第53話 神殿

 宿はすぐに見つかった。


 受付は勿論女性だった。年配のにこやかな女性だ。


「いらっしゃいませ」


 物腰も柔らかかった。ユサは思わずドギマギする。優しそうな女性はいまいちどう接したらいいのか距離感が分からなかった。


「あ、あの、とりあえず1泊したいんだけど」


 挙動不審なユサを見ても、女性はにこにこしたままだ。


「はい、部屋はありますよ。この国は初めてですか?」

「え、どうして分かるんだ?」

「ふふ、だってキョロキョロしてますから」

「あ、あはは」

「うふふ」


 女性はユサからお金を受け取りながら笑う。そして急に真顔になった。


「この国に入国される方の中には、男性から逃げて来たという人も多くいるので。貴女は違いそうね、表情が明るいから」


 ユサは頬を触ってみた。明るい? ユサが? だとしたら、あの考えなしの明るさが伝染してしまっているのかもしれなかった。


 女性はそんなユサの様子を見て小さく微笑んだ。


「こちらへは観光で?」

「あ、ああ、そうなんだ。神殿を見てみたくて」

「あら、じゃあ急がないと夕方には入り口が閉まっちゃうわよ。明日の朝から行ったほうがゆっくり見れるとは思うけど」


 今日はのんびりして明日探索をする。それでもいいかもしれない。いい筈なのだが。


 朝、名残惜しそうにユサを見送ったヒルマの青い瞳が脳裏に浮かんでしまった。


「あの、国の外で帰りを待ってる奴がいるから、あんまりゆっくりは出来ないんだ」


 女性があら、という表情になった。次いでにやりとする。


「あら、その様子だと外にいい人を待たせてるのね? 羨ましいわあ」


 いい人。ユサは考えた。それはあれだ、人がいい悪いの意味ではないだろう。これはユサの恋人、という意味に違いない。


 恋人。


 キスを受け入れてしまったことを思い出した。


「あら、からかい過ぎたわねごめんなさい。ほら、鍵はこれ。部屋番号はこれね。顔真っ赤よ、部屋に水が置いてあるからそれでも飲んで落ち着いてね」

「あ、うん」

「ほら、急がないと待ってる人が悲しむんでしょ? うふふ」

「お、おお」


 女性に急かされてユサは部屋に急いだ。顔が赤い? ユサが? 嘘だろう、だってヒルマとのことを少し思い出してしまっただけじゃないか。


 小走りで部屋に向かう。部屋は小じんまりとした、白を基調としたさっぱりとした部屋だった。風呂場を覗くと、女性しかいないからだろうか、小さいがちゃんと鏡が壁に埋められていた。


 鏡を覗き込む。


 照れた様に赤いユサの顔が映った。


「何だこれ」


 思わず口走る。これじゃ、まるで恋する乙女じゃないか。


「ヒルマじゃあるまいし、勘弁してくれ……」


 独り言が飛び出してくる。ちょっと待て、どういうことだこれは。考えがぐるぐるする。ひとつの可能性に思い至る。


 鏡に映る自分の顔に問いかけた。


「お前正気か?」







 ユサはとりあえず今抱えている複数の問題を、先に控えている方から処理することにした。後からきたものは後で考える。全てを同時進行で処理する程今のユサには心の余裕がなかった。


 神殿への入場はタダだった。てっきり金を取られるものだと思っていたが、そこまでがめつい国ではないらしい。


 巨大な神殿に一歩入ると、空まで聳えるのではと思えるような白い太い柱が通路の横に連なっている。その奥に見えるのは白い階段。奥からは光が差している様に見えた。


 光。あっさり見つかった。つい、笑顔が溢れる。


 ユサははやる気持ちを落ち着かせる為深呼吸をした。そもそも何でヒルマの欠けた物にユサがこんなに興奮しなければならないのかよくよく考えてみると腹が立ってくるが、でも心が弾んでしまうものは仕方がない。どうしようもなかった。


 光が差す方へと進む。奥の広間に入ると仄かに暗い。その先に続く階段の上に、祭壇があった。一体何を祀っているのかは下からでは分からない。ユサは幅広い階段をゆっくりと登り始めた。


 光は祭壇から発せられている。墨国ぼくこくに居た時よりも体力はついた。もうヒルマの支えがなくても普通に階段は登れた。


 何十段と続く階段を登って行く。


 ふと思う。ユサがひとりでヒルマの欠けたものを無事持ち帰ったら、ヒルマはユサを褒めてくれるだろうか? 最高の相棒だと笑って撫でてくれるだろうか。


 ユサはそこまで考えて、ようやく今まで何故こんなにも腹が立っていたのかを理解した。


 ユサはヒルマに一人前だと認めて欲しかったのだ。ユサがヒルマの欠けているものを持っているからとか、ヒルマがユサを好きだからとかはどうでもいい。


 ユサを守る対象ではなく、ちゃんと対等の人間と認めて欲しかったのだ。


 だから集めるのも必死になった。ユサは役に立つんだという所を見せて認めて褒めてもらいたかったのだ。


 あいつの隣に並び立つ為に。隣に立ってようやく初めてユサはヒルマの好意も素直に選ぶことが出来るのだ。


 であれば、必ずヒルマの欠けたものをふたつとも持ち帰るのだ。そしてちゃんとヒルマに伝えるのだ。自分の素直な今の気持ちを。


 祭壇の前に辿り着いた。


 祭壇には沢山の棒状の香が置いてある。燻る煙は天井の奥へとたなびいて消えていっていた。


 祭壇に祀られていたのは小さな石。ユサには眩いくらい光って見えるそれは、赤い透けた石だった。それが硝子の四角い箱の中に展示されている。


 周りをちら、と見渡した。もう夕方だからか、人は疎らでユサを注目している人間はいない。更に周りを見渡すと、来た方とは別の方向から光が差しているのが見えた。


 順序を決めた。まずは手前のもの、それから先にあるものだ。


 ユサは白磁国に入国するにあたり、ヒルマが渋々返却してくれた墨国製のナイフを取り出した。ナイフの先端で硝子に筋をつける。今度は柄を逆さに持ち替え、一気に上から振り下ろした。


 小さなパリン、という音を立て、硝子の箱は簡単に割れた。赤い石を指で摘みさっと服の内ポケットにしまった。


 振り返るが誰も注目していない。ユサは何事もなかったのかの様に階段をゆっくりと降りると、今度は左手の通路に向かった。


 光は少し先にある。空は段々と暗く赤くなってきていた。少し足早で向かう。


 太い柱の影に隠れつつ神殿の更に奥へと進むと、更に奥には細い廊下が続いていた。関係者以外立ち入り禁止なのだろう、これまた白いロープが張られている。


 勿論そんなものを気にしていては盗賊稼業は成り立たない。後で見咎められた時の言い訳の為に、ロープを片方床に落としておいた。気付かなかったとでも言えば済む様に。


 少し湾曲したドアが幾つも連なる廊下を進む。しばらく進むと、他よりも一回り大きいドアが見えた。光はその中から差している。


 耳を当てて中の音を聞いてみるが、物音も振動もしない。誰もいないようだ。


 ユサは気配を窺いながらそっとドアノブを回してドアを薄く開けた。


 すると。


「た……助けて……誰かぁ……っ」


 若い女性の声がした。ユサは目を見開き急いで中に入る。念の為ドアは閉め、声がした方向を探す。豪華な内装の部屋の奥には開け放たれた硝子扉と、その奥には白いベランダがあった。


 そのベランダの手すりに、女性の手が見えた。慌てて駆け寄ると、若い女がベランダの外側にぶら下がっていた。手がプルプルと震えている。下を覗くと、2階程の高さだろうか。地面は白い石畳み。まあ落ちたら痛そうだった。


 そして、その頭に飾られたティアラから差す光。これだった。


 ユサが覗き込む。


「助けてやるからその頭のをくれ」


 泣きそうな若い女の顔がユサを見た。恐ろしく儚げで美しいその女性は、必死でコクコク頷いた。


「約束だぞ」


 ユサはヒルマから借りたロープを女の胴回りにさっと巻くと、手すりにくるっと一周させた上で引っ張り始めた。

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