第五章 白磁国

第52話 白磁国

 ユサとヒルマは謎の神政国家白磁国はくじこくの国境にほど近い小さな町にいた。芝生のある公園のベンチに並んで座り、林檎をかじっている。


 黄色い葉と茶色い葉が、風が吹く度に落ち葉となって風の流れを視覚化する。その流れは、とても緩やかだった。


 ユサはもう何度目かになるこのやり取りにうんざりしていた。ヒルマが予想外の頑固さを見せていて苛々する。


「だから、お前には無理だ」


 シャリ、と林檎がいい音を立てる。ヒルマはもぐもぐしながら不貞腐れている。


「じゃあ見つからなくていい」

「そういう訳にはいかないだろうが」


 頑固にも程があった。あと残すところふたつとなったヒルマの欠けたもの。それが白磁国にあるのは分かっているのだが、ヒルマが納得しない為まだ国に踏み入れないでいる。


 墨国ぼくこくで手に入れたふたつはまだ飲んでいない。前回の様にいきなり槍で突かれたりした時に痛みがあると大変だから、というのがその理由だった。まだ追われる可能性がゼロではない以上、危険は避けるべきだった。


 未だ欠けているのは、痛覚、内臓感覚、性欲、血肉、それと謎なものがひとつの計5個。


 確かにここでまた襲われた場合、痛みを感じるとすぐに動けなくなる可能性がある。それに、性欲が戻ってきた場合ユサを好きだ好きだと言っているヒルマのことだ、一体どうなってしまうのか。


 考えると頭が痛くなったので、全部揃うまでもう飲まないというヒルマの意見に素直に賛同することにした。

 そう、それでその白磁国への入国についてここ数日揉めている。


「駄目だ駄目駄目。墨国ぼくこくでちょっとひとりになった時にどういう目に会ったか勿論覚えてるよな?」

「あれとこれとは状況が違うだろ」

「駄目ったら駄目だ、絶対駄目」


 ヒルマはとにかくユサをひとりきりにしたくないらしい。確かに墨国では少しひとりになった時に散々な目にあったのは事実だ。だが、結果欠けたものを両方とも一度に手に入れることが出来たのはそのお陰でもある。


「お前のその図体じゃ無理だ。分かるだろ?」

「俺だって着飾れば何とかなるかもしれないだろうが」


 ぶ、と思わず吹き出してしまった。


「お前にゃ女装は無理だって」

「案外すごい美人になるかもしれんぞ」

「ふふふ……想像しちまったじゃねえか」


 白磁国は男子禁制の国だ。これだけ体格のいいヒルマではどう頑張っても女には見えない。それを女装してでもユサと一緒に行くと言い張って聞かないのだが、何とか誤魔化せると半分本気で思っていそうなヒルマの考えなしに可笑しくてつい笑ってしまった。


「それに今度は女しかいない国なんだろ? だったら襲われたりしないんじゃないか?」

「ユサは可愛いから可能性はある」

「そんなこと言われてもなあ」


 墨国の城から逃げ出してもう半月が経つ。少しずつだが、体重と共に体力も戻ってきていた。


 それに一番大事なのは、ユサはもう何があっても簡単に自分の命を捨てることなんてないということだ。


 墨国を訪れて一番大きかった収穫、それはユサはアキを殺してなどおらず、そもそもアキがユサを騙していたことが判明したことだった。


 あんなにユサの心を占めていた後悔と懺悔の念は、もうどこにもない。


「ヒルマ、俺はもうどこにもいなくなったりしないから」


 ユサは目で笑った。こんなのを置いていったら、きっと地獄の果てまで追いかけてこられる。


 そんな想いをこの阿呆な男にさせるつもりはなかった。


 ヒルマがまた泣きそうな目をする。


「今度こそ約束するか?」

「今度こそ、ちゃんと守る」


 心配させたのはユサだ。油断したのもユサだ。悪かったとは思っている。


 ヒルマの口が尖る。目は泳いでいた。


「……じゃあさ、行く前にキスしていいか?」

「はあ?」


 何故そういう発想になるのか。


「する前にちゃんと聞くってこの間言っただろ?」


 ヒルマがもじもじとしている。ユサはその様子を見て只々ただただ呆れ返った。


「だからお前は乙女か」

「それももう乙女でいいって言っただろ」


 開き直られた。無精髭のむさい男が持つ乙女心。もう、止まらなかった。


 肩を揺らしてクックっと笑う。


「ユサ、笑うことないだろう」


 ヒルマの情けない表情がまた更なる笑いを誘う。


「だって、そんな髭生やして乙女でいいとか、あは、ふふっ」


 可笑しすぎて涙が出てきた。


「ユサ、涙出てる」


 ヒルマがユサの目尻に指を伸ばしてきた。指で掬い取り、そのまま手でユサの後頭部をそっと支え。


 淡い秋の陽が差す紅葉の中。ふたりは長い甘い口づけを交わした。







 白磁国の国土は狭い。普通に歩いても、1日で横断出来る程度の広さしかなかった。そして政治の中心部である神殿は国の真ん中に位置している。つまり、半日程度歩いてしまえばつく距離にある。


 だから、ユサは舗装された神殿までの道のりをガンガン歩いていた。


 大体、ヒルマは大袈裟なのだ。


 ユサとて盗賊の端くれだ。確かに前までは相当ガリガリだった為体力はまだあまりないが、それでもあの蟻塚の底辺で何とか2年もの間ひとりで生き延びてきた実績がある。ヒルマと違って考えなしでもない。しかも白磁国は女しかいないとヒルマが言ったのにあの心配のしようは過剰なのだ。


 ふと、公園でのヒルマとの接触を思い出した。


 それまでのヒルマがあまりにも可笑しくて、その後何となく拒否する気も起こらず結局そのまま受け入れてしまった。


 あの後のヒルマの嬉しそうで幸せいっぱいの顔を見ていたらその後に蹴りを入れるのも何だか悪い気がしてしまって、この自分がそれすらしなかった。自分の気持ちが分からなくなったというのが現在の正直な心境だ。


 ユサの中で渦巻いていた、アキの時間を奪ってしまったという後悔の念はもう跡形もなく綺麗さっぱりなくなり、人を好きになってもいいのかな? と思えるようにもなった。


 だがそれは本当にヒルマでいいのか? そもそもヒルマのことは信用はしているが好きなのか? そう考えるがさっぱり分からない。


 分からないが、ヒルマが時折可愛く思えてしまう様になってきたこの気持ちの変化は一体何なのか。


 分からない。分からないからとりあえず前にズンズン進んだ。幸い一本道だ。迷いはしない。


 あいつの傍にいると、いつの間にかユサも何だか気持ちがフワフワと浮ついてくる。こうやって一度離れてみて冷静に自分の気持ちと向き合うこともそろそろ必要なのかもしれなかった。


 白磁国は国境が白い塀で囲まれている。各地にある関所には体格のいい女性兵士が常駐しており、女である確認と入国の目的を聞かれた。ユサは『神殿への参拝の為』と伝えた。それで通れるという話をヒルマが町で仕入れてきていたからだ。


 男子禁制の国ではあるが、外部の女性の入国も厳しく取り締まる程厳しい国ではないらしかった。


 ヒルマは宿屋で待機している。うまくいけばたかだか1日2日程度のことであるが、関所をくぐったユサを見送るヒルマの寂しそうなこと。犬だったら尻尾が垂れ下がっていただろう。


 なるべく早く戻ってあげよう、ついそう考えてしまった自分にきっと非はない。この気持ちはヒルマの落ち込み過ぎのせいだ、きっとそうだ。


 そんなことをぐじゃぐじゃと考えながら紅葉が進む白い舗装された道を進む。


 ふと気がつくと、目の前に大きな白い建造物が見えてきた。お城に近いが、もう少し華奢な印象を与える。近くを歩いている女性に聞くと、あれが中央神殿とのことだった。


 ヒルマのことを考えていたら、あっという間に着いてしまった。空を見上げるがまだ日は高い。


 よく見ると周りは先程の紅葉した野原から町になっていた。これも全く気付かなかった。きょろきょろと辺りを見回す。穏やかな顔をした女性達しかいない。


 男性が町にいないというのはおかしく感じるものだった。


 街並みは全体的に低く、平屋建てばかりだ。女性しか住んでいないからだろう、心なしか建物の天井も低く、装飾もどことなく可愛らしいものばかりだった。


 何というか、荒々しさのない、夢の中の優しい世界。そういった印象だった。

 

「とりあえず宿だな」


 ここのところ片時も離れずヒルマが隣にいたせいで、つい笑顔で話しかけつつ振り返り、そこに誰もいないことを確認し。



 ユサの胸が、詰まった。

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