第57話 追いかけっこ

 3人はとりあえず宿に向かうことにした。


 道中、ヒルマがヒソヒソとユサに聞いてきた。


「国外に出たことのない世間知らずなんて一緒に連れてきちゃってどうするんだよ。俺は嫌だぞ、連れ歩くのは」

「まあそうなんだけど、結構出自が拙くてさ。後で詳しく話すから」

「本当ユサって俺以外にはお人好しなんだから」


 ヒルマはブツブツと愚痴を言いながら膨れている。手は当たり前の様に腰に回されていた。布が薄い分、ヒルマの手と腕の体温が直に感じられてしまい気恥ずかしい。


「ユサ、それにしてもその格好はどうしたんだ。絶対女らしい格好なんて嫌だって言ってたのに」

「神殿から抜け出すのに目立たないようにってクリスティナに着ろって言われてさ」

「まあ男がいない国だったからいいけどね。後で着替えろよ」


 ヒルマが口を尖らせて言った。ユサも頷く。


「腹が冷えるからな」

「そういう意味じゃない。他の男の目に入るのが嫌だって言ってるんだ」

「誰が」

「俺が」


 再会してからのヒルマは随分と積極的だった。それとも元々こんなのだっただろうか。まあ何だかんだですぐにくっつこうとするのは変わりない。牽制も、今考えればリン・カブラにもしていたしマージのところのカイルにもあからさまに敵意をむき出しにしていた。アキになんて最たるものだった。


 ふと疑問に思う。こいつ、一体いつからユサのことを好きになったんだろうか。会ったすぐ後からあまりにも態度が一貫しているので全然気付かなかったのだが。


 がしかし、気にはなるがそんなことを聞ける訳がない。返答に困りそのまま無言で宿まで辿り着いてしまった。受付は薄暗かったが、ヒルマが店主に話を通しておいたそうでランタンがひとつ受付に置いたままになっていた。


「俺が行ったり来たりしてたから気になったみたいで、今夜は特別だって宿の玄関の鍵も貸してくれた」

「お前そんなに何度も往復してたのか」

「だって石が段々強く光る様になったら気になるだろうが」

「はあ」


 ヒルマが部屋の鍵を開ける。中には燭台とランタンが置いてあり、ヒルマはその両方に受付にあったランタンの火を移していくと、部屋が一気に明るくなった。


 部屋にはベッドがふたつ、間には衝立がある。ユサはベッドのひとつに腰掛けると、背負っていた鞄からズボンを取り出し、その内ポケットから赤い石をふたつ取り出してヒルマに差し出した。


「ほら、これだ」

「おう」


 ヒルマが受け取りつつ隣に座る。胸元からネックレスを取り出すと、石を近付けてみた。残りの黒い石5つ全てが光を発していた。ユサはそれを眺める。綺麗だな、と思った。これはヒルマの命そのものだ。


「全部揃った。ユサがいなかったら叶わなかった。ありがとう、ユサ」


 ヒルマはそういうとユサの頭を髪を梳くように撫でた。くすぐったいが、褒められるのは嬉しい。ユサは思わず微笑んだ。


「あのー」


 若干居心地が悪そうなクリスティナが反対側のベッドに腰掛けつつおずおずと話しかけてきた。


「で、そちらの方を紹介してもらってもいいかしら?」


 そうだった。


「これはヒルマっていうんだ」

「これはなくない?」

「いいだろ別に。で、俺と一緒に探しものをしつつ旅をしてる」

「それだけ? もう少し何かあるだろうが」


 ユサは昔のヒルマをよく知っている訳ではない。知っているのはほぼ現在のヒルマだけだ。紹介などこんなものだった。


 クリスティナにしてみれば初めて見る男性だ。興味津々といった風にヒルマをジロジロと見ていた。


「で、ふたりは恋人未満なのよね? 私男の人って初めて見るけど、ヒルマさんって結構格好いい方なんじゃないの?」


 品定めする様にクリスティナが言った。ユサはどきりとする。暗い通路の中で思わず考えてしまった最悪の発想が、まさか現実になるのか。隣に座るヒルマを見上げる。


「え、俺格好いい?」


 ヒルマがクリスティナに聞き返してにへらと笑った。満更でもないらしい。ユサの胸の中に、少しずつ醜い暗いものが奥底から溢れ出てきた。


 ヒルマとクリスティナはそんなユサの様子には気付かずに軽口を叩き合う。


「格好いいと思うわよ。ユサが振っちゃうなら私が名乗りを上げたい位だったわよ」


 こちらもお世辞でもなさそうなことを言い始めた。ユサの目の前で。ヒルマが照れた様に頭を掻く。


「いやあ、俺はユサを守るって決めてるから無理だな、悪いなあ」


 デレデレしながら言う台詞か。何が守るだ、別の女に鼻の下を伸ばして。ユサは唇をきつく噛んだ。ふたりはそれでもまだ会話を続けている。


「うんうん、それでこそ恋愛小説で読んだ主人公を守る騎士って感じでいいわよ」

「おう。それは嬉しいことを言うな。あんた悪い人じゃなさそ――ユサ?」


 ユサは頭の上のヒルマの手を振り払った。もう、無理だった。ふたりが仲良くなっていく様子など見ていたくなかった。


 立ち上がった。


「散歩に出てくる」

「え、ちょっとユサ、待て待て」


 ヒルマが顔に笑顔を残したまま止めに入ったが、もうこの場には居たくなかった。


「クリスティナと話でもしてればいいだろ」


 ドロドロの気持ちをうまく表現出来なくて、ただそれしか言えなかった。ランタンをひとつ取り、そのまま走って部屋の外に出た。


「ユサ!」


 ヒルマが立ち上がる。顔からは笑顔は消えていた。


「何だ? 何でいきなり? 怒ったのか?」


 混乱した様子のヒルマに、クリスティナがクソ真面目な顔で頷いた。


「成程、これが恋の嫉妬ってやつなのね! 初めて見たわ!」


 ヒルマが驚いた様にクリスティナを見た。


「ユサが? ……嫉妬?」


 クリスティナが更に深く頷いた。


「私と話していることに嫉妬しちゃったのね、ユサってば可愛いんだから」


 クリスティナが自分の頬を押さえてほう、と羨ましそうな溜息をついた。


「あの子、暗闇で泣いてたわよ。寂しそうな顔で。ほら、早く行ってあげなさいな。恋人未満の未満を取るいい機会よ! それにきっと待ってるわよ」

「ユサが、寂しそうに泣いてた……嫉妬……」


 ヒルマはそう呟くと、一気に部屋の外に飛び出していった。


 部屋にひとり残されたクリスティナが笑った。


「ああ羨ましい! 私も早く相手を見つけなきゃね!」







 部屋を出たヒルマはユサを探す。ユサは宿から出てしまったらしく、玄関のドアは開け放たれたままだった。ヒルマは外に出てからそのドアを締める。


 辺りを見回す。その顔からは余裕は一切見られなかった。


 通りの暗闇の奥にチカ、とランタンらしき光が一瞬見えた。


 ヒルマはその方向に全速力で走り出す。


 秋の夜の風は身を切る程冷たいが、ヒルマは気にしない。



 目指すのは、暗闇の中ヒルマから逃げようとしている彼の光ただひとつ。



「ユサ!」


 声に驚いたのか、ランタンの光が地面に転がった。白い巫女の服に光が少し反射する。


「行くな!」


 暗闇の中を月明かりに薄く光る白い服を追う。走っているのか、なかなか近付かない。


 ヒルマはスピードを更に上げる。地面に落ちているランタンを通り越した。白い華奢な足をむき出しにして全速力で走るユサが確認出来た。


 先を行くユサが左手に折れた。昨日ユサとヒルマが過ごした紅葉が綺麗だった公園がある方だった。ヒルマもすぐにユサが曲がった場所まで追いつくと、右足を蹴って一気に左へと折れた。


 月明かりを浴びる公園の落ち葉の上をユサが走っているのが見えた。


 ヒルマは全速力で走り続ける。あと少しで追いつく。


 ユサが落ち葉に足を滑らせたのか、地面に倒れそうになった。


「ユサ!」


 ヒルマがその場から飛んだ。空中でユサを受け止め、身体を回転させてヒルマは背中から地面に落ちる。勢いがついていた為、ユサを上に乗せたまま背中でズササ、と滑っていった。


 ようやく止まると、抱き締めたユサを見るがユサは顔を上げない。


「ユサ、どこか怪我しなかったか?」


 ユサの細い肩が震えている。ヒルマは上半身を起こし、自分の太ももの上にまたがった体勢になったユサの両肩をそっと支え、顔を覗き込んだ。


「ユサ?」


 もう一度聞く。暗くてよく見えない。片手で頬に触れてみた。濡れていた。


「ユサ、俺が他の女と話してて、その……嫉妬、してくれたのか?」

「……そうだよ。俺は嫉妬した」


 ユサがようやく返事をした。ヒルマの弾む声。


「それ、本当?」

「本当だ。俺は駄目な奴だ。もう嫌だ、こんな自分」


 ユサのその声には、絶望の響きがあった。


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