁してほしかった。思わず恨めしい目で横で飄々とふたりの様子を眺めているヒルマを見ると、ユサの視線に気付いたヒルマが何を勘違いしたのか説明を始めてしまった。


「クリスティナ、ユサの言う通りこれは怪我じゃない」

「えっじゃあ何よ」


 クリスティナが泣きそうな顔でユサに毛布を羽織らせて頭の枯れ葉を取った。ユサはどうしていいか分からずただ立ち尽くすばかりだ。


 ヒルマがクソ真面目な表情で更に説明し始めた。


「これはキスマークというものだ」

「キ、キスマーク?」


 ヒルマが深く頷く。


「そう。口で強く吸って痣を付けるものだな。まあ簡単に言うとこれは俺のものだっていうしるしをつける行為のことを指す」

「く、口で……」


 クリスティナの顔は引きつっていた。ユサとヒルマを交互に見比べ始める。


「えっえっということはこれはヒルマさんがユサに付けた印ってこと?」

「そうだ」


 ヒルマが更に深く頷いた。ユサはもうこの場から居なくなりたかった。


「えっだって太ももの内側とか……えっ!?」


 何かを想像したらしくクリスティナは目を白黒させた。ヒルマが余計なひと言を追加した。


「つまり恋人未満の未満が無事取れたということだな」

「お前はもう黙っててくれ……」


 ユサが額に手を当てて何とかそれだけ絞り出した。ヒルマが心外そうに言った。


「なに。俺はてっきりユサが俺に代わりに説明してくれと助けを求めてるかと思って丁寧に説明をしたのに」

「求めてねえ……」

「そうだったのか? そりゃすまん」


 ユサはちらりとクリスティナを見る。クリスティナは両頬を手で押さえ、顔を真っ赤にしてふたりを見比べていた。ユサは大きな溜息をついた。


「えーと、クリスティナ。明日、じっくりと説明する。だから今日はもう休ませてくれ。さすがに疲れたんだ」

「はは、つい止まらなくって」


 また余計なことをぽろりと言ってしまったヒルマの腕をペチンと叩いた。低い声でひと言。


「黙っとけ」

「……はい」


 真っ赤になって固まっているクリスティナに声をかける。


「とりあえず寝よう。俺も一緒のベッドに」

「ユサはこっちだ」


 ヒルマがひょいとユサの腰を抱えてしまった。足がぷらんと浮く。


「おいっ」

「クリスティナだって俺がいっぱい触りまくったユサの身体の近くで寝るのは抵抗あるんじゃないか?」


 何でもないことのようにヒルマがそう言ってクリスティナを見る。クリスティナは無言でコクコクと頷いていた。ああ、もう。この先これがずっと続くのか。そう思うと脱力感が一挙に襲ってきた。


「もう、いい……。分かった。寝る」

「早く寝た方がいい。じゃあクリスティナ、お休み」

「あ、お、お休みなさい」


 ヒルマはユサを抱えたまま衝立の反対側にあるベッドにユサを腰掛けさせると、しゃがんでユサの靴を脱がせ始めた。こういうのは不器用な筈だったが、脱がせる位は問題ないらしい。あっさりと両足分を脱がすと、ユサのふくらはぎをそっと持ちあげた。


「沢山歩いたもんな。ありがとうな、ユサ」


 そう言うと、ふくらはぎを揉み始めた。確かに今日は歩きすぎて足がパンパンになっている。


「寝てていいぞ、ほぐしておいてやるから」


 ヒルマはユサを抱えてきちんとベッドに寝かすと、自分はベッドに腰掛けて膝の上にユサの足を載せてほぐし始めた。衝立の向こうでクリスティナがランタンの火を消したのだろう、部屋は燭台のろうそくの火の灯りだけとなった。ヒルマの手が温かくて気持ちいい。


 ヒルマとの関係は、今日から恋人ということでいいのだろうか。でも変わらず相棒だ。相棒で恋人で。この先また新たな関係にもしなったら、それに変わっていくのだろうか、それとも今のものに足されていくのだろうか。


「ヒルマ」

「おう」


 いつもヒルマに甘えてばかりだ。今日だって今だって、甘やかされて。でも、それもこれも全部。


「俺がお前の欠けたものでよかった」


 ヒルマのハッと息を呑む音が聞こえた。一瞬足を揉む手の動きが止まったが、しばらくすると再び動き始めた。先程よりももっと優しく。


 どんどん睡魔が襲ってくる。もう目が開けられなくなってきた。


 ユサは心地よい夢の中へと向かった。

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