第12話 迷子

 何とも可愛らしい男の子だった。


 緑色の綺麗な大きな瞳。子供らしいプルプルのほっぺ。少しつんと上がった鼻に、肩の上で切りそろえられたサラサラの黒髪。将来かなり期待出来そうな顔をしていた。服装はかなりいい物を身につけていて、民族衣装なのか、前合わせの緑色のシャツを豪奢な黒の刺繍入りの帯で締めている。育ちのよさそうな坊ちゃんという風情だ。それが、うるうると瞳を潤ませてユサを見上げている。


 ユサはあまり子供と接する機会はなかったが、別に嫌いではない。むしろ好きな方だ。何故なら、子供は大人と違って害がない。ユサを騙そうとしたり、搾取したりしようとしない。経験がない故の純粋な存在だ。


 そんな存在が、ユサの服の裾を小さく掴んでいる。可愛くない訳がなかった。


「坊主、どうした? 迷子か?」


 子供の目線に合わせ、混雑している往来でしゃがみ込んだ。子供は小さく頷いた。ユサが道行く人に押し倒されぬようにか、ヒルマがユサの背後に立った。子供は背の高いヒルマを見上げ、怯えたような表情を見せた。ユサが、チッと舌打ちをして背後にぬぼっと立つヒルマに声をかける。


「お前怖がらせてどうすんだよ」

「え、いや、怖がらせたつもりはないけど。てゆーかユサ子供好きなの? 意外だな」


 本当に意外そうな顔をしてユサを見下ろしていた。子供はどう見てもヒルマを怖がっている。まあ、無精髭のでかい男が見下ろしてきたら普通に怖いだろう。ユサは子供を振り返り、両手を差し出した。


「ほら坊主、来い。上からお前の来た所を探そう」

「うん」


 初めて子供が喋った。素直にユサの首にしがみついてきたので、ユサはそのまま子供を抱き上げる。何だか柔らかくて温かくて不思議な感覚だった。子供を抱き上げたのは初めてだが、こんなほわほわしているものなのか。ユサは感動していた。


「お姉ちゃんなんだね」

「お? お前ちびのくせに鋭いな」

「だってお姉ちゃんの胸柔らかいもん」

「あ、そうか」


 そういえば、サラシをまだ巻いていなかった。まあ男と言えど小さな子供だ。ここまで小さければ恐怖など感じようがない。ふたりのそんな会話を聞いて、ヒルマが子供に声をかけた。少しムッとしている。もしかしたらヒルマは子供は苦手なのかもしれなかった。


 両手を、先程ユサがしたように子供に差し出した。


「おい坊主、お前こっちに来い」

「やだ」


 そう言って、ユサにひし、としがみついた。どうも気に入られたようだ。こんな可愛い子に気に入られて、ユサは悪い気はしなかった。だがヒルマは納得していないらしい。しつこく子供に絡み始めた。


「坊主、この姉ちゃんはな、男が苦手なんだよ。お前男だろ?ほら、だから大人しく俺の方に来い」

「こんだけチビなら大丈夫だ」

「ほら、だって」

「だってじゃない、このくそガキ」


 ヒルマが凄むと、子供がまたユサにぎゅっとしがみついてきた。ヒルマのあまりの大人げのなさに、ユサは大人として情けなくなった。連れとしても、本当にみっともなく思った。50手前のおっさんが、子供と張り合ってどうする。


「ヒルマ、落ち着けよ。相手は子供だぞ」

「ただのエロガキじゃないか」

「迷子の子供だぞ、大人げない事はやめろよみっともない」

「みっともな……酷いなユサ」


 ヒルマがまた不貞腐れた顔をし始めた。ただまあこいつの機嫌は良いのも悪いのも持続しないのは何となく分かってきたので、ユサはとりあえず無視する事にして子供に話しかけた。


「坊主、お前家族と一緒だったのか? どこから来た?」

「あのね、お父さんの天幕の色は緑色だよ。でも人がいっぱいで見えなくなっちゃって」


 ぐす、と可愛らしく泣き出した。泣き出す時に出来る頬の窪みが堪らなく可愛い。ユサは思わずキュンとしてしまった。こんな可愛い存在は、是非とも守ってあげなければならない。


「ほら泣くな。天幕が緑色なんだな? そうだ、坊主お前の名前は何だ?」

「僕ね、ルーシェ。ルーシェ・カブラっていうの」


 ヒルマの耳がピクリと動いた。それを視界の片隅で確認したユサは、目線だけでヒルマに聞いた。


 知ってるんだな、と。


 ヒルマも目だけで返答した。


 知っている、と。


 ならば話は早かった。こんな人混みの中、明らかに金持ちそうな子供を置き去りには出来ない。ユサは盗賊ではあったが、別に無慈悲な盗賊ではない。しかも相手は何の罪も無さそうな幼い子供だ。自身が幼少期から搾取され続ける人生を送ってきたこともあり、子供に対する理不尽な暴力や犯罪は心底許せなかった。


「よーしルーシェ、じゃあ探そう! 多分このおじさんが分かるってよ!」

「お兄さんね」


 ヒルマがボソッと修正する。ユサは無視した。ヒルマのふくらはぎに軽く蹴りを入れる。


「ほら、さっさと案内しろよ」

「今蹴った? 蹴ったよね?」

「気のせいだろ」


 皮膚感覚はあるようだが痛覚がないと大分鈍感になるようだ。これはいい事を知ったな、とユサは内心思った。何かに使えるかもしれないと、ヒルマが知ったらまたがっくりとしそうな事を考える。


 納得いってなさそうな表情を浮かべながらも、とりあえずは相棒となったユサを信用することにしたらしい。笑顔に戻ると、町の中心を指さした。


「あそこだ。町の一番の中心。そこにお前んちの天幕がある筈だ」


 やはりこの男の機嫌は持続しない。ユサの読みは当たった。多分、あまり人を疑わないのかもしれないおめでたい脳みそをしているのだろう。


 ヒルマは、ユサに心の中でボロクソに批評されているとも知らず、「こっちこっち」とふたりを案内し始めた。

 ユサはふと疑問を覚えた。


「この町って一時的な物なんだろ? 何で場所知ってるんだ?」


 振り返ったヒルマは何だか少し偉そうな顔をして教えた。


「翠国の町には、天幕を設置する際のルールがあるんだよ。中心から放射線状に設置するんだ」


 優越感に浸ってるのかもしれない。みみっちい男だ。そう思ったが、口に出すと面倒なのでユサは黙って聞いていた。


 すると、ユサにしがみついていたルーシェがヒルマと争うかのようにユサに言った。


「僕のお父さんの天幕、その真ん中の一番大きいのだよ!」

「そうか、そしたら探すのも簡単だな!」


 ユサは笑ってルーシェに言ったが、これはまずい拾い物をしてしまったのでは、と思い始めていた。


 ヒルマが知っている子供の苗字。年に4度開催される大市場の中心の一番大きな天幕。着用している服装の上等そうなこと。


 これは、どう考えても権力者の子供だ。


 今、ユサのズボンの内ポケットには先程ヒルマがすれるだけすりまくった金が詰まっている。財布はとうに捨て紙幣のみなのでここから足がつくことはないだろうが、あまり危険は冒したくない。


 チラ、とヒルマを見てみたが、ヒルマはルーシェをぶすっと見ていてこちらの視線に気付いてくれなかった。これが相棒かと思うと自分の選択が誤っていたのではないかと不安になってきた。まあ、あまり色々選べる状況でもなかったが。


 仕方ないので、もう一度斜め前を行くヒルマのふくらはぎを軽く蹴った。


「蹴るなって」

「蹴ってねえよ」


 どうする? という意味を込めて目線を送ったが、まだ日の浅い付き合いだ、どうも理解されなかったようだ。何だろう? と明らかに分かっていない風の顔をされた。


「お姉ちゃん、このおじさん何なの?」


 ユサにくっついているルーシェが聞いてきた。ユサを覗き込む目は、ユサに信頼を寄せて、ヒルマには不信感を募らせているように見えた。


 ユサは安心させるように言った。


「ただの間抜けなおじさんだよ。害はない」

「お兄さんね。間抜けもちょっと酷くない?」


 ヒルマが抗議したが、勿論無視する。すると、ルーシェが目をキラキラさせてユサを見上げた。


「お姉ちゃん、優しいから好き」


 そう言うと、キュッとユサの首にしがみついてほっぺにちゅ、とキスをした。こそばゆい位可愛い。ユサは溶けそうになった。だが。


「おいおいおいクソガキが何やってんだ」


 ヒルマの口が悪くなった。いい気分が台無しになった。


「子供のやる事だろ、本当大人気ないなお前」

「はいはい、俺はどうせ大人気ないですよ」


 下唇を出していじけ始めた。静かになったので丁度いい。


 ユサ達はやがて町の中心に辿り着いた。


「あれだよ、あの天幕! お姉ちゃん、一緒に行こうよ!」


 ルーシェが指差した先には、この中心地でも一際大きな緑色の天幕があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る