第25話 次の石

 ユサとヒルマは、屋台のカウンターで麺を啜っていた。


「ふはいは、ほれ」


 はふはふしながらユサが言ったが、ヒルマには伝わらなかったらしい。ヒルマが眉を上げて顔を近づけてきた。


「何だって?」


 ユサは口の中に残った麺を飲み込むと、改めて言った。


「美味いな、これ」

「ああ、鶏白湯ていうんだ。いいだろ?」


 ヒルマのオススメ料理を出す出店を選んで食べてみたら、驚く程の美味しさでユサは感動していた。このコクに旨み。塩味がピリッと効いていて堪らない美味さだった。


 横であっという間に食べ終わってしまったヒルマが、ユサを羨ましそうに見ていた。


「いいなあ、美味そうで」


 味覚がないヒルマにとって、ユサの感動は只々ただただ羨ましいものらしかった。匂いで全くの無味に感じる訳ではないらしいが、こんなに美味しい物を味わえないとは哀れなものだ。


「お前こんな熱いのによくそんなぱっぱと食べられるな」

「熱さも感じないんだよ」


 ヒルマが少し寂しそうに笑った。いくら格好つけても、その無精髭と洗っていない頬についた垢が汚くて恰好がつかない。そろそろ一度こいつの頭から水をかけてやろうかとユサは思い始めた。


 しかし、熱さを全く感じないとはどういうことだろうか。汗はかくのに暑くないとは、一体どんな感覚なのだろうか。想像がつかなかった。


「熱を感じないのか? 温かさも?」

「冷たいのは結構前に分かるようになったんだけどね」


 ヒルマがカウンターに片肘をついた。


「だから昨日ユサが酒飲んでひっくり返った時、身体が冷えてるのは分かったんだ。お陰で対処出来たんだからな、少しは感謝しろよ」


 麺を啜りながらヒルマのその言葉の指すところを考え、横に座るヒルマに一瞥をくれた後、ヒルマのふくらはぎを横から蹴った。ヒルマが驚いた。


「蹴った? 今また蹴ったよね?」

「気のせいだろ」


 ユサはそう返答すると、皿を持ち上げてスープを飲み始めた。うん、美味い。身体がポカポカする。

 別にユサは今更初心うぶなふりをしたい訳ではなかったが、いわゆるそういう関係でもない男に口移しをされ、しかも上半身裸の上でのんびり寝てしまった身としては、今後出来ればこの話題は避けていきたかった。ただの相棒として接したいのに気まずくなるのは困るし、向こうがそういう目で見てきてもそれはそれで迷惑だし、対処に困る。


 肘をついて唇を突き出して膨れているヒルマをもう一度ちらりと見て思う。まあ、この男は基本深く考えないようなので、そういう感情なんて起こらないだろうが。なんせ性欲もない。性欲がなければきっとそういう気持ちも生まれないに違いない。そう思いたかった。


 ユサはガリガリだし髪も短くしているし、一見すぐに女とは思われなさそうな外見をしている。


 いくらこれから先はしっかり食事がとれるようになるとしても、あまり前のように肉がつくとまた女らしい外見になってしまうのは正直避けたかった。余計なトラブルが増えるだけのように思える。


 ユサは、きちんとした時の自分の外見が大体の男の目にどう映るのか、経験上ちゃんと理解していた。そもそもこの外見だったからこそ、商品になると判断されて父親に売られたのだから。


 この隣にいる大きな男とは、今後もそういったこととは無縁でやっていきたい。昨日背中を預けた位の、その位の距離をこいつとは保ちたい。であれば、安全をみて、肉をつけるのは体力がもう少しつく程度に留めるべきだろう。うん、そうしよう。


 ユサはそう決めると、皿の残りのスープを全て飲み干した。


 口の端についたスープを手の甲で拭うと、それをペロリと舐めた。非常に美味かった。


「ご馳走様」

「へい、毎度」


 ユサが立ち上がると、屋台の主が軽く返答して皿を回収し始めた。ヒルマものそっと立ちあがる。やはり大きい。これだけ近くにいると、その背の高さに時折圧を感じてしまう自分がいた。これはなかなか慣れそうになかった。


 ユサはそんな自分に苛立った。


 ヒルマを見上げると、キョロキョロと辺りを見回している。


「何してるんだ?」

「何って、ユサの指輪に合う石を探すから、そういった店を探してるんだよ」


 ルーシェの指輪にはめられた石の代わりとなる石のことだ。


「ヒルマ、それもいいけど、お前のももう1個この辺にあるんだろ? 探さなくていいのか?」

「これだけ明るいと分からん」


 肩をすくめてあっさりと答える。だったら昨晩呑気に寝てないで、光を辿ればよかったんじゃなかろうか。これだから考えなしは駄目だ。効率が悪いことこの上ない。ユサはヒルマのあまりの無計画さに呆れ返ってしまった。


「昨日暗い内に見とけばよかったじゃないか。本当お前は考えなしだな」

「だってユサ疲れてただろ」


 むすっとしてヒルマが返した。ヒルマのその返事が意外で、ユサは驚いてヒルマを見上げた。


「俺?」


 ヒルマが小さく頷いた。少し不機嫌そうな顔になっている。


「昨日だけで色々あったじゃないか。俺だけならそのまま夜の間も探したけど、ユサを同じように連れ回したら体力持たないだろ? ただでさえガリガリなんだし、今朝だって結局起こしても全然起きなかったじゃないか」

「う……」


 それを言われると辛いものがあった。体力がない。今のユサには、その言葉が一番ぐさりと刺さった。


「今後はもう少し体力付ける為にも食ってくれよ。金はどうとでもするから」

「……分かったよ」


 ヒルマは、やれやれ、といった風にユサを見下ろして腰に手を当てている。


 もうこの話は十分だった。体力については今すぐどうこう出来る種類のものでもないし、ユサが不利な話は是非とも避けたい。


 ユサは話題を変えた。


「それにしても、昼間の明るい時間に探せないって随分不便じゃないか? 他に探す方法って本当にないのか?」


 まあ大体は人の所有物のようだから盗む側としては辺りが暗い方が当然いいのだろうが、大まかな場所すら日中には探せないとなると効率が悪いことこの上ない。


 ヒルマがユサをじっと見た。


「何だよ」


 ヒルマが腕組みをする。外套から出た腕の服は破けて切り口が黒ずんでいた。ユサが刺したところだ。多分腹と、あと昨日自分で刺していた腿のところも同じようになっているに違いない。こいつの服も調達した方がよさそうだった。


「お前服ボロボロだな。いい機会だから買えよ」

「いっぱい刺さっちゃったからな。て、俺の服のことじゃなくて、ユサ」

「何だよ」


 ヒルマがユサに一歩近づいて、ユサの目を覗き込んだ。


「あんた、その指輪がしっくりくるって言ってたよな?」


 ユサが手の中指の指輪を見る。今も「ここにあるぞ」と言われている不思議な感覚はあったので、頷いた。


「であれば、もしかしたらユサが分かるかもしれないな」

「は?」


 言ってる意味がよく分からなかったが、ヒルマはひとり納得したように頷いている。それがまたむかついた。


「意味分かんねえ」

「いやだから、昼間は光が見えづらくて分からないけど、ユサならなんとなーくどこにあるのか分かるんじゃないかと思って。何か感じない? どっちの方とか」

「丸っきり犬扱いじゃねえか」

「いいから」


 さっき犬みたいじゃないと確認したばかりだというのに、扱いはやはり犬か。

 

「仕方ねえな」


 効率化の為だ。ユサは目を閉じた。じっと感覚を研ぎ澄ましてみるが、主張するのは中指の指輪ばかり。光のような熱のようなものを感じる。あとは、自分の目の奥には光がある感覚。こんなものだ。他になんか何も感じない。


 ユサは目を開けた。


「何も分からない。無理じゃねえかこれ」


 ヒルマを見上げて言うと、ヒルマの左肩の後ろが光って見えた。


「ん?」


 ヒルマの肩を両手で掴んで下に引っ張って奥を覗く。何もない。肩の向こうの道を見る。何となく眩しい、気がする。


「お、なんだなんだ」


 叩いたり蹴ったりする以外はヒルマに触ることのないユサのいきなりの接触に焦ったのか、ヒルマの態度がおかしい。挙動不審に目が泳いでいる。だが今はそんなことより、この光だ。


 ユサは肩から手をどけると何となく明るい方を指差した。


「あっちだ」


 感覚じゃなかった。ユサの目に映るのは、光だった。


 ヒルマがユサを不思議そうに見る。ユサは頷いた。


「あっちが明るい。多分あれだ」

「本当か? すごいなユサ!」


 心から嬉しそうに笑ったヒルマがまた手を頭に伸ばしてきたが、ユサも慣れてきた。サッと避けると一歩先に出てヒルマを振り返った。行く当てのなくなった手を手持ち無沙汰にしているヒルマがいた。


「ほらいくぞ!」

「……おう」


 少し不服そうに、だが仕方ないな、といった風にヒルマが微笑んだ。

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