第58話 確認

 ユサは肩を震わせながら泣いていた。


 あまりの自分の醜さに嫌になった。自分のものでもないヒルマの行動に嫉妬して、それに耐えられずただ逃げ出して、情けないにも程がある。


 消えていなくなりたかった。もう、嫌だった。


 なのにヒルマは追いかけてきた。結局こうやって捕まってしまった。そうしたらまた絶対甘えてしまうだけなのに。


「ユサ、ユサの何が駄目なんだ? 全然駄目なんかじゃないぞ」


 そういって頬を愛おしそうに撫でてくる。こうやってまた甘やかすのだ。


 ユサは声を絞り出した。


「俺……ヒルマに会ったら、ちゃんと今の俺の気持ちを伝えようと思ってたんだ」

「ユサの気持ち? 聞かせてくれよ」


 囁く様な、期待する様な声色。


「でも、でも、俺はヒルマは俺のもんでも何でもないのに嫉妬したりして醜くて」


 涙が止まらず、ついしゃくり上げてしまった。まるで子供みたいに。


「いつかヒルマがそんな俺に愛想尽かして離れてったら、もう俺は立ち上がれない。だったら、始めからヒルマなんかいない方がいいんだ」


 両手で目を覆う。嗚咽が止まらなくなってきた。こんな情けない姿、一番見られたくないのに。

 ユサの頬にあったヒルマの手がユサの片手を掴んだ。


「ユサ、それは俺のことが好きってことか?」


 信じられないものを見るような、だが嬉しそうな目でユサを見ていた。


「ユサ、俺を好きになってくれたのか?」


 なんでこいつは嬉しそうにするんだ。今、ヒルマなんていない方がいいと伝えたばかりだというのに。やはりこいつは考えなしなのだ。言っても通じない。ユサの何かがブチ、と切れた。


「……そうだよ。そうだよ! 俺はヒルマのことが好きだよ! だから一緒にいたくないんだ!」

「何でそうなるの?」


 ヒルマの頬が緩む。ああ、話が伝わっていない。更に苛々してきた。ユサは嗚咽を極力抑えながら一所懸命伝えようとした。


「ヒルマはもう欠けたものが全部揃って、でも俺は欠けたままだろ」

「ユサの何が欠けてるんだっていうんだ」


 すぐにそう混ぜ返す。ヒルマの反対の手もユサの手を握り、顔が全部あらわになってしまった。


「俺は他人の為にも泣けやしないし、男だってまだ怖いし、いっつもヒルマに寄っかかって甘えてるだけじゃないか!」


 ヒルマの唇がユサの涙を掬い取った。青い瞳が月の光を移して輝いていた。


「何言ってんだ、今回だってユサはひとりの力で俺の欠けたものをふたつも見つけてきたじゃないか。それのどこが寄っかかって甘えてるんだ」


 ヒルマの温かい息が目にかかる。


「なあユサ。ユサはずっと変態にとっ捕まってたから見たことがないものや知らないことはそりゃあるだろうさ。だからそれを俺がどんどん足してやりたいんだ。ユサが楽しいもの、ユサが見たいもの、ユサが悲しむものだって全部俺が、俺だけが足していきたいんだ」


 反対の涙も唇で受ける。


「でも、俺こんな醜い嫉妬して」


 ヒルマが眉をしかめた。


「何言ってんだユサ、好きなら当然のことだろう。それに今回のは俺がユサを不安にさせたからだろ?」

「だって、ヒルマは俺のものでもないのに」


 そう口に出すとまた悲しくなって涙が溢れ出した。ヒルマは心底意外そうな顔になる。


「何言ってんだユサ。俺はもうとっくにお前のもんだ」

「……はあ?」


 一体いつからそんなことになったんだろう。ユサにそんな認識はなかった。ヒルマがユサの額に自分の額をくっつけた。


「好きだって言っただろう。ひとりにしないでくれって、置いていかないでくれって言っただろうが」

「言った、けど」

「もう俺は全部ユサのもんだってそういう意味だよ。通じてると思ってたんだけどな」


 囁く様に言われた。そういう意味だったのか。全然分からなかった。


「だからもし今後俺がユサを悲しませる様な素振りをもしもだぞ? もしも見せたら、その時はユサらしく俺を蹴ればいいんだ。何やってんだ自分だけを見ろ、ふざけんなって怒っていいんだ、責めていいんだよ。ユサにはその権利がある」


 そっと口づけをされた。どんな権利だ、それは。それに。


「そもそもお前俺の何が好きなんだよ……いいとこなんかひとつもねえじゃねえか。怒ってばっかで、捻くれてて、すぐ泣いて」


 そう、自分が何故ヒルマに好かれるのかが分からなかった。こんな欠けたものだらけの自分の一体何がいいのか。

 ヒルマが微笑んだ。


「俺は、ユサが初めて草原を見て笑った時、こんなにも輝いてる光のような人を初めて見たと思ったんだ。この人を全部奪って俺のものにしたいと思った」


 草原? 翠国に入るあの時か。あんな会ったばかりの時から? 全然、全く気付かなかった。


「俺がどんどん色んな物をユサに見せて喜こばせたら、そんなユサがもっともっと見れる。もっと見たい、ずっと見ていたい、それでその内俺を見ることで更にもっともっと輝いてるのを見られたらいいなって思ったんだ」

「俺は……欠けてていいのか?」


 ヒルマが頷いた。


「欠けてない人間なんかに俺は興味はない。俺はそんなユサだからいいんだ」


 それに、とヒルマは少し照れたような顔になった。


「俺は欠けたもんばっかだけど、ユサも俺が好きなんだろ?」


 嬉しそうに目を輝かせて、乙女のように頬を赤らめて。この気持ちをなんと言えばいいのだろうか。ユサは考えた。そう、この気持ちは。


 いとしい、だ。


 ヒルマが続ける。


「なあユサ。盗賊が欲しいって思ったもんを手に入れようとしちゃいけないのか」


 そんなことはない。だって、ユサもヒルマも盗賊だ。生きる為に選んだ職業ではあるが、それでもそこにあるのは誇りだ。自分の欲しいものは自分で手に入れてみせるという自信だった。


 だから首を横に振った。

 ヒルマが破顔する。

 

「だから俺は、輝いてるユサを永遠に独り占めするんだ」

「ヒルマ……」

「ん?」

「それは俺もいいんだよな? 俺も、お前を独り占めしていいってことなんだよな?」

「勿論だ。それにもうとっくに独り占めされてる」


 そう言うと、ヒルマがまた口づけをしてきた。ユサも、今度はもう抵抗はしなかった。ユサが顔を離した。


「そういえば、あれ呑めよ」

「なに突然」

「あれ。俺が盗ってきた分もさっさと呑んだら後は残すところは俺だけだ。それとも月明かりの中じゃ呑めないか?」


 どうせならもう誰も取り返せない様にヒルマの中に返してしまいたかった。


「いや、そんなことないけどさ、今ほら折角両思いを確認し合ってた雰囲気が」

「乙女なこと言ってねえで呑め」

「はい」


 ヒルマがズボンのポケットから金属のしおり紅国こうこく皇子から分捕った指輪、今日ユサが盗んできた赤い石ふたつを取り出した。全て仄かに光を放っていた。

 ユサがくすりと笑った。ヒルマが首を傾げる。


「なに」


 まだ涙の残る顔を今度は笑顔にしてユサは伝える。


「いやさ、白磁国はくじこくで祀られてたのって何だと思う? お前の性欲だよ、性欲。あはは」

「そりゃ随分と悪趣味だな」

「だろ?」


 ヒルマはまずは金属の栞を力技で小さく折りたたみ始めた。


「これが一番大変そうだからな」


 なるべく小さく畳み、そして口をぱかっと開けると入れた。呑みにくいのだろう、しばらくもごもごとさせていたが、覚悟を決めたのか一気に燕下した。喉がごくん、と鳴った。

 ユサがヒルマの顔を覗き込む。


「どうだ? 何が戻った?」


 ヒルマの腹がぐううう、と返事をした。


「はは」


 ヒルマが苦笑いする。内臓感覚だった。


「よし、残りもいけ」

「おう」


 ヒルマは残りの3つを一気に口に放り込んだ。ひとつずつ燕下しているのか、時間がかかっている。ユサはヒルマの様子を見守った。

 全て呑み込み終わった。


 ユサは手を伸ばすと、ヒルマの頬をつねった。


「いて」

「お、戻ったか」


 ユサの太ももにあるナイフをスラリと抜く。ヒルマの顔が引きつった。


「え、ユサ、それどうするの」

「少しだから。ほら手を貸せ」

「痛くしないでね」

「だから乙女か」


 差し出されたヒルマの指の腹をナイフの刃でスッと切った。つ、とヒルマが言う。切られた指の腹から赤い血が溢れてきた。そしてすぐに傷が閉じていった。


 ユサとヒルマが顔を見合わす。


 ユサが恐る恐る聞く。


「……で、残りひとつはどうなんだ?」


 ヒルマのユサを見つめる目が艶めいて見える。ヒルマの視線はユサの胸、丸見えの腹、次いでヒルマに跨る剥き出しの太腿に注がれた。


 ヒルマの手がユサの腰に伸びる。外気で冷えた肌にヒルマの手はとても熱く感じられた。


「おい、どうなんだって」

「ユサは、まだ怖いか?」


 それが答えだった。ユサの心臓が飛び跳ねた。自分の顔が赤く熱を発し始めたのが分かった。


 相手を自分から求めたことはない。いつもそれは向こうからやってくるものだったから。


「正直、分からない」


 ヒルマの手が背中に伸びてきた。くすぐったい。ヒルマの熱い目の意味は分かっていた。


「その格好、背徳感あって唆るな」

「な、と言われても」


 ヒルマが顔を近付けてきた。


「なあ、怖いかもしれないなら、ユサが俺を襲えばいいんじゃないか?」

「はあ」


 嬉々とした表情で提案してきた。大丈夫かこいつ。


 ヒルマは至って真面目だった。


「今もほら、上に乗ってるし。はは、なんて」


 ユサは少し考えた。確かにユサが襲う分には怖くはないかもしれなかった。


「いい考えだな」


 ユサが真面目に返した。ヒルマの口の端が半分笑顔のまま引きつる。


「まさかここでなんてことは……ないよね?」


 やはりヒルマは乙女だった。ユサはヒルマの頬を両手で挟み込んだ。もう逃すか。


「そのまさかだ。文句言うんじゃねえ」

「……はい」


 ユサは、まずはヒルマの口を奪うことから始めることにしたのだった。

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