第34話 拒絶
ユサとヒルマは、ヒルマがマージと呼んだグラマラス美女の後ろをついて行く。てっきりヒルマはマージと並んで歩くのだろうと思っていたら、ユサの隣に並んでユサの頭をぐしゃぐしゃと撫でている。意味不明の行動だった。
「ヒルマ、何してんだ。やめろ」
無理に手を振りほどくと、またあの何とも言えない目をされてしまう。そうすると今度はユサがいたたまれない気持ちになってしまうので、本当はすぐにでも振り払いたかったが致し方なく口で伝えた。
ヒルマが拗ねた。
「ちょっと位いいじゃないか」
「やだね。髪がぐしゃぐしゃになるだろうが。何の目的があるんだよこれ」
ヒルマの目が泳ぐ。
「目的……まあ、いいじゃないか」
「よくねえよ。離せ」
ヒルマはぶすっと膨れると、渋々といった
「もう少しよ。ちゃんとついてきてる?」
ふたりが細かい
「あ、はい」
「ユサ、あいつには随分と素直じゃない?」
「だって、なあ」
「なあ、じゃないよ。まさかユサ、男よりも女が好きなのか?」
ユサは考え込んだ。ユサの元クソ主人はいけ好かない奴だったので、ユサは好き嫌い以前に信用出来ずただひたすら苦手であった。あいつの元で秘書みたいなことをして働いていたあいつ、あれも男だった。そしてまあ、好きだったのだと思う。でも。
隣にいるヒルマを見上げる。こいつに関しては色恋沙汰にすら達していない。達する気もさらさらない。前を行くマージを見る。一瞬で好意を持った。だが、それが恋愛としてどうかというと、そういうものでもない気がする。
そして、しばらく忘れていた、忘れることが出来てしまっていた事実に愕然とした。ユサはこの考えなしと一緒に居るせいで、この手であいつを殺したことすら今の今まで忘れていたのだ。今まで忘れたことなど一度たりともなかったのに。
海を見て、波に触れて、更に素敵な女性に出会って弾んでいた心が、一気に萎んだ。
どんなに取り繕おうがどんなに忘れようが、ユサは人殺しだ。この事実は消えてなくなりはしない。これは消えないようにずっと心に刻んでいかなければならない。忘れてはいけない。自由を手にする為に好きだった相手を殺したのだから。
急に黙り込んでしまったユサを見て、ヒルマが不安そうに顔を覗いてきた。
「どうしたユサ。まさか本当に女の方がいいのか?」
ユサは返事が出来なかった。それに、この呑気な考えなしに話したとしても何かが変わる訳でもないように思えた。
「……ユサ? 本当にどうした?」
「あのさ。俺は別に女が特別好きな訳じゃないけど」
「あ、よかった」
ヒルマが呑気にほっとしている。ユサは続けた。
「でも、俺にはもう人を好きになる資格なんてないから」
「……ユサ?」
それきり、ユサは黙り込んだ。ヒルマの手がまた伸びてこようとして、途中で動きが止まったのが分かった。それでいい。ユサに優しさは必要ない。どうせ築いた心地よい関係はユサがいつかは自分の手で壊してしまうに違いないのだから。
調子に乗っていたのだ。新しい場所で新しい物を見て、ユサにも明るい未来があるかもしれないと根拠のない図々しい希望を持ってしまった。ヒルマの考えなしにつられた。
ユサは唇をきつく噛みしめた。
忘れてはいけない。ユサは罪人だ。ユサらしく生きる為にそうであることを選んだ。ユサの今は、あの男の閉ざされた未来を奪った上で成り立っているものだ。人の未来を使っている以上、あの男の死を忘れることはやってはならないことだ。
ヒルマは過去を振り返らないように考えることをやめた。でもユサはそれは出来ない。それはあまりにも卑怯に思えた。
ユサの契約は、ヒルマに協力してヒルマの欠けた物を集めること。ヒルマはその間ユサに食事を与える。それだけの関係だ。
これ以上の慣れ合いは危険だった。であれば。
「ヒルマ」
「おう」
ヒルマが穏やかに笑った。
「これ以上俺に優しくするな。俺たちは契約を交わしただけの仲だろ」
「……何だそれ」
瞬間、ヒルマの表情が凍り付いた。足が止まる。ヒルマが先を行こうとするユサの手首を掴んで引き留めた。
「離せ、気安く触るな。そういう契約だろ」
手首を振りほどこうとするが、ヒルマの力は強くて振りほどけない。早く振りほどいておくんだった。拒絶されると目が揺らいでしまう程にヒルマがユサに気を許す前に、そうしておくべきだったのだ。
「どうしたんだよユサ! さっきまであんなに楽しそうだったじゃないか! あんなに笑ってたじゃないか!」
ヒルマが怒鳴る。低い男の声。途端、恐怖がユサの心を占める。怖い、怖い、怖い。
「俺、何か変な事言ったのか? だったらそう言えばいいじゃないか! いつもみたいに蹴り飛ばせばいいじゃないか!」
「やめろ……!」
手が震え始めた。怖いんだ、どうしようもないんだ。ヒルマにはそう伝えた筈だったのに、あれは伝わっていなかったのか。
「ユサ! 俺を拒絶するなよ!」
ヒルマの声には悲痛さが漂う。分かってはいる。でも、無理だ。ユサの目から、涙が溢れ出した。ヒルマがはっとした顔をする。すると。
「あんた何やってんのよ!」
パン! といい音が辺りに鳴り響いた。マージが思いきり腰を入れてヒルマの頬を平手で叩いたのだ。次いでユサを庇うように抱き寄せる。泣いているユサの顔を見て、マージが泣きそうな顔になってしまった。震えるユサの手を握り、ゆっくりと背後に立つヒルマを振り返った。
低い声だった。
「あんた、女の子怖がらせて馬鹿じゃないの? 脳みそをちゃんと使いなさいって散々言ったのも結局聞いてなかったの?」
ヒルマは痛くない筈なのに、ぶたれた頬を押さえたまま俯いて佇んでいる。ボサボサの前髪に隠れて、あの不思議な青い目は見えなかった。
それがせめてもの救いだった。
「ユサは私と歩きましょ。ヒルマは少し離れてついてきなさい!」
マージはそう言い放つと、ユサの肩を抱いて歩き出した。背は同じくらいだったが、ユサは何だか守られているような気がして安堵した。
「もうあとちょっとで着くから。着いたらあいつは別の部屋に閉じ込めておくから、ユサは安心して」
マージはいい香りがした。花の香りだろうか。隣にいるのがマージだからか、震えはすぐに治まってきた。涙を拭うと、もう出て来なかった。喉と鼻がツンとして痛かったが、これは泣いた名残だろう。
「男の中でも特にあいつは考えなしだから。ユサ、一緒にいて大変だったでしょう」
「昔は考えてたようなこと言ってたけど」
マージが笑う。手の先をひらひらしている。
「昔っからなーんにも考えないのよ。突っ走って、失敗しても、まあいっかでおしまい」
「あいつらしい」
くすりと笑みが出た。ようやく出た。マージが安堵の表情でユサを見た。
「だからあんな身体になってもちっとも反省しないでまだ私の周りをウロウロ。だから振ってやったわ」
ユサがマージを見返す。マージの顔には、後悔の色は見えなかった。
「私は歳を取る。あいつは若いまま。私の歳があいつに追いついた時、もう待てないと思ったのよ」
マージがにこりとした。ひとつの家の扉の前に立った。
「ようこそ我が家へ。私、同じ盗賊の仲間だった別の男と結婚したの」
扉を開け、中にユサを招き入れた。
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