第55話 暗闇の通路

 これを果たして外套と定義していいものなのだろうか。


 着用している絹の上下よりは気持ち程度分厚い布で出来た頭と首に巻いて羽織るだけの服を渡されて、とりあえず仕方ないのでそれを羽織った。外は秋だ。明日は鼻水が垂れていそうだった。


「さあ行くわよユサ!」


 自身もユサと同じ格好をし、斜め掛けにした鞄に宝石類をゴッソリ掴み入れた上でクリスティナが拳を握り締めた。


「お、おお」


 やけに張り切っているが大丈夫だろうか。クリスティナが扉をそっと開けて左右を確認する。


「ユサ、こっちよ。堂々とね」


 そう言うとクリスティナはピンと姿勢正しく歩き出した。やましいことをする時は堂々とするに限る。その点はユサと気が合いそうだった。


 ユサは特に気負いもせずクリスティナの後に続く。まあいざとなったらこいつを盾にして逃げればいいか、そんなことを考えていた。女だけなら逃げ切れる自信はあった。今まで容赦ない男どもの中で生き延びてきたユサだ。こんなホワホワした奴らばかりなら余裕だろう。


 細い廊下を進む。しばらく行くと、木のドアが並ぶ場所に出た。


「ここは倉庫よ。この中のひとつに外へと続く道があるの」


 クリスティナはまたキョロキョロと辺りを見回して人がいないのを確認すると、ふたつ目の木のドアを開けた。ユサも続く。


 中に入ると確かに倉庫だ。積まれた木箱が幾つかある。が、ドアを閉めると暗い。奥に開いた小窓から差し込む沈みかけの夕日の光が唯一の明かりだった。


「お前灯りとか持ってこなかったのか?」

「わ……忘れたわ」


 ユサは小さく溜息をついた。


「……急ぐぞ。すぐに宵闇が来る」


 ヒルマから受け売りの言葉を使ってみた。クリスティナが奥の壁をまさぐり、小さな戸の取手を探し当てた。ガコ、と開けると小さな通路が現れた。ふたり、背を屈めながら先へと進む。もうほぼ真っ暗だ。ここから先は手探りで行くしかなかった。


「……宵闇なんてお洒落な響きね」

「はは、国の外で俺を待ってる奴が教えてくれた言葉だ。いいよな。俺も気に入ってるんだ」


 この言葉を聞くと、ヒルマの祈る姿と暗闇の草原の絵が脳裏に甦る。


 あの時、ヒルマは心の中で一体何を祈っていたのだろうか。


 過去の懺悔か、それとも未来への希望か。

 

「あら。ユサは独り者じゃないのね? じゃあ国を出たらサヨナラかしら」

「……あいつは相棒だ。今のところは」


 クリスティナの声が興奮する。


「あいつって何よ! 友達以上恋人未満てやつ? 今のところはってことはユサも割とその気なの? いやああ羨ましい!」

「クリスティナ、声がでかい」

「あ、ごめん。でもいいなあ、私もそういう風に言える相手が早く欲しいわ」


 本当に羨ましいのだろう。ユサはつい笑ってしまった。


 ユサの紅国こうこくでの生活やヒルマとの出会い方を教えたら、きっとクリスティナは引くだろう。もしかしたら軽蔑されるかもしれない。


 この夢見る女は、もしユサと同じことをされたら何を思うのだろうか。それでも幸せな恋愛を夢見て突き進めるのだろうか?


 無知とは幸せなことなのだ。そうであれば、ヒルマの様な忘却も幸せなことなのかもしれなかった。


 ユサの様にいつまでも覚えていてクヨクヨ思い出していたら前には進めないのかもしれない。


 幸せと不幸せの違いとはそういうものなのかもしれないな。初めてそう思った。


「俺もクリスティナを見習おうかな」

「はあ? 何よ藪から棒に」


 奥に光が見えてきた。出口が近いのかもしれない。


「ユサ、もうすぐよ」

「ああ」


 弾んだクリスティナの声。まあ明るい女だ。ユサみたいにいつも怒ってなくて苛ついてなくて、とても女性らしい女。


 急に不安になった。このままいけば、クリスティナとヒルマは出会う。こんな捻くれたユサよりも、世間知らずでも明るく前向きなクリスティナにもしかしたらヒルマは惹かれるのではないか。


 惹かれていくヒルマを目の前で見たら、ユサはそれを受け入れられるだろうか。ユサはただの相棒だからと、ふたりを祝福出来るだろうか?



 それは多分、出来ない。



 ヒルマに何も伝えてないのに、まだ対等にもなってないのに、ユサのものでもないのに。


 ユサは自分の中に突如として沸き起こった負の感情にどう対処すべきか分からなくなった。


 分かっている、全部仮定の話だ。これはユサの悪い癖だ。それも分かっている。アキのことだって勝手に信じて、殺したと思ってたのに生きていた途端勝手に救われたと思って。


 またあの突発的な嵐が心の中で吹き荒れ始めた。太ももに紐でくくり付けたあのナイフに手を触れる。これがあれば、次こそ逃げられる。嫌なものから目を背けることが出来る筈だ。


「……ユサ? どうしたの?」


 ユサは入り込んでいた思考からハッと抜け出した。暗闇の通路の中で、いつの間にか自分を見失っていたことに気が付いた。


 ナイフを握る手を離した。いつの間にか指の間にじっとりとした汗をかいていた。


「いや……何でもない」

「大丈夫? しっかりしてよね、私国の外までの道は知らないんだから」

「……ちょっと考え事をしてただけだ」


 この暗闇がいけない。1秒でも早く出たかった。


 いつも揺れてゆらゆらしているユサの心。情けなかった。これはいつもユサの言うことを聞いてくれない。


 ようやく外気を感じられてきた。クリスティナが横道にヒョイと入り込んだ。


「いい感じよユサ! 神殿の外れ。ふふ、ここから私の憧れの恋愛が始まるのよ!」


 高らかにクリスティナが宣言しながら外に出た。楽しそうな笑顔でユサを振り向く。

 眉が下がった。


「ユサ、何泣いてんのよ」

「え?」


 ユサは慌てて指で頬に触れた。濡れている。いつの間に。


 クリスティナが呆れた様に息を吐き、次いでユサの手を取った。


「ユサに何あったかなんて知らないけど、この先はいいことだらけよ」


 自信満々に言い切った。ユサは思わず笑う。


「何だそれ」


 クリスティナが悪戯っ子の様に笑った。


「この国の神殿奥深くに住まう世にも珍しい聖女様が慰めてんのよ、当然でしょう」

「成程な、説得力があるな」


 過去は変えられない。そして未来はいつも不安定だ。ひとりではその孤独に立ち向かうのは難しいかもしれない。だが、時折こうやってユサにだって手を差し伸べてくれる人が現れる。


 ユサはヒルマにとってそういう人間になれているのだろうか。


 ユサの膝の上に額をついて泣いていたヒルマを唐突に思い出した。


 無性に会いたくなった。


「もう大丈夫だ、クリスティナ。行こう」

「道案内任せたわよ!」


 ふたりは手を繋いだまま、宵闇へと傾く時間の中歩き始めた。







 クリスティナは思ったよりも体力があった。


 儚げな雰囲気なので体力もそんなものかと勝手に想像していたが、まあ元気元気。ひたすらお喋りをしながら進める足取りは軽い。


「そもそもこの国は私のお母さんが建国したのよ」


 クリスティナが教えてくれた。


 元々は良家のお嬢様だったクリスティナの母親は大変見目麗しく、年頃になると良縁が山の様に舞い込んできた。だがそれまで散々もてた彼女は相手をひとりに決めることを是とせず、男遊びを繰り返した。結果人の旦那まで奪っては捨てる日々にさすがに両親もそれ以上黙って見ている訳にはいかなくなり、ある日彼女は勘当された。


 悲嘆にくれた彼女がとぼとぼと歩いていると目に入ってきたのは輝かんばかりのふたつの石。手に取ると、それまで満たされることのなかった人肌に対する枯渇感と留まることを知らない性欲がピタリと治まった。


 それはまるで天啓の様だったという。


 彼女は思い立ち、有志を募り女性だけの国を作り上げた。彼女自身は教皇として天辺に君臨し、建国の際ちょっとあれこれあった際に出来たクリスティナを『聖女』とした。



 ユサは思わず笑いそうになった。このふたつの石がヒルマの何なのかが分かってしまった。


 血肉と性欲だ。


 お前の性欲が神政国家で祀られてるぞと伝えたらヒルマはどう思うだろうか。


「でもよくこんな国を作り上げられたな」

「産業があるからね。ほら、ユサもいま着てるそれよ」

「これ? ああ、絹か」


 神に仕える者というよりは実業家だ。


「お前の母ちゃん逞しいんだな」


 クリスティナが呆れ顔になった。


「そうなの。それを私に求めるから嫌になっちゃって。私は私の生きたい様に生きるの。今日はその為の第一歩なのよ」


 宵闇の中微笑むクリスティナはとても力強く、美しかった。

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