第54話 聖女
ユサは非力だ。だからいくら細くて軽そうな女ひとりと言えど、ロープ一本で持ち上げられる自信は皆無だ。手なんぞ差し出したら一緒に落ちるのは目に見えている。
ではどうするか。自分の体重を使うしかない。手すりに巻きつけたロープの先を今度は自分の胴に巻きつけ、手首に二重にして掴んだ。
そうだ。
「その前に頂いておくぞ」
女の頭からティアラを奪う。女はもう何も言えないのか息が荒いが、約束は約束だ。そしてこの女が助かった後大人しく渡すとは限らない。
この国が神の国だろうがいるのは人間だけだ。そして人間は裏切る。ユサはそれを身に染みる程理解していた。
今ならヒルマの初めて会った時の行動も少しだが理解出来た。優先事項は物であり持ち主ではない。あの時のヒルマと同じ様な行動を取っている今の自分の何と滑稽なことか。
ティアラを見る。今度はちゃんと真ん中に付いている、これまた赤い石がそれだった。ガリ、とナイフの先で爪を取り、ほじくり出す。
コロン、と取れた。先程の石と同じく内ポケットにしまう。
「どうも」
女の頭にティアラをはめ直した。
「あ……あなた何のんびりしてんのよ……! 早く助けてよっ」
「あ、そうだったな」
女の指が手すりから滑り落ちそうになっていた。
「言っておくけど俺非力だからな」
「お……俺? あんた男⁉︎」
心なしか女の声が弾んだ様に聞こえたのは気のせいだろうか。
ロープに体重を乗せ後ろに下がる。思ったよりも重い。
「女だよ。この国は女しかいねえだろ」
ちっという舌打ちがした。この女、今の自分の状況を理解してるんだろうか。
「嫌なら助けねえ」
「ごっごめんなさい違うのそうじゃないの!」
一歩、また一歩と後ろに少しずつ下がる。ロープが腰に食い込んで痛かった。
「わ、私男を見たことなくて」
「男なんてろくなもんじゃねえぞ」
はあはあと息をしながら女が手すりに肘を乗せた。ユサは駆け寄りその肘を掴む。
「足をそのへりに乗せろ」
「あ、はい」
女の二の腕を掴んで腰を
「はあ…….助かった」
手すりにもたれかかってユサは女を見上げた。夕日に輝く金髪をした儚げな美女だった。ユサよりは年下だろうか、頬はまだ少しふっくらして可愛らしい。唇はさくらんぼの様に紅く艶々していた。町に放り出したら速攻で攫われるレベルの美人だった。雰囲気はルーシェを彷彿とさせる幼さが残るが、胸はしっかりとある。
「お前なんでぶら下がってたんだ? 俺が来なかったら落ちてたぞ」
女が手すりを跨いでユサの隣で手すりに背中をずるずるとさせて座り込んだ。
ユサを見てほっとした様に笑った。
「逃げ出そうと思って」
「逃げ出す?」
女が真剣な顔で頷いた。
「あんた見ず知らずの私を助ける様なお人好しみたいだから言うけど、私この国の『聖女』って呼ばれてる人間なの。聖女のことは聞いたことあるでしょ」
ユサはこの国の予備知識はほぼ無いに等しい。従って否定した。
「ない」
女の顔が引きつる。
「そ、そう? まあそういうこともあるかもしれないわね」
「悪いな」
知らないものは仕方ない。そろそろ立ち去りたかったが、聖女とかをやっているのであれば隠し通路も知っているもしれない。
「お前、ここからこっそり出れる通路とか知らないか?」
「あんた私の話聞いてた? まあ避難通路があるけど。でもそうね、いいかもしれない」
女はひとりで何かを納得している。意味が分からなかったので、ユサは立ち上がると女に手を伸ばした。
「助けてやったんだ、案内してくれないか?」
石を盗んでおいて更に要求してるのがばれないか少々不安があったが、この女にはそこまでの考えはないらしい。素直にユサの手を取った。働いたことなどなさそうなしっとりとしたきめの細かい肌をしていた。
ヒルマも本当はこういうのが好きなんだろうか。ふと思う。
どうしてももう女らしくなることに抵抗があるユサには無理な芸当だ。ヒルマがいいなと思ってしまうかもしれないと想像したら、何故か胸がチクリと痛んだ。
女が立ち上がる。思ったよりも重くてユサはふらついた。
「案内するわ。その代わり条件があるの」
女はユサよりも背が低い。ユサを見上げる薄茶の大きな瞳は潤んで輝いていた。
「条件? 何だ」
あっさりとヒルマの欠けたものはふたつとも見つかってもうユサの手元にある。後は逃げるだけだった。
宿の前金が勿体なかったが、荷物も置いていない。このまま国を出てしまうのが得策だろう。
「私を国外に連れて逃げて」
「は?」
女の目は真剣そのものだった。
「もううんざりなの、聖女だなんて崇められても男のひとりもいやしない。私は盛大に恋をして楽しい人生を謳歌したいのよ!」
拳を握りしめて己の欲望をキッパリと言い切った女が、ユサの手を上から握った。
「お願い。……でないと不法侵入と窃盗の容疑で騒ぎ立てるわよ。あんた他にも何か盗んだでしょう?」
「うっ」
「やっぱりね。まあ何盗もうが私には関係ないけど」
そういえばドアの奥が騒がしくなってきていた。祭壇の石を盗んだのがばれたのかもしれない。
女がユサを室内のクローゼットの中に引っ張っていく。
「避難通路は廊下を通らないといけないの。巫女の服を着れば外まで何なく出れるから、さ、着替えるわよ」
「み、巫女の服?」
嫌な予感がした。
女がニヤリと笑った。
「あんた似合いそうよ」
女がクローゼットの中から白い絹で出来ている上下の服を出してきた。ユサは素朴な疑問を口にした。
「避難通路があるのに何でわざわざベランダから降りようとしたんだ?」
女がぴたりと動きを止める。そして静かに言った。
「うるさいわね……。あんたに言われるまで存在を忘れてたのよ」
「お前、あんまり考えなしだと女ひとりで外で暮らすのは大変だぞ?」
親切心から助言すると、女が可愛い顔で睨みつけてきた。
「考えなしってあんたね……」
「世間知らずっぽいしな。まあ騙されることは多そうだけどその顔があれば何とかなるかもな」
すると女はころっと機嫌を直した。
「あら、やっぱり私って綺麗? そうかなあとは薄々思ってたんだけど」
男がいない環境だとそんなことすら分からないのか。ユサは呆れたが意地悪をするつもりはない。頷いてみせた。
「相当美人だぞ。そこは安心しろ。しっかりと男好きのする顔だ。変な男がいっぱい寄ってきそうだけど、これならいい奴も寄ってくるんじゃないか? 男は見た目から入るからな、始めが肝心だぞ」
「なにあんた随分詳しいじゃない。もしかして恋人とかいたりする訳?」
「……えーと」
まだ恋人ではない。多分。
ユサは話題を切り替えることにした。そのまだ恋人ではない男は恐らく首を長くしてユサの帰りを待っているに違いないから。
「これ、どう着るんだ?」
ぺらっぺらの絹の服。上に至ってはどう見ても胸の部分しかない。腹が冷えそうだった。
女が自分の分も取り出すと、お手本を見せ始めた。一気に着ていた服を脱ぐ。やはりいい胸を持っていたが、恥じらいもくそもない。
「男が全くいない環境で育つとこうなるんだな」
「え? 何?」
「いや、何でもない」
女は眉を
「ほら、あんた――名前、何?」
「俺? ユサだ」
「私はクリスティナよ。ユサ、あんたもさっさと着替えなさい」
「あ? おお」
まあ女同士だ。クリスティナも半裸で堂々としているし、いいだろう。ユサも思い切って服を脱いだ。巻いていたサラシも解く。ズボンの内ポケットには大事なヒルマの欠けたものがふたつも入っているので、これは落ちないように畳んで背負ってきた小さめの鞄の中に詰めた。
ふと横を見ると、クリスティナの視線がユサの身体に注いでいる。あまりまじまじと見られて嬉しいものではない。
「なんだよ」
「ユサ……あんた着痩せするタイプなのね」
「まあ男物の服しか着ねえしな」
「へえ……」
クリスティナの視線はユサの胸に釘付けだ。居心地が悪くなり少し後ろを向いた。
「あんまり見るな、恥ずかしいだろ」
「あ、ごめんなさい。つい」
一応恥ずかしいということは理解出来るらしかった。
クリスティナを真似つつ服を着てみた。
肩紐から揺れる腹の半ばまでの長さの上。肩は出て、ふんわりとした長袖が付いている。
下はスリットが大胆に入った長いスカートで、風に揺れると足が丸見えだ。
「おい、こんなんで外歩いたら風邪引くぞ」
「専用の外套があるわ」
クリスティナは自信満々で頷いてみせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます