第26話 犬
ユサは光が見える方にずんずん歩いていく。
「おーいユサ、待てってば」
後ろからヒルマが追いかけてくるが、一度捉えた光の痕跡を失いたくなくて、ユサは振り返らず急ぎ足で前へ前へと進んでいく。
「おいユサ、ちょっと待て!」
ヒルマがユサの肩を掴んで止めた。ユサは肩を上げてその手を払い除ける。
「何だよ。お前の探し物を手伝ってやってんだろうが。邪魔すんな」
ユサの目線はまだ光の方向を向いている。一瞬でも目を逸らす事で逃したくなかった。
ちっともヒルマを見ようとしないユサのその行動を見て、ヒルマがぶつくさと文句を垂れた。
「……本当ユサって自分のことは棚に上げてさ……。まあいいや、そうじゃなくて、とにかく待て」
「何だよ、さっさと見つけようぜ」
「違う、よく見ろ」
ユサの目のすぐ前でヒルマが斜め前を指差した。
ヒルマが指を差す方向にはリン・カブラの天幕が大きく見えた。光に夢中になって、天幕に近づいているのに気付かなかったのだ。
「あ」
ヒルマが溜息をつく。
「あ、じゃないよ。人の事散々考えなしだとか言っておいて、ユサだって似たり寄ったりじゃないか」
「お前程じゃない」
「……本当もうさ、取り付く島もないというか」
「うるせえな」
軽口を言い合いながら横に走る細めの通りに入っていく。一歩入ると、リン・カブラの天幕が天辺部分しか見えなくなった。
「でも目は逸らしたくない。分からなくなったら嫌だ」
「分かった分かった、ユサがぶつからないように引っ張ってってやる。方向を言え」
ヒルマが子供をあやす様に言う。そもそもお前の欠けたものだろうがと思うが、でもユサも気になることは気になった。
方向は、リン・カブラの天幕を超えて更に先の方のように思えた。天幕の向こう側が明るい。だとすると、天幕を避けるようにぐるっと回らなければならなさそうだった。ユサが指差す。
「あっち」
「分かった。じゃあ手を貸せ」
「あ?」
顔を顰めたユサを呆れたように見ているのが何となく分かったが、今はヒルマを見ている場合ではなかった。
「あ? じゃないだろユサ。じゃあ、手を繋ぐのと昨日みたく抱き抱えられるのとどっちがいい? あ、それとも腕でも組むか? 俺の腕に胸が当たるかもな」
「……手を繋ぐ」
仕方ない。接触を避けようとすればする程接触が増えていく気もするが。
ふう、とヒルマが溜息をついたのが聞こえた。
「じゃあ、手を貸せ」
ヒルマはそう言うとユサの左手を取ったが、ユサはとあることに思い当たりすぐに手を振り払った。
「ちょっと、ユサ」
ヒルマの声は傷付いた者の声だった。だが。
「お前、右手で手鼻噛んでから洗ったか?」
少しの間があった。
「……いや、洗ってない。だけどもう散々ユサにも触ってるし、もう時効じゃないか?」
「きったねえ……」
思いきり眉間に皺を寄せたユサを見て立ち入れない何かを感じたのか、ヒルマは早々に諦めた。
「分かった分かった。反対の手。それでいいだろ」
そう言うと、ヒルマの左手がユサの右手を握った。身体がでかいだけあって手も大きい。ゴツゴツしていて、思いきり力を入れられたらユサの指など簡単に折れてしまいそうだった。
ユサが言う。
「やっぱりお前どっかで風呂入れよ。汚すぎる」
「はいはい」
ヒルマは適当に返事をしながら、時折ユサを振り返ってユサの視線の方角を確認しながら前に進んで行った。
「でもなユサ、風呂ってのは温かいから気持ちいいもんだろ?」
「そうだな」
ユサはそれには頷いた。水浴びも夏場は気持ちいいかもしれないが、疲れを取るのであれば温かい方がいいに決まっている。そして思い当たった。ヒルマは温かみを感じない。
「温かくない風呂ってどう感じるもんなんだ?」
ようやく分かったか、みたいな顔をしているのだろうか。ヒルマを見ていないからはっきりとは分からないが、多分こいつは絶対そんな感じの顔をしているに違いなかった。なんとなく想像がついた。
「温度を感じさせない液体がただ身体を伝う感じだ。非常に気持ちが悪い」
「だからって風呂に入らないのか? じゃあ水風呂にでも入りゃいいじゃねえか」
「……まあ、そうなんだけどね」
ヒルマが黙った。時折チラチラとユサの視線の方向を追いながら、リン・カブラの天幕に近づきすぎないよう細い道を選んでぐるりと進んでいく。
「にしても、不思議だなあ」
ヒルマが呟く。独り言なのか、小さな声だった。その先が続かない。ヒルマは無言で進んでいく。
気になるではないか。何故そこで黙る。
「何だよ」
「いや、別に。独り言」
嫌な奴だ。普段はぽーっとしている癖にこういうこともするのか。あくまで光が見える方向からは目を逸らさずに、ユサは心の中でムカムカしていた。
「ヒルマのくせにむかつく」
「……くせにって何、くせにって」
ユサは無視した。そろそろ光が近くなってきたのか、正面はリン・カブラの天幕ではなくもっと低い天幕が密集する景色を見せ始めた。
「近いぞ、ヒルマ」
ユサに笑顔が浮かんだ。つられたのか、ヒルマも笑顔になった。こいつはすぐ笑う。ユサと違って。
「どの辺だ?」
「あっちだ」
光が見える方向を指差す。ユサの中には、今までに感じたことのないような高揚感があった。何だろう、この感覚は。何と表現したらいいのか。
そう、まるで欠けた物が見つかったかのような。
そう思い、またイラッとした。それではそれこそユサがヒルマの一部みたいだ。それは嫌だった。違う違う。
「ユサ? どうした?」
頭をブンブン振っているユサに何が起きたのか分からなかったのだろう、ヒルマが怪しいものを見るかのように顔を歪ませながら尋ねてきた。こいつもそこそこ失礼な奴だ。
「何でもねえ。行くぞ」
「……おう」
手を繋いだままふたりがずんずん前に進むと、やがて
ユサはヒルマの手を今度こそ振り払った。汗ばんでいた手のひらを服で拭く。
ここだった。
年配の男性が眠そうに胡座をかいて座っている所まで進んでしゃがむと、展示されている商品を順繰り見始めた。
遅れて隣にやってきたヒルマもしゃがんで一緒に眺めるが、首を傾げている。こいつは駄目だ。ちっとも分かっちゃいないらしい。
ユサは集中した。指輪やネックレス、ブレスレット等色々とある。大きな石の物から小さい物まで様々だが、全体的にみみっちい。もう少し豪華に盛ればいいのに、装飾をけちっていて大分残念な印象を受けた。
隣でぽやっと見ているヒルマをチラッとみた。まあ、こいつみたいだといえばこいつみたいだ。分相応ってやつか。
心の中で納得し、その理論だと自分もそれに該当するんじゃと思い至る。
「ま、俺もろくなもんじゃねえな」
呟くと、ヒルマが聞き返してきた。
「何だって?」
「お前は耳の遠いババアか」
「せめて男にしてくれよ」
「うるせえな」
ヒルマを黙らせ、もう一度集中する。ひとつ気になるブレスレットがあった。金属の輪の上に石がいくつも紐でグルグルと巻き付けられたブレスレットだった。その中の、中心から少し離れた位置にある白っぽい丸い石。これだった。
「ヒルマ。これだ」
「分かった。買おう」
ヒルマはそう言うとさっさと金を払って物を受け取った。こういうのは早い。金関係は素早いのかもしれなかった。他は不器用でも。
「ユサ、ちょっとあっち行こう」
ヒルマの目線の先には、木陰が気持ちよさそうな木が一本立っていた。木の近くにはラグを敷いている商人はいなかった。もしかしたら根っこでもあるのかもしれなかった。
「バラしてみよう」
ユサは無言で頷いて、先に行くヒルマの後をついて行った。
木の下は涼しかった。ふたりは向かい合わせに胡座をかいて座り込んだ。ユサがヒルマをふと見ると、こめかみから汗が流れていた。
暑さが分からないというのは随分と不便なものだろうな、そう思った。自分の身体が熱を持ってることも気付けないと、ひっくり返るんじゃないだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えた。
「ユサ?」
「すぐ取る、待ってろ」
ユサが服の裾を膝の上に広げ、ナイフを取り出してブレスレットを綴じていた紐を切る。切れた紐の奥を指で摘み、石を服の上に押し出した。取れた。
「ヒルマ、取れたぞ」
ユサが笑顔で向かいに座るヒルマを見上げたその瞬間。
「ワウ!」
いつからそこに居たのか、枯れ草のような毛の色をした子犬が、ユサの服の間に溜まっている石をぱくりと食べた。
「うわ! 何やってんだお前!」
急いで子犬を持ち上げるが、石の殆どはもうすでに飲み込まれてしまっていた。
ユサは焦る。
「ヒルマ、白い石は残ってるか?」
ヒルマが近づいてきて指で服の上に残った石をジャラジャラと混ぜている。
「ない。食われたな」
両手で子犬を掲げるユサと肩を竦めるヒルマが見つめ合った。
「まじか」
ユサが子犬を見ると、子犬は可愛い顔をしてユサの鼻をぺろっと舐めた。
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