第18話 ぎこちない夕餉

 かぱっとヒルマがあのユサがひっくり返る原因となった酒をひと口で飲んでいる。これで何杯目だろうか。


 ユサはヒルマの脇腹を膝でつつく。


「おい、そんなに飲んで大丈夫か?」


 食事はもうほぼ終わり、ユサはデザートの果物を口にしていた。ヒルマは食後はずっとこの早いペースで飲み続けていて、ユサは正直不安を覚えた。この後は夜間の家探しが待っている。しかも探し物はヒルマが持つ石がないと分からないのに、飲み過ぎて酔い潰れてしまったら折角我慢して頑張って愛想笑いして得た宿泊権が台無しとなってしまうではないか。


「大丈夫だ」

「本当かよ……」


 ヒルマの顔を見ると、頬がほんのりピンク色になっている。この男の中身はあの黒い液体な筈なのに、一体どうなってるんだろうと疑問に思う。とりあえず骨はあるようだが。


 少し前に、刺すつもりがなかったヒルマの腕に感じた骨の感触を思い出し、思わずぞくりとしてしまった。もうあの感覚は二度と経験したくなかった。ろくなもんじゃない。


 果物を摘みながら、ここも仄かにピンク色になっている首元に痕がないか探してみる。この男は、首も吹っ飛んだようなことを言っていた覚えがあるが、やはりどこにもそれらしき傷跡はなかった。


 しかし一体何をすると首が胴体から離れるようなことになるのか。どうせ考えなしなことをやらかした結果だとは思うが、この男の滅茶苦茶な行動を把握する為にもいずれ改めて聞いておくべきかもしれなかった。


 向かいに座るリン・カブラに向く。彼もそれなりに酒が強いのか、ヒルマに劣らずいいペースで飲んでいるが、顔がほんのり赤いだけだ。ユサと目が会うと、にこりと微笑んできた。


「ユサさん達はご出身はどちらで?」

「あ、ええと紅国こうこくだ、です」

「俺は違うけどな」


 素っ気なくヒルマが言った。先程から、折角頑張って会話を続けようとしているというのに、その度にこの男が会話を叩き切っていく。ユサは、いい加減イライラしてきていた。一体全体、この茶番を誰のためにやってると思っているのだろうか。


翠国すいこくは初めてで、リンさんはその、ここで一番偉い人、ですよね?」


 敬語を捻り出そうとすると、どうしても辿々しい話し方になってしまう。昔はもう少し流暢に話せたものだが、やはり習慣というものは恐ろしい。もう咄嗟に男言葉しか出てこなくなってしまった。


 ユサを瞬きもせず見つめながら、リンが頷く。酒のせいか、段々その緑色の視線が艶めいてきているように思えるのは気のせいだろうか。ねっとりと絡みつかれているような気がして、何だか落ち着かなかった。まるで蛇のようだな、と思った。いや、ゾワゾワする感じをもっと的確に表現するなら百足むかでの方が近いかもしれない。蟻塚にいっぱいいたが、よじ登られたり噛みつかれたりすると体がすくんだものだった。あの感覚に似ている。


「一番、という訳ではないですが。この翠国には首長が4人おりまして、東西南北をそれぞれが統括しております。私はその内東を統括しておりまして、4人の首長の中では一番の若輩者ですよ」


 成程、とユサは頷く。紅国は自らを皇帝と呼ぶ人間がひとりで上に立っているが、この国はそれとは全く違う形態を取っているということか。ユサはあれが当たり前だと思っていたので、リンの話は何だか新鮮に感じた。


 リンが続ける。相変わらず目線はユサにある。ヒルマが先程教えてくれたように、時折視線が胸元にいっている時があった。言われていないと気付かない位の一瞬の間だが、確かに見ていた。しっかり見ていた。サラシを巻いておいて、本当によかった。


「この大市場は季節によってそれぞれの首長の元開催されます。今回はカブラ一族が春の大市場を主催ということですね。普段はあまり会うことのない親類とも会えるのでいいものですよ」

「へえ」


 ユサの記憶にある親類はユサを小さい時に売り飛ばしたとんでもない父親しかいないので、親類に会えて嬉しい気持ちなど到底理解出来ないが、とりあえず会話を続けるために返事をしておく。


「お父さんとっても偉いんだよ、すごいでしょ」


 横に座るルーシェが可愛らしい笑顔を振りまく。少なくともここの親子関係は、ユサのところのように破綻はしていないらしかった。


「別にお前が偉い訳じゃないだろーが」


 次の酒をかぱっとひと口で飲み干し、ボソッとヒルマが呟く。まただ。こいつ、もしかしたらやはり酔ってるのかもしれない。ユサはヒルマの太腿に本日2回目のペチンをした。せめて黙っていてほしかった。ヒルマが恨めしそうにユサを見たが、そんな顔をしても駄目に決まっている。


 どういう感想を持っているのかは分からないが、薄らと微笑んだままふたりのその様子を見ていたリンがルーシェに声をかけた。


「さ、ルーシェはそろそろお風呂の時間だ。早く寝ないと明日も早いよ」

「えー。あ、なら僕ユサお姉ちゃんと入りたい!」


 まだユサの隣にいたいのだろうか、ルーシェがまたおかしなことを言い始めた。


「は?」

「エロガキ」


 ヒルマが冷めた目をしてルーシェに向かってまた呟いた。だが、これについてはユサも同意見だった。何故昼間に会ったばかりの男の子と同じ風呂に入らねばならない。それにそもそも着た切り雀で替えの服すらない。ヒルマに有無を言わさず腹を殴られ着のみ着のまま攫われてきたのだ、勿論そんなものある訳がなかった。


 元々殆ど替えの服など持っていなかったから、大差ないといえばないが。


「それでさ、ユサお姉ちゃんに綺麗な服を着てもらおうよ! 僕、ユサお姉ちゃんって女の子らしい格好をしたら凄く綺麗だと思うんだ!」


 その言葉に悪意はないのだろう。ないのだろうが、着飾られるのは勘弁だった。つい昔を思い出してしまいそうになるから。


 ユサは苦笑いして遠慮した。


「ルーシェ、悪いけど俺は女っぽい服は嫌いなんだ」

「ええー! 勿体ない!」


 駄々をこねるルーシェを見て何を思ったか、リンが顎に手を当ててユサを舐め回すようにじっくり上から下まで眺めてから、おもむろに言った。


「いやルーシェ、ほっそりした女性が男性用の少しぶかぶかな服を着るのもなかなか乙なものかもだよ」

「おいちょっと待て」


 つい敬語を忘れた。


「ご心配なく、新品の肌着もちゃんと用意させます。日中服を販売している親類の天幕がすぐそこにありますから」

「わーい!」

「おい、俺は入るとはひと言も……ヒルマ、ちょっと何か言ってくれよ」


 ヒルマが少しとろんとした目でユサを見下ろした。やはりこいつ、酔っているのかもしれない。


「まあ、もらえるもんはもらっておけばいいんじゃないか?エロガキと一緒に入るのはどうも気に食わないが、まあチビだしな」

「僕はエロガキじゃないぞ」


 ルーシェが抗議するが、ヒルマは取り合わない。


「よく言うよ。……ただし、風呂の前で俺が見張っとくからな」


 そうリンに向かって言った。リンは変わらず薄っすら笑っているが、ヒルマを見る目は少し怖かった。ヒルマの図々しさに、いい加減怒っているのかもしれなかった。しかも息子のことを目の前でエロガキ呼ばわりされている。逆に首長ともあろうものがこれだけ悪し様に言われてよく怒らないものだと、ユサは感心した。ユサが知っている偉い奴とは大違いだ。


「また口実つけて覗かれたら困るしな。なあ? ユサもそう思うだろ」

「は……ははは」


 もう笑って誤魔化すしかなかった。どいつもこいつも自分の主張ばかり。やはり男なんてろくなものではない。誤魔化すこちらの気持ちも考えて欲しかった。


「それでは、すぐに支度を整えますね。さ、ルーシェ、ユサさんを風呂の天幕にご案内してあげなさい。ユサさん、ルーシェの我儘にお付き合い下さりありがとうございます」

「はーい! さ、ユサお姉ちゃん、行こうよ!」

「はあ……」

「俺も行く」


 ヒルマがのそっと立ちあがり、まだ座り込んでいたユサに手を伸べた。相変わらず不機嫌そうな顔つきだが、別にユサに対して何か思っている訳ではなさそうだった。ユサが大人しくヒルマの少し火照った固い手に自分の手を重ねると、ヒルマがユサを引っ張って立ち上がらせた。少しだけ目が優しく微笑んだ気がした。意味が分からない。


「ユサお姉ちゃん、こっちこっち!」

「では、爺やに届けさせますので」

「あ、はい……」

「ユサ、行こう」


 ヒルマはリンの視線からユサを隠すように後ろに立つと、何故かユサの手を離さぬままユサを促して広間から出て行った。

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