第43話 採用試験

「はい、採用。明日の朝から出勤ね。制服は中で着替えるから、明日この書類持ってきて」


 疲れ切った様子の門番兼受付兼採用担当がヒルマとユサのサインが書かれた書類に判子をポン、と押して手渡した。


 採用試験があると聞いていたが、名前を書いて希望職種を聞かれておしまいだった。試験の意味とは。


 ユサの名前はヒルマが書いてくれた。成程こういう風に書くのか、と早速覚えようとじっと見る。ヒルマが隣で薄っすら笑っていた。


「それで宿泊はどうする? その辺の宿よりは安いよ。費用は給料から天引きされる」


 施設は充実しているらしい。ヒルマが尋ねる。


「夫婦なんだけど、この子と一緒の部屋になれるか?」

「あーごめん、男女別棟」

「じゃあいい。宿を探すよ」


 行こう、とユサを町の方に促した。


「別にいいだろ? 男女別でも」


 そこまでずっとヒルマと居たい訳でもない。ヒルマがじと、とユサを見た。


 薄暗い町の中を宿を探しつつ歩く。


「ユサなあ、最近ふっくらしてきて自分がすごく女らしくなってる自覚があるか?」

「最近鏡見てねえ」


 即答した。ヒルマの口の端が引きつる。


 昼を過ぎ、人通りはまばらだ。どこからともなくカーン、カーンと硬いものを叩く音が響く。


「そもそも鏡があるような宿に泊まってねえじゃねえか。昨日も一昨日も野宿だったし」


 鏡は高級品だ。ユサ達が泊まるような低級の宿にはない。あったら盗まれるだけだ。冷静に答えるユサに、ヒルマは返答に詰まった。


「か……鏡をユサに買う」

「要らねえよ」


 にべもなく断った。女らしくなるつもりはない。お洒落するつもりもない。鏡がなくても別段困らない。

 ヒルマを見る。


「それか何か? お前は俺に女らしくなって欲しいのか?」

「え、いや、そのそういう訳じゃなく」


 でかい身体でもじもじしていて気持ち悪い。見ていて苛々した。ふん、と鼻息を吐いた。


「いいかヒルマ」

「はい」

「俺は着飾れば自分がすっげえ美人になるのは知っている」

「着飾らない今もすごい可愛いけど」


 ヒルマのにへらとした笑いは無視することにする。


 宿だろう、間口の広い店の前に辿り着いた。ヒルマの足が止まる。


「この顔のせいで売られた。この顔のせいで変態の支配を受けた」


 ヒルマの顔が緩んだものから急に真面目なものに変わった。こいつのこういう表情は苦手だ。急に男の顔になるから、嫌だった。


「だから俺は女らしくなりたくない。お前が女らしくなることを俺に求めるなら、俺はお前と居たくない」


 ヒルマがユサを好きなことは分かっている。でも、女らしくなることとは論点は別な筈だった。


 ヒルマの表情は読めない。何を考えてるのか、はたまた何も考えてないのか。


 ヒルマが、言葉を選ぶように言った。


「俺は、どんなユサでもいい。だけど、嫌われるのは嫌だ。離れられるのも嫌だ」

「じゃあ女らしさを俺に求めるな」


 ユサが突き放すように言う。ヒルマはうんうんと頷いた。


「元々求めてないよ。ユサはその位がいい。だからさっきから言おうとしてたのは、女らしくなってきてるから危ないぞってことだよ。そう怒るな」


 そう言うと頭をポン、とされた。怒っていた訳ではないが、怒っていると思われていたらしい。まあちっとも問題ではないが。


「女らしくなるのが嫌なら、自分が周りからどう見えてるかしっかり把握してくれ。そういう意味の鏡だ」


 成程、そういう意味だったのか。ユサの早とちりだったらしい。だが素直に謝る気にはならなかった。


「分かった。じゃあ把握するから鏡買ってくれ」


 妥協した。ヒルマがようやくほっとしたように笑った。ユサも、ほんの少しだけ安心した。


「ああ、買おう。……なあ、ユサ」

「何だよ」


 言いにくそうだった。もじもじしてて苛々するので、とりあえずふくらはぎを軽く蹴った。

 ヒルマが驚いた顔をした。


「言えよ」

「何だか蹴られるの久々だな。……じゃない、ユサ」

「だから何だよ」


 ヒルマがふう、と息を吐いた。


「ユサが女らしくなった時、俺が目を離すと変なのが寄ってくるかもしれないだろ?」


 同意を求められても困るが、まあ可能性はあるだろう。軽く頷き返した。ヒルマが続ける。


「ユサはあんまり力がないだろ? 何か間違いがあって、それでユサがまた悲しんでいなくなっても、でも俺はいなくなれない」

「はあ」


 別にユサがいなくなったからと言ってヒルマがいなくなる必要はないと思うのだが。


 ユサがつれない返事をすると、ヒルマがユサの手首をぱっと掴んだ。まただ。ヒルマと少し真面目な話になるとすぐこうだ。


「頼むから俺を置いていくなよ」


 泣きそうな青い目。まだ信用されていないらしかった。それとも、先程一緒に居たくないと言った言葉が余計だったか。


 ユサが小さなため息をついた。ヒルマは阿呆だから、ちゃんと口に出して伝えないと理解出来ないのだろう。


「置いていかねえよ。言っただろ? 俺の命をお前に預けるって」


 でかい図体をしてる癖に子供みたいな顔で縋るようにユサを見ている。耳の後ろがむず痒くなってきた。


「もうちっと俺を信用しろ」


 ヒルマの口が尖る。


「じゃあ俺の目の届く所にいてくれ」


 ヒルマが男女別の宿泊所を避けた理由はそれだった。何だ、ただ一緒にいたいだけじゃないか。ユサは呆れた。本当子供だ。


「分かった、分かったよ。同じ宿に泊まればいいんだろ?」

「そうだ」


 ヒルマが手を手首から手にさっと移して握りしめた。ユサは眉を顰める。


「おい」

「離すとどこに行くか分からん」

「行かねえって。ほら、宿はここだろ? さっさと手続きしようぜ」


 手を引っ張る。取れない。


「ヒルマ、いい加減に」

「後ろ見ろユサ」


 ヒルマが小声で言った。ふざけていない声色に、ユサも一旦抵抗を止める。手を繋いだヒルマと自分の肩の隙間から、後ろをチラリと見た。


 ガタイのいい人相の悪いのが4人、こちらを遠目から窺っていた。この国は治安はあまりよくなさそうだった。

 ユサは眉をひそめる。


「お前の知り合いか?」

「何でそうなるの? そんな訳ないだろ。ありゃユサ狙いだよ。城門出てからずっと後ろからついてきてたぞ」


 全然気付かなかった。ユサは素直に感心する。


「お前案外鋭いんだな」

「まあな。じゃないよ。やっぱり可愛すぎるのは危険だな。もう少し男っぽくなれないか? 離れて仕事しててもこれじゃ心配で仕事にならなさそうだ」


 ぶつくさ言うヒルマに手を引かれたまま、宿の暖簾のれんを潜った。

 やはり食い過ぎたのかもしれない。自分の食欲を後悔したが、後悔先立たず。もう腹に収まってしまっている。


 一歩中に入ると、中は小ざっぱりとしてきれいだった。カウンターの横には座り心地の良さそうなソファーまで置いてある。どう考えても場違いだった。


「おいヒルマ、ここ高そうだぞ」

「だから安全なんだ。変なのは入って来れないから安心しろ」


 ヒルマが優しく微笑む。だがユサの顔は歪んだ。途端、ヒルマの口角が下がった。


「何だよその顔」

「だってそれじゃ俺が金食い虫みたいじゃないか」

「あのなあ、ユサ」


 ヒルマがユサの手を少し強めに握った。


「金より安全の方が大事だ。金よりユサの方が大事だ。俺にとってユサは金よりも価値のあるもんなんだ。だからユサはユサを安く見積もるな」


 ユサの価値。そんなもの考えたこともなかった。意地悪な気持ちがむくり、と起き上がる。目を細め、聞いてみた。


「ふーん。じゃあお前にとって俺の価値はどれ位なんだ?」


 ダイヤモンドとかベタそうなことを言うのか、それとも突拍子もない物と比較するのか。ツンとしてヒルマの返事を待つと。


 ヒルマがクソ真面目な顔をして言った。


「俺の命よりも価値がある。じゃなきゃこんなに大事にしない」

 

 ユサは面食らった。人間ひとりの命以上の価値がユサにあるとは思えなかった。やはりこいつはとち狂ってるに違いない。


 辛うじて皮肉を口にすることは出来た。


「そもそもお前は死なねえだろうが」

「そういえばそうだった」


 飄々とのたまった。手を握ったまま、宿の受付に向かう。


「つまりユサも死なない。だから俺に命を預けたのは正解だ」


 どんな理論か。


 だが、この男の無茶苦茶な理論に、根拠のない安心感を覚えたのも事実だった。

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