第42話 ささやかな夢

 ヒルマの言っていた通り、その食べ物は実在した。


「うっっめえ……」

「だろ? 鶏肉から滲み出るこの甘味と塩味を含んだ脂が染みた米がまたいいんだ。米に乗っけて食ってみろ。あー久しぶりのこの味……味って最高だな」


 ヒルマが味覚を取り戻した感動も交えながら語る。自分の分でお手本を見せたので、ユサも真似して同じ様に串から外した鶏肉を米のお椀に乗せる。パクリと大きなひと口。口の中に染み入る肉と脂と米の絶妙なバランス。ヒルマが鶏肉と野菜の炭焼き以外に米も頼めとしきりに勧めた訳が分かった。


「やっべえ、何だこれ」


 ユサが素直に驚くと、ヒルマがうんうんと横で嬉しそうに頷いた。鶏肉と米がどんどんとユサの胃袋に収まっていく。


「おかわりしたらいいんじゃないか? さっき少し稼げたし」

「おー! いいのか?」


 笑顔でヒルマを見、そういえば先程廃坑が見渡せる場所でこれ以上肥えるまいと誓ったことをふと思い出した。


 だが、今日食べた物がすぐに肉になる訳でもないだろう。それにヒルマが横でニコニコしてユサを眺めている。今更引けなかった。それに正直食いたい。ではどうするか。


「じゃあ、分けようぜ。全部は多い」


 折衷案を採った。まあ半分なら、きっと大丈夫だろう。


「おう、分かった。じゃあ次は少し味が違うのにしよう」


 ヒルマがメニューに目を通す。


「何があるんだ?」


 ユサが尋ねると、ヒルマがユサにも見えるようにメニューを見せてくれたが、ユサは殆ど字が読めない。そういえばヒルマには言っていなかった。言う機会もなかった。


「悪い、読めねえ」

「え? あ、そうなのか」


 微妙な空気が流れる。仕方ない、教育を受ける機会も金も自由もなかったのだから。


「ユサ、見ろ」


 ヒルマがメニューの字を指差した。


「これは『鶏肉』って書いてある。で、これが『玉ねぎ』だ。ユサ、食べ物は好きだろ?」

「あ、ああ好きだけど」


 目下一番興味が強いのは食べ物だ。だが意図が分からないので戸惑う。


 ヒルマが優しい笑顔を見せた。


「だったら食べ物の名前をまずは読めるようになろう。俺がちゃんと教えてやる」


 ユサがメニューから顔を上げてヒルマの青い瞳を見つめた。その奥に何か意図があるか探してみたが特になさそうだった。


 字が読めるようになる? そんな夢みたいなこと、あると思っていなかった。


 自然と口角が上がる。


「いいのか? 本当に?」

「当たり前だ。俺は相棒だろ?」


 ヒルマの手が頭に伸びてきて撫でた。髪をくように指を少し立てている。くすぐったかった。


「何だよ」


 少し身体を引く。ヒルマの慈しむような目。勘弁してほしかった。ゾワゾワして仕方ない。


「可愛いなと思って」

「何だよ子供扱いしやがって。ほら、次頼むぞ」

「はいはい。じゃあピリ辛でいこうか」

「お、それいいな」


 無理矢理話題を逸らしたのなんてヒルマにはバレてるのかもしれない。でもいい。ヒルマはそんなユサでも許してくれるから、今はそれでいいのだ。







「あそこで働く方法? あーそしたら今丁度採用試験の真っ最中だよ。城の前の掲示板に募集要項が書いてあるから見に行ってご覧」


 会計の際店員に尋ねてみたところ、正に欲しかった情報があっさりと入ってきた。ユサとヒルマが顔を見合わせる。


「ヒルマ、今から行くか?」

「そうだな」

「あんたたち職探し? 確かにあそこは給金はいいけど、厳しいよ。だからしょっちゅう募集してるんだ。すぐ人が辞めちまう」


 店員がお釣りをヒルマの手に乗せながら苦笑いしつつ忠告してくれた。悪い人間ではなさそうだった。


「結婚資金を稼ぎたいんだ」


 ヒルマが店員に返した。ユサは吹き出すのを抑えた結果鼻に逆流し、ツンと痛んで涙が滲んだ。軽く咳払いをして誤魔化す。


「おやそれはおめでとう。美人さんだもんな、羨ましいよ。まあ短期だって割り切るならいいかもね」

「元々そのつもりだからな」


 ヒルマは店員に礼を言うとユサの背中を軽く押しながら店を出た。


 まだ真っ昼間な筈だが、空は煙突から立ち昇る煙のせいで暗かった。何だか全体的に辺りも煤けているように見えた。何となく陰気な町だ。


「ヒルマ、いきなりああいうこと言うなよ。吹いたじゃねえか」

「ああいうこと?」


 分かってるくせに、分からないような顔をして聞き返してきた。


 ユサの口が尖る。やってすぐにこれじゃヒルマだと思ったがもう遅かった。まあ、ヒルマは気付かないだろう。多分。


「結婚資金とか、そういうの」

「まあ半分は本当だからな」

「あ?」

「またそれ……」


 わざとらしく肩をすくめた。


「だって石も残すところあと僅かだろ? そうしたら俺とユサの楽しい同居生活が待ってるんだぞ」


 つい先日まで残りの石の数も把握してなかった奴が、急に何か言い始めた。


 しかも楽しい同居生活ときた。


 ヒルマは目を輝かせて更に語り始めた。


「だが定住するには住居が必要だ。家に住むには資金が必要だ。その頃にはユサも俺のことが大好きになっているかもしれん。そうしたら結婚だ。子供が生まれたらどうする? 愛の結晶とはいえ、金がかかる。ユサにも勿論腹一杯食べてもらいたい。ほら、金がいるじゃないか」

「お前、脳みそ大丈夫か?」


 いつも割と静かに歩いていると思ったら、こんなことを考えていたのか。阿呆じゃないか。いや、阿呆だった。


 その阿呆がクソ真面目に返答をよこした。


「脳みそはすこぶる順調に働いてるぞ。これは頑張ったら叶う範囲にある俺のささやかな夢だ。正面からそう否定するな」


 ユサの気持ちがヒルマに向く前提の夢物語をささやかとのたまうその神経。やはりヒルマは筋金入りの考えなしだった。


「もう、いい……」


 これ以上話していると頭がおかしくなりそうだった。


「俺はこれについてはまだまだ語れるぞ。もっと聞きたかったらいつでも言えよ」

「遠慮しとく」


 即答した。黒くそびえる城はもう目前にあった。ヒルマと軽口を叩くのもとりあえずはここまでだった。


 辺りを見渡し、例の掲示板を探す。鉄格子の城壁。そこに括り付けられた板の上にそれはあった。


 だが勿論読めない。顎でヒルマに読めと言う。ヒルマがまた膨れた。


「こうさ、お願いの仕方とかさ」

「お前のもん探してるんだろ」

「いやまあそうなんだけど」


 ヒルマに一歩近付いて小声で話し始める。


「何て書いてある?」

「調理係、掃除係、洗濯係、運搬係、随時受付中。詳細は城門窓口にて」


 城の入り口付近を見ると、鉄格子の門の横にある詰所の様な箱の壁面に貼り紙がしてあった。あそこだろうか。


「門番兼受付か? 確かに人使いが荒いな」

「その分給金がいいんだろ」


 ヒルマがあっさりと答える。腰に手を当てて仁王立ちしている。


「どうした」

「いやな、俺はどれがいいかなと」

「不器用な癖に何選ぼうとしてんだよ。運搬以外ねえだろうが」


 ヒルマといえば不器用、得意なことといえば体力。脳みそもどちらかと言わなくても軽い。一択だった。


「ユサの中の俺のイメージってそんなんなの?」

「違うとでも思ってたのか?」


 ヒルマが黙り込んだ。ようやく静かになった。


「俺はまあ無難に掃除かな。料理出来ないし、後は体力勝負みたいだし」

「ユサ、料理とか得意そうなのにな」

「する機会がなかった。金もなかった」


 ぐ、と黙り込んだ後、何かを思い付いたのかぱっと笑顔になった。


「じゃあ、家にはユサと俺が並んで料理出来る台所がいるな」

「お前も大概だな」


 ユサが呆れ返る。ヒルマが屈託のない笑顔で笑った。


「俺のささやかな夢が叶ったら、イカの捌き方を教えてやるよ」


 イカ。あれは美味かった。あれが自分の手で調理出来るのか?


「それは知りたい」

「だろ? じゃあその為にはまずは採用試験だ」


 ヒルマが緩い笑顔で受付の方を向いた。


 イカの為。ならばユサも頑張ろう。口の中にいつの間にか溜まっていた涎を飲み込み、ユサもヒルマの視線の先を向いた。

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