第16話 頭痛の種

 仕切りを開けた状態で、ルーシェが顔を引きつらせている。視線はヒルマの裸の上半身に注がれていた。


「ちょっと、何でお前裸になってるの?」


 可愛らしさを半減させた声色で、ルーシェがヒルマに尋ねた。チビの割にはしっかりとした口調だ。ユサはてっきりルーシェは4歳位だと思っていたが、もしかしたら身体が小さいだけでもう少し上なのかもしれなかった。


 ヒルマは自分の上に横たわっているユサの髪をわざとらしくさらさらと触ると、ルーシェに向かってニヤリと笑った。ユサはヒルマのその指の動きが気持ち悪くてゾワっと鳥肌が立ってしまっていた。こいつかなり調子に乗ってやがるな、とイラっともした。だが、今ここで抗議は出来ない。抗議したら、夫婦でないことがばれてしまう。


「俺たちは夫婦だぞ? 何の問題がある」

「ひっユ、ユサお姉ちゃん! そこからすぐどいてよ! もう何やってるの!」


 ルーシェの高い声がキーン! と頭に響いた。これはきつい。直接脳天に響く痛みだった。ヒルマの上で思わず身体が縮こまる。ヒルマと直接触れている部分が変に汗ばんできた。頭痛からくる冷や汗か、それともヒルマに直接触れている気持ち悪さによる脂汗か。


「うおぉ……!」

「ユサお姉ちゃん、大丈夫!?」


 ルーシェがまた大きな声で話しかけてきた。またぐわん! と頭に響いた。まるで頭にすっぽり鍋でも被って外からガンガン叩かれているようだった。ユサが死にそうな声でルーシェに懇願する。


「ルーシェ、頼む、大きな声出すな……」

「ユサお姉ちゃん、こいつに何かされたの!?」

「うおぉ……響く……ルーシェ、そうじゃないから。お前の声が頭に響くんだ」


 ユサが何とか頑張ってそう言うと、ユサが乗っているヒルマから低い振動が身体に伝わってきた。


「だってよ。分かったら黙っとけチビ」


 ルーシェには悪いが、まだこっちの振動の方がましだった。低い分、頭に響かない。まあ居座っている家の主の子供に随分な言い草ではあるのだが、今のユサにはそれに抗議するだけの心の余裕がない。


 そうだ、とヒルマがルーシェに話しかけた。


「ルーシェ、あの爺さん呼んでこい」

「何でお前なんかに命令されないといけないんだよ!」

「ぐおぉぉ……!」


 キンキン響く声にユサがヒルマの上でのたうち回っている。何が可笑しいのか、ヒルマの口の端が小さく上がった。


「こいつに何か食べさせてあげたいんだよ。温かい物、出来れば汁物。爺さんに頼んで用意出来るか? これはユサの為だぞ」


 他所の家に上がり込んで寝かせてもらい、更に食事まで要求するヒルマのその図々しさに突き抜けた清々しさを感じたユサだった。


 ルーシェから見えないように、ヒルマがトントン、とユサの背中を小さく指でつつく。これはユサにも意味が分かった。なので、根性で声を出す。


「頼む、ルーシェ……。多分何か腹に入れたら、もう少しよくなると思うんだ」


 ユサに言われて、ルーシェは気を変えたらしい。急に素直になった。


「うん! ユサお姉ちゃんの為なら! 爺やにすぐ用意させる、待ってて!」


 ルーシェがキラキラと目を輝かせて頷くと、急いで仕切りの外に走って行った。「爺や、爺やー!」というまた甲高い声が響いてきたが、目の前で聞くよりは響かなかった。ユサがふう、と息を吐く。


「本当に大丈夫か?」


 ヒルマの声が接触してる部分から振動で伝わってくる。もういい加減離れたかった。


「とりあえず、降りる」

「もっとくっついてたっていいのに」


 にへら、とあの情けない笑いを顔に浮かべてヒルマが言ったが、それでも今度は素直にユサを抱えたまま上体を起こすと、ヒルマの足の間の空間にユサを降ろした。ヒルマごと包んでいた毛布をユサに巻き直し、クッションにゆっくりとユサを寝かせた。


 ヒルマ自身は、その場で立ち上がった。


「んー」


 気持ちよさそうに伸びをしている。ヒルマの身体をまじまじと見るのは初めてだったが、引き締まったいい身体をしていた。成程、これだからいくらユサがガリガリだろうが、人間ひとりを抱えて何時間歩いても平気なんだな、と思わせる筋肉がついていた。何をしたらこんなに筋肉がつくのだろうか。自分の力のなさを情けなく感じたユサは、ヒルマの身体を見て羨ましく思った。


「汗かいちゃったよ。ユサの服が濡れちゃったかもな。風邪ひかないようにな」


 汗で人の服を濡らしたなどとまた気持ち悪いことを平気でのたまい、床に落ちていたシャツを着始めた。そんなヒルマを眺めるユサの顔が歪んでいるのを見て、また小さく笑った。本当によく笑う男だ。


「そんな嫌な顔するなよ。人の親切に対して随分だぞ」

「お前は自由でいいよな……」


 つい、そんな言葉が口とついて出た。ヒルマが意外そうな顔をしながら、ユサの頭の近くに胡坐をかいて座った。器を持って、水差しから水を入れてくいっと飲み干した。


「お前には俺が自由に見えるか?」


 自由以外の何ものにも見えない。ユサは頷いた。ヒルマは、そうか、と呟いた。


「深く考えるのをやめたからかもな」

「元は考えてたみたいな言い方じゃねえか」

「ユサ、調子戻ってきたみたいだね」


 ヒルマが唇を突き出していじけた顔を作った。やはり、この男は怒らない。何故酷いことを言われても怒らないで笑い流せるのか、ユサには理解出来なかった。ヒルマの青い目を見ながら次の言葉を待つ。やはり、この男はこの目だけは綺麗だ。


「考えると足が止まりそうだったから、やめたんだよ」

「足が」

「そう」


 ヒルマが微笑んで、ユサの頭を撫でた。ユサはそれを手で押しのけた。ヒルマがまた少し不服そうな顔をしたが、文句を言うのはやめたようだった。


 目が覚めたからだろうか。段々頭痛とめまいが治まってきた。先程飲まされた水が効いてきたのかもしれない。


「まあそしたら身体が随分軽くなったぞ。だからユサにもおすすめだ」


 確かにヒルマの身体はでかい割に動きは軽い。やはりあれは何も考えていないからか。


「ふたりとも頭空っぽだと集まる物も集まらねえぞ」

「あ、それで思い出した」


 ヒルマが手をポン、と叩いた。次いで、かなり重要なことを言い始めた。


「この天幕内に、多分1個ある」

「……本当か?」


 何故そんな大事なことを忘れるのか。ユサは呆れ返っていた。自分の身体のことなのに、わざわざ思い出すようなことだろうか。考えるのをやめるとこうなってしまうのであれば、いくらおすすめされてもユサは遠慮しておきたかった。こいつのような阿呆にはなりたくない。


 頭痛が治まってきたからか、思考が大分スムーズになってきていた。


「さっき上を脱いだ時に見たら、結構強く光ってた。かなり近い所にあると思う」

「そうしたら、俺があのふたりを引き留めてる間にお前がこっそり見て回るか?」


 ヒルマは、うーん、と首を傾げる。


「出来たらあれこれ口実つけてここに泊まれるといいかもな。寝静まった後に見た方が安全だろう。ただ、あのリン・カブラってのがちょっと問題でな」


 そういえば、ヒルマは始めからとにかく早くこの場を立ち去りたそうな雰囲気だった。


「そんなやばい奴なのか?」


 首長という割には柔和そうな雰囲気だったが、裏の顔でもあるのだろうか。ユサの真剣な表情を見て、ヒルマも真面目な顔をした。ユサに近づき、声をひそめる。


「実はな」

「ああ」

「無類の女好きなんだ」

「は?」


 ヒルマの顔は、あくまで真剣そのものだった。

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