第29話 洗浄処理
良く晴れ渡った柔らかそうな雲が浮かぶ青空には、一羽の鳥の姿が見えた。
犬もヒルマもぐっすり寝ている。
する事も特にないので、ユサはその鳥の影を目で追った。そこそこ大きい鳥なようで、空を気持ちよさそうに滑空している。たとえ翼が生えたとしても、地に足を付けないで空を飛び回るなど蟻塚で底を這い回っていたユサには無理そうだったが、ただ見てる分には心地よかった。
先をのんびり飛んでいた小鳥の集団を上から襲い、あっという間に一羽を
仲間を捕らえれてしまった鳥たちが騒ぎまわってピチピチ鳴いていて、その塊の空から何かが降ってきた。それはグングンこちらに近づいてきて、ヒルマの寝ている顔にペチッと落ちた。
鳥の糞だった。
ユサは笑いが堪えられず、ついぷっと吹いてしまった。
ユサの声で起きたのか、それとも何か違和感を感じたのか、ヒルマが目を閉じたまま手でそれを拭った。薄っすらと目を開け手に付いたその正体を確認し、次いで必死で笑いを堪えているユサを見た。寝起きの機嫌の悪そうな顔が更に機嫌悪くなった。
「ユサ、そこは大丈夫? とかそういう優しさはないの? 何で笑ってんの」
「ぷ……くくく」
「本当性格悪いんだから」
「仕方ないだろ、性格悪くなきゃ生きてられなかったんだから」
「へいへい」
ヒルマがのそっと起き上がると川に手を洗いに行った。ユサの笑いで身体が揺れたからか、膝の上の子犬も目を覚ましたようだ。ぐーっと伸びをし、身体をプルプルと震わせた。
「よく寝れたか? ん?」
「クウン」
子犬の顔の横をそっと撫でた。子犬は気持ちよさそうに顔を擦り付けてくる。すると、スンスンと草むらに鼻を付けて歩き出した。
手とついでに顔も洗ったらしいヒルマが、濡れてしまった髪から水滴をぽたぽたと肩に垂らしながら近寄ってきた。一体どれ位ぶりに顔を洗ったんだろうか。心なしか肌の色が明るく見えた。
「お、そろそろするか?」
「し! 邪魔すんな、可哀そうだろ」
ユサがヒルマを手で制した。ヒルマの足が止まった。子犬は同じ場所をクンクンしながらくるくると歩き回っている。
「……俺にも少しはその優しさを分けてくれ」
「要らねえだろ」
「そんなことないんだけど」
ぶつぶつ言っているが無視する。こいつの言うことにいちいち反応していたら日が暮れてしまいそうだった。
子犬はくるくるくるくると回転し、やがて一か所で腰を少し上げた状態で踏ん張り出した。ユサは固唾を飲んで見守った。
「頑張れ頑張れ」
小声でユサが応援する。
「ユサの方こそ邪魔になってんじゃないのか?」
一歩離れた所で腕組みをして突っ立っているヒルマがぼそっと言った。ヒルマをチラッと見た。まあ、それはそうかもしれない。ユサは無言で視線を子犬に戻した。
「捻くれてるんだから……」
当然ユサは無視した。お、出てきた。
「ヒルマ、道具の用意したらどうだ」
「ユサ拾ってくれないの?」
「何で俺がやるんだよ。自分のことだろ、自分でやれよ」
「優しさが欲しい……」
わざと聞こえるような大きさの声で呟いていたヒルマだったが、ユサにやる気がない以上自分がやるしかないことは分かっているのだろう、用意したザルと火ばさみを持ってきて子犬の背後で待機した。
石が詰まってしまっているのか、まだ踏ん張っている。これだけ見られるとやりにくいかもしれないが、見逃す訳にはいかなかったのでふたりは真剣にただ見つめながら待った。
ブリッと音がして、続きが出てきた。
「うわっ緩い」
ヒルマがドン引きしている。石を口にしてしまって下ってしまったのだろうか。可哀そうに。
「それで掴めるといいな」
「完全に他人事だよね」
情けない面をしながら、火ばさみをカチカチ鳴らした。子犬はスッキリしたのだろう、砂を蹴る仕草をしたが砂はない。ユサが子犬を抱き上げてお尻を見た。汚れは付いてなかった。
「ほら、いいぞヒルマ」
「そういう時だけ名前で呼ぶよね」
先程からヒルマは文句しか言っていないが、子犬をどけてやるともう逃げ道はないと悟ったのだろう、ザルを草の上に置き、腰をかがめて火ばさみを使って拾い始めた。指で摘まむ訳ではないし対象も大きいのでいけるだろうと思っていたが、どうも力加減が分からないのかうまく掴めずに地面に落とした。
半泣きの顔をしてユサを見上げた。無精髭の泣き出しそうな顔は情けない以外の感想を持ちようがない。
「ユサ……頼む。俺には無理だ。潰しそうだ」
「だってこいつどうするんだよ」
子犬の脇を両手で持ってヒルマの方にずい、と出すとヒルマの顔が引きつった。本当に怖いらしい。
だが、我慢したみたいだった。
「か、代わる。リードを持つ位なら、多分俺だって出来る」
「ほー」
ユサが目を細めて疑わしげにヒルマを見たが、ヒルマは真剣そのもののように見えた。
「仕方ねえな」
わざとらしく溜息をつくと、少し離れた場所で子犬を地面に降ろした。リードをヒルマに差し出すと、ヒルマは足元にザルと火ばさみを置いて、覚悟を決めたようにユサの方に近づいてきて、少し離れた位置でリードの先を受け取った。
「散歩でもしとけ」
「お……おう」
心なしか顔色が青くなっているようにも見えたが、ユサは気にしないことにした。とりあえず作業の邪魔をされなければいい。ユサはさっさと向かうと、火ばさみを器用に使ってちゃっちゃと全部をザルの上に乗せた。多少緩くても手加減で何ら問題はなかった。逆に、何故ヒルマにはこれが出来ないのかが理解出来なかった。
それに、ヒルマは尋ねてこなかったから何も話さなかったが、ユサは実は犬には慣れていた。可愛い大きいふわふわの毛をした犬と一緒に過ごしたから、糞尿にも慣れている。だけど、クソ主人にちょっと軽く噛みついたという理由だけで殺されてしまった。だからユサはあまり思い出したくはなかった。
ザルを持ったままヒルマたちを振り返ると、リードの先を摘まみながら子犬が勝手に進む方に連れて行かれていた。手元のザルを見る。これを川の水で洗い流すにしても、ヒルマだと肝心の石まで流してしまいそうだった。
ユサはやれやれと小さな溜息をひとつつくと、川縁にしゃがみ込んでザルを水面に浸し、火ばさみで器用に洗い始めた。水の中で少しずつほぐれていく。
始めに出た方からは何も出なかった。後で出た方をほぐしてみると、何個か石があった。更にほぐしてみる。
「あった……!」
子犬で内臓が未発達だからか、あっさりと出てくれてよかった。後はこれを綺麗に洗わないとだが、まあここまでくれば手洗いでもいいだろう。少なくともユサは平気だった。ヒルマ程の拒絶感は元々ない。
完全に洗い流されたことを確認してから、ザルから残った石を指で拾い集めた。全部で4つ。あの子犬は食いしん坊なのだろう。それかただ腹が減っていただけか。
ザルを横に置き、手で更に擦り合わせて綺麗に洗っていった。ヒルマの石を持ち上げて汚れを確認してみたが、もう汚れは付着していなかった。
ユサは立ち上がるとヒルマを振り返った。
「ヒルマー終わったぞー」
だが、草原の中にヒルマの姿はない。ユサは急に不安に襲われた。またいきなりいなくなるのか。
「ヒルマ!?」
自分で思っていた以上に、切羽詰まった声が出てしまった。
「……ユサ~」
小さな声がした。急いで声のした方を見ると、草むらの中に小山のような物が見えた。あれは、ヒルマの背中だ。子犬の頭も見えた。すると、子犬は楽しそうにヒルマの背中にぴょんと飛び乗った。
「うあああああ」
ヒルマの首筋をクンクンしている。
「やめてくれえええ」
ユサは破顔した。不安はどこかに霧散していった。そして意地悪したくなる気持ちが沸き上がり、わざとゆっくり歩いて行った。
「何やってんだよ」
「こいつをどけてくれええ! あ、首は勘弁だってば! 気持ち悪い! ああああ」
「大きな図体してなっさけねえの」
まだヒルマの頭をクンクンしている子犬を抱き上げると、ヒルマが目の端に涙を滲ませてユサを見上げた。本当子供みたいな奴だった。
「いきなり足に飛びつかれたから、つい」
「つい、じゃねえよ。ほら、終わったから道具持って今度はこいつをルーシェに渡しに行くぞ」
ヒルマが立ちあがると、冷や汗をかいたのか額を拭ってから笑顔になった。
「洗ってもくれたのか? 何だユサ、俺にもちゃんと優しく出来るじゃないか」
「そういう気分だっただけだ。調子乗んなよ」
ふん、という表情を作ると、ユサは町に向かって歩き出した。
「待てってば」
ヒルマが道具を取りに戻り、急いでユサを追いかけ始めたのだった。
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