第四章 墨国

第41話 墨国

 墨国ぼくこくはとにかく山が多い。

 産業の要となっている石炭の採掘の為の炭鉱があちらこちらに広がり、登りきった谷の上から眺める景色は圧巻のひと言だった。


「見事に穴だらけだな」

「お前には情緒ってもんがないのか」


 ヒルマの感想にユサがすかさずツッコミを入れる。ヒルマが意外そうにユサを見る。


「盗賊稼業に情緒を求められても」

「そりゃまあそうか」


 言われて納得する。余裕のある盗賊であれば美学のひとつやふたつはあろうが、ユサもヒルマも基本は金の為に盗賊稼業を続けている。情緒もへったくれもないという意見には同意出来た。


 それにしても。


「全然人がいないな。炭鉱なんじゃなかったのか?」


 冷たい風がユサの少し伸びた赤い髪を巻き上げる。ヒルマの肩より少し伸びた青黒い髪は風でボサボサになっていた。口に入ったのか指で一所懸命取っている。切ればいいのにとユサは思うが、それすらもこの考えなしには思いつかないのかもしれなかった。髭もすっかり元通りの無精髭となり、一気に老けて見えるようになった。


 だが、その方がユサは安心出来た。若々しい顔はやはり慣れない。


「この辺りは廃坑だ。随分前に採り尽くされた」

「ふうん」


 ユサは眼下に広がる迷路のような廃坑の跡を見た。間違って踏み入れたら二度と出られなさそうだった。案外何人か迷って出れなくなって骨になっているのがいるのかもしれない。そう思える程、広大だった。


「さ、あとちょっとだから頑張ろう、ユサ。この谷を越えたらようやく墨国だ」


 ヒルマが鞄を背負い直して道の先を向く。灰色の外套がバサバサと音を立てた。


 この前ヒルマが捕まえて食べた鳩みたいだと思った。あれは美味かった。


「腹減ったな」


 連想して、腹がぐうと鳴る。ここのところとてもよく食べていたので、胃の調子もすこぶる良かった。


「町に行けば食い物もあるだろ。疲れたならおんぶでもしてやろうか?」


 捕まった鳩の羽の如く外套をバサバサさせたままのヒルマが振り向いた。


「いい、遠慮しておく」

「遠慮しなくていいのに」


 にへらとまたあの間抜けな笑顔になって、当たり前のように手を伸ばしてユサの手を取った。


 ここ暫くは上り坂だった。ヒルマに比べたら圧倒的に体力がないユサは、自身の体力を温存する為ヒルマに手を引かれて登ることを選んだ。


 道の先を見る。まだまだ上り坂だ。ならまあまだ繋いだままでもいいだろう。


 瑠璃国るりこくでのヒルマの告白は正直言ってただ驚くばかりだったが、だからといってその後ヒルマのユサに対する態度に特段の変化はなかったので、ユサは素直にほっとしていた。


 ユサはそもそもヒルマに対し過度な好意は持っていない。信用出来る奴ではあったが、まだその段階で止まっていた。今はまだ特別好きになりたいとも思わない。


 何故なら、ヒルマは初めてユサに手を差し伸べた男だからだ。ただ横で生きて笑っていればいい。そんな事を言われたのは、ユサの今までの人生の中で一度もなかった。

 


 今はまだ、このままがいい。ただ、そう思えた。



 風になびく広い背中を見上げる。しっかりと繋がれた手は命綱だった。こいつにユサの命を預けた。だからもう怖くはなかった。


「ヒルマ」

「おう」


 いつものこのやりとりも当たり前になりつつある。


「墨国のオススメの食い物は何だ?」

「ユサはよく食うなあ」


 ヒルマが髪もなびかせてユサを振り返った。目は優しく笑っていた。うーん、と考え込む。


「前に来た時は串焼きをよく食べたな。鶏肉と野菜を交互に挟んで塩胡椒かけてだな、炭火焼きにする」

「滅茶苦茶旨そうだなそれ」


 つい涎が垂れそうになった。慌ててそれを引っ込める。


「着いたらいっぱい食べよう、ユサ」


 谷の天辺に来たらしい。日光を遮るものはもうなく、ヒルマが眩しそうに手をかざした。


「ようやくガリガリじゃなくなってきたな」

「食ってるからな」


 あまり女らしく見えるのは嫌だったが、だからといって移動できる体力すらないとただのお荷物だ。そう分かっていたから食べた。ヒルマは契約通りユサにお腹いっぱい食べさせてくれた。


 ふと思う。ユサは契約通りに振る舞えているだろうか?


 そしてそもそも契約はまだ生きているのかどうか。


 馴れ合いとは恐ろしいものだ。


 ヒルマが目を細めて笑いかけた。


「健康的でいいんじゃないか? 俺の好み的にはもう少し肉があった方がいいけど」

「お前の好みは聞いてねえ」

「相変わらずつれないねえ」


 よし、このあたりで肥えるのはやめておこう。そう思った。


 ヒルマが頂上を超えた先を指差した。


「ユサ、ほらあれが墨国だ」


 ヒルマが示した方を見る。風が前から吹いてきて目が普通に開けられない位だった。空いている方の手を翳して風から目を庇い、見た。


 指の隙間から広がっていたのは、灰色の町。眼下一面に広がっている。所々煙突だろう、高い筒の先から黒い煙が上がっていた。


 そのずっと先、かすみのように見えるのは黒い城。いや、あれは城よりも要塞だろう。チカチカと時折刺す光が、紅国こうこくの蟻塚を彷彿とさせた。


 ユサは思わず呟いた。


「悪趣味だな」


 横でヒルマが小さく笑った。


「気が合うな。俺も同意見だ」


 珍しく目が真剣だった。要塞に向かって顎をくい、とする。


「あれは相当厄介だ。あそこに雇われてる人間をまず探さないと入り込めんだろうな」

「じゃあ下調べだな」


 ユサが応えた。口の端に思わず笑みが浮かぶ。


「腕が鳴るな」

「やけにやる気じゃないか」


 何だかんだいってヒルマに拐われて以降、盗みは直接的には働いていなかった。


 ユサは横目で軽く笑った。


「俺は盗賊だぞ」


 ヒルマの目がじっとユサを見つめた。


「何だよ、気味悪いな」


 ヒルマがユサの頭を空いている方の手でわしゃわしゃした。風のせいだろう、手のひらはすっかり冷えていた。


「何すんだよ」


 じっと見てしまうと見続けていたくなる青い瞳を遠慮なくユサに向けて、ヒルマが言った。


「ユサの言葉で思い出したよ。忘れてた、盗賊の心意気」

「心意気?」


 盗賊に心意気も何もあったものではないと思うが。ユサが苦笑しながら首を傾げる。


 ヒルマが実に楽しそうに笑った。髭があっても、本当に子供みたいな笑顔だった。


「楽しいんだ。わくわくするんだ。そこにどんなものが待ってるんだって思うと足が止まらなくなる。そんな気持ち、もう暫く忘れてた」


 急にヒルマが背中を向けた気がした。こちらを向いているのに。どこかに行ってしまうんじゃないか。


 不安に襲われた。


 空いた手でヒルマの腕を掴んだ。もう片方の手は繋がったままなのに。


「ヒルマ」

「おう?」


 いつもの笑顔だった。少し安堵する。でも。


「俺も連れて行けよ」

「? どうした急に」


 ヒルマの戸惑った顔。どう言ったら伝わるだろうか。


「俺も盗賊だぞ。お前が楽しいものに俺も連れて行け」


 先にひとりで行くな、置いていくなとはどうしても口に出来なかった。だったら一緒に行けばいい。


 ヒルマがどう感じたかは分からない。だが、少なくとも否定ではなかった。


 片手で頭を引き寄せられると、頭の上に顎を乗せられた。冷えたヒルマの表面が顔に触れる。


「当たり前だ。離す訳があるか」


 今この場で蹴り飛ばしたらふたりとも滑落する。


 それを言い訳に、ユサは暫しの安心感を味わうことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る