第50話 紅国皇子

 3人は階段を登っていく。軍部のある7階はもうすぐだ。


 今日はひたすら階段の昇り降りばかりしている。朝から夕方まできっちり労働した後の階段はきつかった。ヒルマがユサの腰を支えつつ押してくれているが、もう足が上がらない。ユサはまた息が上がってきていた。


「ユサ、大丈夫か?」

「はは、情けねえな俺」

「仕方ないさ、これから体力を付けていけばいいんだから」


 ヒルマは慰めるように言うが、正に今これから元クソ主人の紅国こうこく皇子と対峙しなければならないのだ。へたっている場合ではなかった。


「俺を好きなように使えばいいんだ。手足にだってなってやるぞ」


 ふざけた内容だがヒルマの目は真剣だった。


「だってそれじゃ対等じゃないだろうが」


 ヒルマが呆れた様に言った。


「体力が対等になれる訳がないだろ。そもそも身体の大きさが違うんだし。でもいいじゃないか、その代わり頭はユサの方がうんといいだろ? お互い欠けてるところを補って支え合っていくのが対等って意味なんじゃないのか」


 まさかヒルマに言葉の意味を正されるとは思ってもみなかった。ユサが驚いて見返す。


「お前もたまにはまともな意見を言うことがあるんだな」

「たまにって酷くない?」


 ヒルマが口を尖らせる。ユサは笑った。


 ようやく7階に辿り着いた。上に続く階段に足をかける。


 ユサはヒルマの言葉を吟味する。


 そうか、そういう考え方もあるのだ。何も全部が全部同じでなくともいいのかもしれない。だって、ユサとヒルマは別の人間なのだから。


 ヒルマは欠けたものをもうずっと追いかけている。そしてユサは元々自分は何かが欠けているいびつな存在なのではと思っている。普通の人が思ったり感じたりすることがユサには分からない時があることに、最近ようやく気付き始めたから。でも、ヒルマと会わなければその事実にすら気付けなかった。だからこれはヒルマが与えてくれた機会なのだ。


 だが。


「なあヒルマ」

「おう」

「俺はお前に何か与えられてるのか? 俺、全然大したこと出来てない気がするんだけど」

「何言ってんだユサ、本当分かってないな」


 ヒルマが苦笑する。


「ユサは俺の希望なんだ。希望で明るい未来なんだよ」


 ユサは呆れ返った。


「お前そんなくっさい台詞よく真顔で言えるな」


 7階と8階の折り返し地点に辿り着いた。後はこの直線を登ったら、あいつがいる。


 ヒルマは心外そうな顔をして言い返してきた。


「事実を述べただけだからな、くさくも恥ずかしくも何ともないぞ。ユサと一緒に笑いながら年を取るのが俺の夢なんだからな。それに」

「それに?」


 ヒルマは笑顔になった。優しい、慈しむような笑顔。片手はしっかりとユサを支えている。


「俺がダラダラと20年以上過ごしたのも、今考えたら実はユサとこうやって出会う為だったとしたら無駄じゃなかったって思えるなと」

「お前本当に発想が乙女だな」

「せめて夢見がちと言ってくれ」


 軽口を叩きながらも、ユサは内心ヒルマの言葉に衝撃を受けていた。


 ヒルマは軽く20年と言っているが、ひとりで過ごす20年はどれだけのものだったか。契約事項にあった名前を呼んでくれという項目。自分の名前すら呼んでもらえない孤独な旅を、この能天気な男はずっとずっと続けてきたのだ。それをひと言でユサと会う為だったら無駄じゃないと言えるヒルマの懐の広さ。


 これを脱帽というのだろう。その言葉以外、思いつかなかった。


 そんな男に好かれるなんて、もしかしたらユサの人生もあながち悪いことばかりじゃないのかもしれない。少なくともこの先の人生は。ユサがヒルマを好きになるかどうかは別としても。


「お前、本当はすごい奴なのかもな」

「お、ユサもようやく俺の良さに気付いたか?」


 ヒルマがまたにへらと笑った。こいつは馬鹿で考えなしで能天気だが、人を思いやることが出来る。ユサもいつかそうなりたいと思った。


 だから答えた。


「ああ、そうだな」


 返事を待つが返ってこない。折角素直に伝えたのに失礼な奴だ。ユサがチラリとヒルマを見上げると、ユサを支えていない方の手で口を覆っていた。顔は真っ赤だ。目が泳いでいる。一体どうしたんだろうか。


「大丈夫か?」

「……まさかそうくると思わなかった」

「はあ」


 よく分からないが、もう着く。最後の一段を登り切った。ユサは息をふう、と吐いた。もうしばらく階段は御免だった。


「気合い入れていくぞ」


 ヒルマとの軽口も一旦ここまでだ。ここから先、ユサは過去と向き合わなければならない。


「おう」


 まだほんのり顔が赤いヒルマが応えた。


 先に上に着いて待っていたアキが、相変わらず苛々とした雰囲気を醸し出しつつ言う。


「こちらの奥です。警護の者に話を通してきますので少しお待ち下さい」


 アキは来賓室へと続く豪奢な扉の前に立つ兵士達に近付くと何かを話しかけた。兵士達は軽く頷くと、扉の前からどいて扉を開けた。アキが振り返る。


「どうぞこちらへ」


 アキが招き入れる。奥にあいつがいる、そう考えるとどうしても身がすくんでしまう。弱いユサの心。


 でも今は隣にヒルマがいる。ヒルマの服の脇を掴んだ。ヒルマの手はユサの腰にある。まだ繋がっている。きっと大丈夫だ、大丈夫。


 そう言い聞かせているのに身体にぶるっと震えがきた。


「ユサ……」


ヒルマが眉尻を下げて顔を覗き込んできた。何と口にすれば進めるか。無理矢理口の端を上げて笑う。


「これは武者震いだ」


 ヒルマが小さく息を吸ったのが聞こえた。でも、何も言い返さなかった。そう、それでいい。今だけは優しい言葉は不要だった。


 アキが待つ扉の前までふたりで進む。中に踏み入ると、いきなり広間が広がっていた。奥は一面の硝子窓。外はいつの間にか暗くなっていた。月が昇るまでの宵闇の時間帯。盗賊の時間だ。


 広間の奥には豪華なソファー。



 そこに奴は居た。



 2年前より少し大人びた端正な顔がユサを見た。驚愕の表情をしている。青白く見える程透ける様な白い肌、殆ど色のないサラサラの金髪は肩から流れて胸の前まで垂れている。ユサよりも更に色の薄い水色の切長な瞳、薄く赤い唇。紅国こうこくの宝石と呼び名の高い唯一の皇子。


 そして予想通り、光は奴の胸元から発せられていた。やはりそうだった。


 ユサは男を睨みつけた。


「ユサ……! どこに行ってたんだ」


 立ち上がりユサがいる方に一歩近寄ってきた。


 ユサは覚悟を決めた。震えは、もう止まった。


「きちんと別れを言ってなかったからな。ちゃんとネイトに別れを言いに来たんだ」

「別れ……? 何を言ってるんだ、僕の朱姫あけひめ


 首を傾げて笑いかけてくる。こいつはいつもこうだった。自分の信じたくないことは無かったことの様に振る舞うのだ。いつも、いつも、いつも!


 ブチっと何かが切れた。ヒルマの腕を掴んで自分に引き寄せた。


「俺はもうお前のもんじゃねえ! 俺はこいつと夫婦なんだ、夫婦! 分かったかこのボケ!」


 横目でチラリと見えたヒルマの顔の嬉しそうなこと。これはこれで腹が立つが今は仕方ない。


 皇子のネイトが馬鹿にした様に更に笑った。


「それは新しいお遊び? 夫婦ごっこなの? ユサってそんな趣味あったっけ?」

「ごっこじゃねえよ!」


 本当はごっこで正しいのだが。


 ネイトが急に飽きた様に笑顔を消した。ユサの背後の扉の近くに控えていたアキに命令する。


「アキ、この男要らないんだけど」


 ユサはアキを振り返ろうとした。あいつはヒルマにもう裏切らないと先程言っていた筈だ。だが。


「承知いたしました、ネイト様」


 アキが口の端で笑うのと、扉の前で待機していた兵士ふたりがヒルマに襲いかかるのとが同時だった。


 ヒルマが反応するよりも若干早く、兵士が突き出した槍がヒルマの背中を刺し貫いた!


 ドサッ! とそのまま前の床に突き倒される。ユサは思わず叫んだ。


「ヒルマ!」


 うつ伏せになったヒルマの顔がチラリと見えた。口の端が笑っていた。目でユサに言っていた、大丈夫だと。続きを演じろと。


 槍が刺さった身体からはまだ何も滲み出ていなかった。引っこ抜かない限り、こいつの不死はもしかしたらばれないかもしれない。


 ユサはくちびるを噛み締めた。ヒルマの願う通り、やってやる。



 演じきって、お前の欠けたものを取り戻してやる。



 だからもう二度とユサの為に傷付かないで欲しかった。たとえ痛くなくとも、たとえ死ななくとも、ユサの心が痛むから。


 ユサの目から涙が一筋流れ落ちた。


 それを見たネイトが、優しげな表情でユサに近付いてきた。

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