第38話 残りの欠けた物

 ユサとヒルマは、マージ達の好意で今晩家に泊めてもらえることになった。


 ヒルマは現在、酔い醒ましと涙の跡を消すのも兼ねて久々に湯船に浸かっている。温かさを感じられるようになってからは初めてだから、今頃きっと感動して泣いているに違いなかった。


 ユサはマージと買い出しに来ていた。家から一歩出たら辺りは屋台だらけ。ヒルマがこれまた感動しそうな光景が広がっていた。その屋台から少量ずつ惣菜を購入していく。


「助かるわー。カイルったら遊んでばかりで全然手伝わないのよね」

「俺も大したことは出来ないけど」

「持ってくれるだけでいいのよお」


 ユサはずっと皇子専用の居室で暮らしていた。調理も給仕も担当おり、ユサは出された物を食べる側の人間だった。底辺に降りてからも調理済みの物を買ったり盗んで食べる生活だったから、言葉通り大したことは出来なかった。


「なあマージ」

「なあに?」

「ヒルマが何であんな身体になったのかマージは知ってるのか?」


 時期的に丁度その頃ヒルマと恋人同士だったマージだ、知っているに違いないと思って質問したのだが。


「何か盗みに入った時になったとは聞いたけど、私にも詳しくは教えてくれなかったわ」

「ふーん」


 余程拙い物でも盗もうとしたのだろうか。にしても人間ひとりの中身をあちこちにやるなんて人間業ではない。神か悪魔かは知らないが相当ヤバい奴に手を出したことは予想出来た。今度直接本人に聞いてみよう。


「さ、そろそろ戻りましょ。ユサはお酒は?」

「この前きついのを飲んだらひと口でひっくり返った」

「あはは、じゃあ止めておきましょうね。果実ジュースでも用意するわ」

「うん」


 安心出来る女性と並んで歩くのも、こうやって買い出しに来てお喋りするのも初めての経験だった。夕暮れ時の空が心なしかいつもより優しいものとしてユサの目に映ったのは、ユサの心の有りようゆえか。


「ユサも帰ったらお風呂に入りなさいな。私の若い頃の服があるからあげる」

「あの、あんまり女っぽい恰好は」

「どうして? ここには貴女を傷つけるような人はいないわよ」


 そうだった。これからはヒルマが守ってくれる。隣にヒルマがいる限り、ユサに怖いことはきっと多分まあもしかしたら起こらない。そう思える程度には、ヒルマの言葉はユサに届いた。


 久々にそういう格好もいいかもしれない。何年ぶりかにそう思えた。


 ヒルマが嬉しそうに笑ったらユサも嬉しくなるだろうか。ユサが嬉しく思ったらヒルマも喜ぶだろうか。それならまあ、悪くはない。


 だってヒルマには性欲がない。であれば身体目的じゃない。ユサが何度か捨てようとしたユサ自身には、身体以外にだってきっと何かいい所があるのではないか。



 多分。


「じゃあ、着てみようかな」


 ヒルマの驚く顔も見てみたかったのでマージの提案に乗る。マージも嬉しそうだった。


 何だ、ユサだって人を笑顔にすることが出来るじゃないか。


 その事実がただ嬉しかった。







 マージとユサが家に戻ると、すでにヒルマは風呂から上がっていた。涼しげな服に着替えている。


 ソファーでジェイとまた酒を飲んでいた。よく飲む奴らだ。


「おかえりユサ。楽しかったか?」

「ああ、屋台がいっぱいで圧巻だったぞ。ヒルマなら泣いて喜んで……あれ?」


 ヒルマの顔が幼い。近付いてよく見ると、髭がなくなっていてたるみのない頬の線が見える。隣で大分ご機嫌になっているジェイがヒルマの肩を組んだ。


「さっぱりするとやっぱりいい男だなあヒルマ。見た目は」

「見た目限定はやめろ」


 男同士で戯れ合っているので放っておくことにして、マージの後について行き風呂に入ることにした。ユサもそれなりに汚れているし、今日は海水も被ったのでベタベタしている。正直有り難かった。


 食事を待たせるのは悪いので、さっさと入って終わらせる。脱衣所には新しい下着とマージの若い頃の服が畳んで置いてあった。黒の袖なしの丈の長いシンプルなワンピースだった。サラサラで軽く気持ちいい。ユサが女物を始め嫌がったからか、無難なのを選んでくれたのだろう。その心遣いが有り難かった。


 これまた用意されていたサンダルに履き替え、客間に脱いだ服をぱっと置いてから居間に向かった。


 先程戯れ合っていた男ふたりがユサを振り返る。ヒルマの目が見開かれ、思わずといった風に立ち上がった。正直居心地が悪い。


「ユサ」

「あんまジロジロ見るな」

「お、おう」


 それでもヒルマの視線はユサに釘付けだった。自分がいつの間にか立っていたことに気付いたのか、ストンと座り直した。


「可愛いな」


 ヒルマの頬が緩んだ。さっぱりしたヒルマは若くてまるで別人のようで、ユサは違和感を覚える。何だか首の後ろがむず痒くなってきた。


「だからあんまりジロジロ見るなってば」

「新鮮なんだよ、少し位いいじゃないか」


 口を尖らせて抗議するあたりはいつものヒルマだった。髭がない分余計幼く見えた。


 まあそれは置いておこう。聞きたいことは別にある。ユサはヒルマの横の空いているスペースにちょこんと座った。


「それよりもさ、ヒルマ」

「なに」


 またあの眩しそうな目をしてユサを見ている。


瑠璃国るりこくには何個石があるんだ? それと、残りの数も知りたい」


 日頃ヒルマがあまりにも能天気な為残数の把握すらしていなかったことに今更気付いたのだ。


 ヒルマが首からネックレスを外し、これまた呑気に数えだした。本人も把握していなかったらしい。驚愕の事実だった。


「いーち、にー、さーん、よーん、ごー、ろーく」

「ヒルマ、1をもう一度数えてるぞ」


 横からジェイが冷静に指摘する。


「本当か? じゃあもう一回。いーち、にー、さーん、よーん、ごー」

「あと5個だけか? すごいじゃないかヒルマ」

「この間翠国すいこくでふたつ見つけたんだよ。ユサが見つけてくれてさ」


 えっへんと自慢げに語るが、あくまで見つけたのはユサである。ヒルマが威張ることではなかろう。しかしジェイにとっては問題はそこではなかったらしい。


「ユサちゃんが見つけたってどういうことだ?」


 そうか、ジェイ達は知らないんだった。


「俺、ヒルマの欠けた一部みたいなんだ」


 ユサがジェイに教えると、ジェイの目が点になった。


「え? ユサちゃんがヒルマの一部? 何で? どういうこと?」

「ジェイ、俺たちも分からないんだ。でもほら」


 ヒルマはそう言うとユサにネックレスを近付けた。室内はランプの灯りで明るい為あまり目立たないが、ひとつの石が確かに強く光り始めた。ジェイがネックレスの石とユサを見比べる。


「ああ、だから一緒にいるのか。それで一緒にいる間にヒルマがユサちゃんを好きになっちゃった訳だね」

「ジェイ、そんなに細かく納得しなくていいから」

「いやあなんか運命を感じるねぇ」

「そういう言い方は悪くないな」

「だろ?」

「ははは」


 また男同士戯れ始めたがユサは無視して話を進めることにした。


「あと何が足りないんだ?性欲だろ? 痛覚だろ? あと3つは何だ?」


 ヒルマが腕組みをして考え出した。


「腹が減ったな、とか用を足したいとかいう感覚はまだない。内臓感覚っていうのか? あとは分からん」

「じゃあ満腹にもならないのか? そりゃ可哀そうに」


 ジェイが同情顔になった。ユサは今までを思い返す。そういえば、ヒルマがお腹いっぱいだなどと言ったのを聞いたことはなかったかもしれない。


「あれは? 血液とか。お前の血、真っ黒だろ?」

「お、ユサ頭いいね。でも肉もないぞ? というか臓器もないんじゃないか?」

「え、お前心臓の音するぞ。俺天幕で聞いたぞ」


 リン・カブラの天幕で引っくり返って寝てしまった時、ヒルマの胸の上で寝た。あの時、確かに鼓動が聞こえていた筈だ。


「ユサちゃん何でそんなこと知ってるの?」


 ジェイが呆れ顔で尋ねた。ユサは黙った。あまりペラペラと話す内容でもないように思えた。だがヒルマは遠慮なかった。


「ユサが酒飲んで引っくり返った時に、俺が裸で温めてあげたんだよ」

「恋人同士でもないのに何やってんのお前ら」

「いや、その、あれは不可抗力で……」


 何で言うんだこの男は。やはり考えなしだ。馬鹿だ馬鹿。ユサは慌てて話の軌道修正を行なった。


「だから、臓器はあるぞ。骨もあるだろ? てことは血肉かもな」

「どっか別のところに保管されてるのかな?」


 ジェイが薄気味の悪い想像をしたが、あながち間違ってはいないかもしれなかった。


「ということはあとひとつ。何だろな?」


 ヒルマが自分のことだというのに呑気に首を傾げた。というか、最初の質問の回答がまだだった。


「ヒルマ、この国には何個あるんだよ」

「あーそれね」


 またにへ、と笑う。髭がないから子供みたいな笑顔になっていた。違和感満載だ。


「実は、ない」

「……あ?」


 ヒルマが満面の笑みになった。


「ユサに海を見せようと思って。ははは」


 今度はユサが口をあんぐり開ける番だった。

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