第21話 惰眠

 腕で首を締め付けられたまま、ユサは天幕の中へと引きずられて行った。


 声を出したいが、喉が圧迫されて痛くて出ない。耳がキン、とする。


 この男の顔は見えないが、一体どんな表情をしてるのか。勝ち誇った顔か、それとも獲物を痛ぶる顔か。


 カハッと咳が出る。


「おや、少し強過ぎましたね。これは失礼」


 リンは笑いながら腕を喉の上から顎の下に少し移動した。若干息はしやすくなったが、拘束されていることに変わりはない。


 これが本性か。ルーシェはこの父親の姿を知っているのだろうか。


 こんな状況だというのに、ユサはルーシェを憐れに思った。どいつもこいつも、自分のことしか頭にない。弱者がどんな思いをして理不尽な状況を仕方なく受け入れているのか、そんなことすら想像しない。


 ずるずると、どんどん中へと引きずられていく。


 リンは、ヒルマが中にいると言っていた。この天幕の住人のルーシェが一緒に探して、ユサ自身が確認出来なかった部屋はこの男の部屋のみ。だがルーシェはヒルマの姿はないと言っていた。


 あの大きな男が、だ。


 と考えると、拘束されて身動き出来ないでいるか、眠らされているかのどちらかだろう。



 なんせあの男は死なない。



 先程、リンは言っていた。まだ何もしていない、これからすると。であれば、まだこいつはヒルマの身体のことを知らない。あいつが死なないことも知らない。勝機があるとしたら、そこではないか。

 ならば、ヒルマのところまでこの男に案内してもらおう。


 ユサは一旦抵抗を止めた。ユサはあまり体力がない。今夜はしっかり食べることが出来てはいたが、体力は温存しておいた方がいいだろうと思った。


 ユサの頭の上から、性格の悪そうな綺麗な声が笑いかける。


「どうされましたか『朱姫あけひめ』。もう参りましたか?」

「俺は……ユサだ。朱姫あけひめなんて知らねえ」


 苦しいが声を絞り出した。


「またそんなことを。張り合いのない」


 何がそんなに楽しいのか、クスクス笑っているが手加減は一切なく、締め付ける腕はユサの顎を持ち上げていて不快なことこの上ない。


 これは、踏みにじることに慣れ切った人間の所業だ。



 ルーシェも、いずれこうなるのか?



 ふとその可能性に思い当たり、背筋がぞくりとした。この親の元でこのままいけば、遅かれ早かれ染まってしまうのではないか。あんなにも素直な子だからこそ。


 ギリ、と奥歯が音を立てた。


 いつもいつも大人は子供を搾取する。何とか、ルーシェに伝えられないか。ユサは祈った。多少歪んだっていい。だけど、人を蹂躙じゅうりんしてはいけないのだと、誰にもその権利などないことを、あの真っ直ぐな瞳を持つ子供に伝えたかった。



 お前にはお前の道があるんだと。


「ルーシェは……ルーシェは知ってるのか」


 リンが呆れたように笑った。


「この期に及んで他所の子の心配ですか? もう少し頭がいい方かと思ってましたが」

「お前は親だろうが……!」


 先程食事をした広間に着いた。中には、黒装束を着た人間が4人。顔も隠され、男か女かも分からない。


「逃がすな」


 リンがユサを食事をした絨毯の上に投げた。ドサ!と絨毯の上に投げ出され、頬を布で擦った。熱い。


 倒れたユサを、黒装束のひとりが背中に跨り動きを拘束する。首の後ろを手で押さえられて苦しい。手足は自由だが、ユサの力では身体を持ち上げることなど出来なかった。


 だが。黒装束の外側からは分からなかったが、上に乗られて分かった。中身はユサに負けず劣らず痩せた人間だった。


「あんたか……爺さん」


 ユサの首を押さえつける手がビク、と微かに反応した。正解だったらしい。


 枯れた身体だからか、男だと分かってもそこまでの恐怖はなかった。


「黙っていなさい、朱姫あけひめ

朱姫あけひめなんかじゃねえっつってんだろうが……!」

「何とまあ口の悪い」


 クスクス笑いが性格の悪さを体現していた。どこをどう育ったらこんな腐った性根の持ち主になるのか。金持ちとか偉い奴はここまで来る途中のどこかで道を間違い易くなるのかもしれない。この男だとて、幼い頃はルーシェのような純粋な魂を持っていただろうに。



 憐れだった。



 そして、無性にヒルマに会いたくなった。あの馬鹿は馬鹿だが、馬鹿だからこそ馬鹿正直だ。その馬鹿正直さが滅茶苦茶をする原因なのだろうが、今はそれが欲しかった。


 やり切れない。


 歯を食いしばって、少し離れたところに立つリンに言った。


「ヒルマを出せ」

「言われなくてもそうしますよ。少し寝ていただいていたので、今手の者が起こして差し上げているところです。少々お待ち下さい」


 やはり寝かされていたのか。どんな手を使ったのかは謎だが、怪しさ満載の黒装束が手の者ならば、あの大きく動きの俊敏なヒルマでも寝かされてしまう何らかの手があるに違いなかった。


 ユサは待った。目を閉じて耳を澄ました。天幕を揺らす風の音が聞こえた。奥の方から、何かを引きずるような音。


 ヒルマだろうか。まだ立てないのか、それとも拘束されているのか。


朱姫あけひめ、来ましたよ」


 リンが言う。首を押さえつけていた手が少しだけ緩んだ。ユサは頭を少し動かしてヒルマを探す。

 仕切りの奥から人が広間に入ってきた。いた。ヒルマだ。


 黒装束がふたり、ヒルマの腕を掴んでそれぞれの肩に乗せて運んでいるが、いかんせんヒルマの方がでかい。そのせいでヒルマの足がずるずると情けなく引きずられていた。


 青黒い頭はがっくりと項垂うなだれている。


「……ヒルマ!」


 呼んだ。起きろ、起きてくれ、そんな想いを込めて呼んだ。


 リンがヒルマの前に立ち、ヒルマの髪の毛を左手でぐっと掴んで持ち上げた。まだ微睡まどろんでいるのか、青い瞳が少しだけ見えるが視点が定まっていないようだ。


「起きなさい」


 リンがヒルマの頬を強く平手で叩く。がしかし、ヒルマには痛覚がない。ただ撫でられただけにしか思えないのだろう、反応は薄かった。リンがもう一度叩くが、やはり反応が殆どない。リンが舌打ちをした。


 呑気に寝てやがる。ユサは呆れた。勝手にいなくなって、こっちは散々待って探して、なのにその間原因はともあれ呑気にぐうぐう寝てた訳だ。


 段々腹が立ってきた。


 腹に力を入れた。


「ヒルマ! いつまでもたらたら寝てるんじゃねえ! さっさと起きやがれ!」

「……んあ、ユサ?」


 ユサの怒りの声が届いたらしい。ぼんやりとだがユサを見た。大きな欠伸をした。本当こいつは緊張感というものが足りない。一体どこに捨ててきたのだろうか。


「何やってんだ?」


 床にうつ伏せになり背中の上に黒装束の人間に乗られて首を押さえつけられている相棒に向かって、何やってんだはないだろう。むかむかと更に腹が立ってきた。


「何やってんだじゃねえ! 見て分かるだろーが! リンに取っ捕まってんだよ!」

「ユサ、何かやったのか?」


 欠伸を噛みしめながら阿呆な質問をしてきた。血管がブチ切れそうになった。


「ただ風呂入って来ただけだよ! このど阿呆!」

「阿呆はないだろう、阿呆は」


 段々目が覚めてきたのか、ヒルマがようやく地に足をつけて立った。次いで、自分の腕を掴んでいる黒装束ふたりを交互に見る。


「あんた達、誰?」


 リンがそんなヒルマを呆れたように眺め、溜息をひとつついてユサに聞いてきた。


「こんな粗野な男のどこがよかったんです?」


 どこも何も、そもそも本当は夫婦でも何でもないしユサが選んだ訳でもないが、ユサ自身を馬鹿にされたような気になってしまった。それ位、このリンという男の言い方には侮蔑の色があった。


「うるせえ。人の趣味に口出しすんじゃねえ」

「全く……。貴女もそんな口調になってしまって、朱姫あけひめともいう人が勿体のないことを」

朱姫あけひめじゃねえっつってんだろうが。お前も人の話を聞かない奴だな!」


 ヒルマに会えたことで、少し闘争心が湧いてきた。


「その朱姫あけひめってのは何だ?」


 目をショボショボさせながらヒルマが尋ねた。まだ眠いらしい。


「知らねえよ。他人の空似だろ」


 ユサが答えた。リンがクスクスと笑った。


「自分の妻の正体をご存知ないとは、なんと哀れな男でしょうかね」

「正体? ユサが一体何だってんだ」

「おい、やめろ!」


 ユサが止めるが、リンは続けた。


紅国こうこくの皇子の隣に常にいた、皇子の大事な方ですよ」

「は?」


 ヒルマが、驚いた顔でユサを見た。

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