第28話 身の振り

 怒り狂うユサに言われた通り、考えることにしてみたヒルマが用意した物。


 ザル。火ばさみ。ついでにヒルマの服も一式買っていた。


 ヒルマが少し自慢げに見せてきた。


「これならいいだろ? どうだ、俺だって考えれば出来る男なんだ」

「ふん、まあいいんじゃないか?」


 ユサは、犬の首に紐を巻き付けそこから伸ばしたリードをくるくると手に巻いた状態で子犬を腕に抱いている。道具を用意する前に糞をしては今度はユサが困るので、あれからずっと抱っこしていた。フワフワしていて軽くてとにかく堪らない。


「で、どこで作業するんだ?」


 見たところこの辺りに洗い流せるような水場はない。ヒルマが答えた。


「川が近くにある筈だ。これだけの大市場だからな、湧き水や持ち込んだ物だけじゃ賄えん。必ず近くにある」

「へえ」


 ユサはこれまで紅国こうこくから出た事がない。あの国は技術が発展していて地下水を動力を使って汲み上げていたので、川という物は見たことがなかった。


「川ってどんなんだろう? お前は見たことあるのか? ん?」


 腕の中の子犬に話しかける。自分に話しかけられているのが分かっているのだろう、キラキラ濡れた瞳でユサを見上げてきた。ユサは堪らず子犬の小さな頭に頬ずりをした。太陽の匂いがした。


「ユサ、ダニ付くぞ」


 ヒルマがユサの様子を遠巻きに見ながら思いやりもへったくれもないことを言った。子犬に極力近寄りたくないらしい。図体はでかいのに随分と肝っ玉がちっちゃい男だ。


「うるせえ。お前の方が余程汚いだろうが」

「ユサって子供とか犬とかに対する態度と俺に対する態度が全然違うよね」

「当然だ。お前は可愛くない」


 きっぱりと言い切ったユサに、ヒルマはまたいじけ始めた。しょんぼりと肩を落として時折ユサの方をチラ、と見てくるのがうざったいことこの上ない。従ってそれについては無視することにした。


「ほらヒルマ、川の場所をさっさと確認してくれ」

「……おう」


 ユサに言われ、素直に先程犬の話を教えてくれた男に近寄って行った。ユサは木陰で待つ。子犬は眠くなってきたのか、目がとろんとしてきていた。この可愛さを理解出来ないなど、やはりヒルマには何かが欠けているに違いなかった。


 しばらくしてヒルマが木陰に戻ってきた。


「あっちだと。町を出た所に流れているそうだ。行こう」


 ヒルマが鞄を背負い先導する。リン・カブラの天幕を丁度背にする形となった。


 ルーシェは今頃何を考えているだろうか。ふと気になった。仮にも親子、それに親子関係は問題なさそうだったからリンに何か危害を加えられることはないとは思うが、親が人を傷つける姿を目の当たりにして何も思わなかった筈がない。あの爺さんがルーシェを守ってはくれるだろうが、所詮は使用人。出来ることと出来ないこととがあるだろう。


 ユサは、腕の中でクークー寝始めた子犬を見た。


 ヒルマは犬が苦手だ。ユサがいくら望んでも、恐らく一緒に連れて行くことは叶うまい。それにヒルマもユサも本業は盗賊だ。盗みに入るのに犬ははっきり言って邪魔にしかならない。万が一吠えられでもしたら取っ捕まってしまう危険を招く生き物を連れて歩く訳にはいかなかった。だが。



 無償の愛を与え、与えられる。それはルーシェにとっては救いとなるのではないだろうか。



 前を行くヒルマに声をかけた。これからのことを考えて憂鬱なのか、広い背中が情けなく丸まっていて、小さめの天幕が立ち並ぶ狭い通路を歩く足取りはかなり遅い。


「ヒルマ、あのさ」

「何だ」


 振り返ったその表情も憂鬱そうだった。まあ、ユサも分からなくもない。犬の糞など出来れば触りたくはない。特にヒルマは犬嫌いなので余計そう思っているのだろう。


 町と草原の境目まで来た。風が草を優しく撫でていく。空にはまろい白い雲が浮かんでいた。


「石がちゃんと出てきたらさ、この犬をルーシェにあげたいんだ」

「ルーシェに? 何だってまたそんなこと思いついたんだ?」


 ヒルマが歩を緩めてユサに並んだ。子犬が寝始めたのを見て少し安心したのかもしれない。先程まで丸まっていた背中がしゃんと伸びた。しゃんとしていればまあまともな人間に見れなくもない。汚いは汚いが。


「あいつ、寂しそうだったろ?」

「そうか? 俺はただのエロガキだと思ったけど」


 ユサがヒルマのふくらはぎを足の甲で後ろからパン! と蹴った。ヒルマがまたふくれっ面になる。


「蹴るなって」

「痛くねえだろ」

「そういう問題じゃないんだけど」

「ごちゃごちゃうるせえな。また蹴るぞ」

「……」


 ヒルマが黙った。


「話続けるぞ。あのリン・カブラって奴は性格が捻じ曲がってそうだからな、あのままあいつの元でルーシェが育つと愛情が欠けるんじゃないかと思ってさ。この子と一緒に過ごすようになったら、もしかして今のまま育って優しい大人になれるんじゃないか?」


 ヒルマは引き続き黙っている。黙ってユサを恨めしそうに見ていた。こいつ、わざとだ。ユサはイラっとした。


「何か言えよ」

「うるさいって言ったり話せって言ったり勝手なんだから……」


 ぶつぶつうるさかったが、また黙られるとそれはそれで面倒くさい。ホカホカ温かい子犬の体温を感じながら、ユサはヒルマに言った。


「だから、お前が後でこの犬をルーシェに届けてくれ」

「無理。絶対無理」

「お化けを怖がる子供かよ」

「さっきから段々表現が若返ってるよね」


 不毛な会話を交わしていると、目の前に急に水場が現れた。草に隠れて全く気付かなかった。それ位流れの緩やかな川だった。深さはどれ位だろうか、大小様々な石が透明度の高い水の下に沈んでいるのが見える。膝丈位かもしれなかった。幅もそこまで広くはなく、ヒルマを寝転がしたらその上をぎりぎり渡れない程度だろうか。


「これが、川」

「川、見たことなかったのか?」


 ユサは素直に頷く。先程ユサが子犬に話しかけていた内容までは聞いていなかったらしい。


「少なくとも蟻塚にはなかったな。俺は初めて見る。きれいなもんだな」


 ヒルマを見上げつつ、初めて見る光景に嬉しくなってつい微笑んでしまった。それを見て、ヒルマも微笑み返してきた。お互いにこにこして見つめ合う。


 しばらくして、ユサは我に返った。何やってるんだろう。もしかしたら、こいつの阿呆が移ってきているのかもしれない。それは勘弁してほしかった。


 ユサは無理やり笑顔を消すと、ヒルマに言った。


「こいつ寝ちゃったんだけどどうする?」


 腕の中の子犬をヒルマに見せる。目を閉じてくうくう寝ている姿は純粋無垢の化身のようで恐ろしい程愛おしく感じた。この可愛い生き物をただその辺に放り投げることなど、もうユサには出来そうになかった。だとしたら、何としてでもルーシェに届けてやりたかった。


 そう、その話はまだ片が付いてなかった。


「待つか」


 ヒルマが川縁から少し離れた場所に座り込んだ。ユサも同じように座り、崩した足の上に子犬をそっと寝かせると頭から身体の毛並みに沿って撫でた。ふわふわで気持ちいい。


「ヒルマ、さっきの話の続きだけど」

「……行けって言うんだろ」

 

 ヒルマがその場に寝転がった。両腕を枕にして、気持ちよさそうだ。川を流れる水の音が微かにした。


「俺が行って捕まると面倒だろ?」

「俺は何されようが死にはしないがな、犬は嫌いなんだ。嫌なもんは嫌なんだよ」


 珍しく強情だ。いや、こちらが本性か。いやいや、そもそもこいつは人の都合なんて考えていない奴だった。


「じゃあ、お前ルーシェを近くまでさらってこい」


 ヒルマが驚愕の表情でユサを見た。


「ユサって時折発言が物騒だよね」

「お前の考えなしの行動程じゃない」

「また考えなしって……」

「いいから。それなら出来るだろ? 俺が待ってるって言えばついてくるんじゃねえか?」

「確かにな。まあ、石が出てからだけどな」


 それはそうだ。ヒルマが大きな口を開けて欠伸をした。そういえばヒルマは夜の間寝ていないんだった。


 ユサがチラリとヒルマを見て言った。


「こいつもまだ寝てる。お前も寝てていいぞ、糞したら起こすから」

「……おう」


 納得したのかしてないのかは分からなかったが、ヒルマはそうとだけ返事をするとすぐに目を瞑った。


 ユサが爽やかな午前の風を感じている僅かの間に寝てしまったらしく、スー、スー、と気持ちよさそうな寝息が聞こえ始めた。

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