第56話 再会

 美味しそうな夕餉の香りを立ち上らせていた町を通り過ぎ、段々と人家がまばらになってきた畑と草原をふたりは進む。


 宵闇の時間は終わり、今は月がふたりの進む白い石畳を明るく照らしている。ここまでかなり早いペースで来れた。これならもう少し歩けば国境まで達するだろう。


 ただ、問題がひとつあった。


「なあクリスティナ、お前顔がばれてんじゃないのか? 国境にある関所には兵士がいたぞ。通れんのか?」

「まさか聖女様がこんな国境まで来るなんて思わないんじゃない? それに今はただの巫女の格好してるし、教皇様のお使いってことで押し通すわよ。その為にほら」


 斜めがけしている鞄の中から封書をひとつ取り出して見せた。


「何だそれ」


 クリスティナが自慢げに言った。


「へへーん。これ、お母さんが書いた本物の手紙。外の国にいるお父さん宛なの。お父さん、そこそこ権力者だから名前を出せば通れるわよきっと」

「へえ。まだ繋がってたんだな」

「まあいい金づるだからね。外につてがないと産業を続けていくのも難しいし」


 本当にただの実業家だ。


「ただとにかくしつこいらしくって、それでお母さんてば国を男子禁制にしちゃったのよ」

「ただの自己都合じゃねえか」

「そうとも言うわね」


 クリスティナが笑う。


「私にも会いたいみたいだし、行ってみるのもいいかなって」


 一応国を出た後のアテはあったらしい。ヒルマと違って全くの考えなしという訳ではないようだった。


「なんせお母さんに国土をぽんとあげちゃうくらいだからね、相当好かれてるわよねぇ」

「……おい、どういうことだ」


 何だかやばそうな話になってきた。国土をあげられる立場にいる人物など限られている。


墨国ぼくこくとかいう国の王様やってるらしいわよ。でも正妻はいるし、他に子供もゴロゴロいるみたいだからお母さんはそういうのも嫌だったみたい。お母さん、自分が一番じゃないと嫌なのよね」

「は、はは……」


 墨国の王と白磁国の教皇との間に生まれた子供。こんなのを野放しにして大丈夫なんだろうか。ユサは段々不安になってきた。だからといって、墨国の中心に足を踏み入れて送り届ける気はない。墨国の来賓の股間を蹴り上げて失禁させて逃げたお尋ね者だ。ばれたらただでは済まないだろう。


「クリスティナ、その話は外ではしない方がいいぞ」

「え、そうなの? 誰かに墨国まで連れて行ってもらおうかと思ったんだけど」


 ユサはクリスティナの気楽な考えに呆れ返った。


「お前父親を訪ねる気だったのか? 正妻がいるところに愛人との間の子供が行ってみろ、何されるか分からないぞ。うまく潜り込めたとしても、政略結婚に使用されるのがオチだ。やめとけ」

「政略結婚……。それはイヤね。相手は自分で選びたいわ」


 クリスティナが賛同した。こんなんで本当に大丈夫だろうか。益々心配になってきた。だがユサはこの後もまだヒルマと旅を続けねばならない。このお嬢様を連れて歩く訳にはいかなかった。


 まずはヒルマと相談しよう。そう心に決めた。







 国境との境目にある鉄格子が見えてきた。時間はもう深夜だが、関所の前には篝火かがりびが焚かれており明るかった。


 鉄格子の向こう側に、篝火の光をゆらゆらと映した大きな影が見えた。あれはまさか。


 胸元のネックレスを持ち上げ見ていた影が、はっとした様にユサの方を見た。


「教皇様のお使いです」


 クリスティナは緊張のひとつもせず関所で見張る女兵士に堂々と封書の宛先を見せている。ものすごい度胸であった。これであればどこでも生きていけそうだな、そう思った。


 何の問題もなく関所の鉄格子の扉が開いた。影が扉の前に近付いてきていた。



 胸が詰まった。


「なんて顔してんだよ」


 今にも泣き出しそうな顔をして立ち尽くしているヒルマに笑いかけた。ヒルマがユサに一歩ずつ近付いてくる。ユサもヒルマに向かって歩く。


「ふたつとも手に入れたぞ」


 そうヒルマに笑いかけると、いきなりヒルマの大きな腕の中に抱きすくめられた。風に当たり大分肌が冷えていたからか、ヒルマの身体はとても温かく感じた。この温かさは悪くない。そう思った。


 でも聞かなければ。顔をヒルマの胸の中からもぞもぞと出してヒルマを見上げる。たった一日しか離れていなかったのにとても懐かしく感じる無精髭を見た。


「俺、偉いか?」

「……おう」

「何だ、それだけかよ」


 ユサが不貞腐れる。折角頑張ったのに全然褒めてもらえないとつまらない。すると、ヒルマの腕に更に力が籠もった。さすがにこれは苦しい。


「ヒルマ、ちょっと痛い」

「ユサ、よくやった。ユサは本当に最高の相棒だ」


 ズビ、と鼻を啜る音が上から降ってきた。ユサは右手を伸ばすと、ボサボサの青黒い伸びた前髪をどけてヒルマの目を探した。青い綺麗な吸い込まれそうな瞳がユサを見返してきた。


「……お前泣いてんのか」

「仕方ないだろ、不安で不安で心配で胸が張り裂けそうだったんだ。会えたらほっとしたから」

「何だそれ。俺のことちっとも信用してなかったんじゃねえか」

「じゃあ言い方を変える」

「はあ」


 不安で心配だったことに他の言い方があるのだろうか。


「俺が寂しかったんだ」

「……相変わらず乙女な発言だな」

「ユサの前では俺は乙女になるんだからいいんだ」


 ヒルマの開き直った言葉と共に、泣き顔が近付いてきた。ヒルマの唇がユサのものに触れる。すぐに離れたのでユサが抗議をする。


「おい、する前には聞くんじゃなかったのか……ん」


 また口を塞がれてしまった。今度のは長く深い口づけだった。ユサの冷えた頬に当たるヒルマのチクチクした無精髭がくすぐったい。時折漏れる吐息が温かい。ヒルマの涙の味が混じった。ヒルマがユサの舌を舌で絡め取ろうとどんどん入ってくる。


 ユサは内心焦った。


 こいつ、こんなキスをする奴だったのか。今まではただ触れるだけの軽いキスだったからかそこまで抵抗はなかったが、さすがにこれは恥ずかしい。


 だって、相手はあのヒルマだ。違和感が半端ない。これはちょっと待て、待て待て待て。


 ヒルマの顔を押さえて顔を離した。


「ヒルマ、ちょっと待」


 押さえた手を取られてしまった。そしてまたもや深い口づけ。こいつこんなに激しい奴だったのか? ユサは羞恥と混乱で目を白黒させた。


 いや、別にユサとて経験がない訳ではなく、あのクソ皇子に嫌々だが散々されたしアキともあったこともあるのですること自体が恥ずかしいという訳ではないのだが、そうではなくて相手がこのヒルマだということが恥ずかしいのだ。だって、今まで相棒だとお互い言ってたのに、いきなり飛び越えてまるでこれは恋人同士の様な。いや触れるだけの口づけもあれなのだが、もうこれはその。


 完全に混乱したユサが固まっていると、助けは後ろからやってきた。


「あーその、熱烈な口づけを交わしているところ申し訳ないんだけどちょっといいかしら」


 クリスティナの声がした。ヒルマが初めてそこに他の人が居ることに気付いたかのように顔を上げた。誰? という視線をユサに送っている。ユサの隣を歩いていたというのに、本当に目に入っていなかったらしい。


「あ、あいつはクリスティナっていって白磁国の聖女様だ」

「え? ユサまた変なの引っ掛けてきちゃったのか?」

「ちょっと! 変なのってどういうことよ! あ、そうじゃないの、聞きたかったのはね、さっきユサは貴方のことを恋人未満と言っていたのよ。恋人未満でもそんな口づけを交わすものなのかしら?」


 ヒルマが「こいつ何言ってんだ」という目をして無言でユサに助けを求めてきた。


「クリスティナは国の外に出たことがないんだってさ。だから男を見るのはヒルマが初めてなんだよ」

「また面倒くさそうなのを拾っちゃって」

「ちょっと! 面倒くさそうって何よ!」


 クリスティナが仁王立ちしてふんぞり返る。ヒルマが言葉通り面倒くさそうにユサに尋ねた。


「これ、どうするつもりだ?」

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