第二章 翠国

第11話 翠国

 ユサとヒルマが次の目的地である翠国すいこくの中心を目指し草原をひたすら歩いていると、チラホラと同じ方向に向かう人々を見かけるようになってきた。


 こんなただの広い草っ原でどうやって目指す方向を確かめてるのか不思議だったのでユサがヒルマに尋ねてみると、ヒルマはポケットから丸い時計のような物を取り出して見せてくれた。ヒルマの大きな手の上で、それは赤い針を常に一定の方向に向けている。


「これは方位磁石っていうやつでな、北がこの赤い方」

「へえー。どういう仕組みだ?」

「……分からんが、そういうことになっている」

「考えないと脳みそ腐るぞ」


 ユサの容赦ない言葉にヒルマが不貞腐れたような顔をしたが、物事を追求しないから行き当たりばったりな行動しか出来なくなるのだとユサは思う。効率よくヒルマの探し物を見つけるには、今後もう少しきちんと考えながら計画を立てていった方がいいように思えた。


「あとは太陽の方角を見たり色々して自分が大体どの方向に向かってるかを把握する感じだな。ユサは紅国こうこくの外には出たことないんだよな?」

「ない」


 ユサは短く答えた。相変わらず愛想のあの字もないユサの態度に段々慣れてきたのか、ヒルマは全く気にする素振りを見せずにニコニコと話しかけ続ける。よく喋る男だ。


「ユサは何見たい?翠国が終わったら、次の場所まだ決まってないし、ユサの見たい物があるところに連れてってやるよ」

「お前さ、早く元の身体に戻りたいんじゃなかったのか?」


 ユサは呆れ返った。早く元の身体に戻りたいからこそあんな強引なやり方でユサを捕らえ連れ去った筈が、やけに呑気な提案をしてくる。この男は、もしかしなくとも、本当に目先のこと以外は何も考えてないのかもしれない。


 冷たいユサの視線も気にすることなく、ヒルマは続けた。


「だってもう20年以上彷徨うろついてるからな、今更それが少し伸びたところで大差ないし、相棒出来たの初めてだし、それにユサは紅国の外の世界に行ったことないんだろ? 俺といればまあそこそこ安全だろうし、だったらちょっとくらい観光したって、なあ?」

「……本当能天気だな、お前」

「ヒルマ」

「はいはい、ヒルマ」


 本人が言うように本当に今までずっとひとりで旅をしてきたのであれば、ヒルマにとってユサという存在はただ新鮮なのだろう。それもどうせすぐに飽きてしまうのだろうが。


 でも、見たことのない物を見せに連れて行ってくれる。その提案は悪くなかった。ユサには具体的に何が見たいと思う程の知識がない為急にぱっとは思いつかなかったが。


「何か思いついたら言う」

「おう。遠慮するなよ」


 ヒルマはそう言うと、調子っ外れの鼻歌なんぞ歌い始めた。余程機嫌がいいようだった。紅国の底辺では歌を歌うような余裕のある奴は少なくともユサの周りにはいなかったから、それが一体何の歌なのかもユサには分からない。


 だが、この男には鼻歌を歌う程度には心の余裕があることだけは分かった。もしかしたら、懐にも余裕があるのかもしれない。


「ヒルマ」

「おう」


 この後何度このやり取りを交わすことになるんだろう、そんなことをぼんやりと考えながらユサは尋ねた。


「お前金はどれくらい持ってるんだ?」

「今はすっからかん」


 あっさりと答えるヒルマの顔には憂いはない。清々しい程の笑顔だ。元々作りは悪くない顔だ、ワイルドなタイプの男が好みの女であれば引っかかりそうな、そんな笑顔だった。勿論ユサは全く興味がない。


「……お前、馬鹿か?」

「ヒルマ」

「今は呼べねえ……」


 ユサは心底苛ついた。金もないのに人を攫い、観光に誘い、鼻歌を歌う阿呆がどこにいる? 実際に今目の前にユサの相棒として存在しているのだが、これは夢だと思いたかった。


「大丈夫だよ、安心しなユサ」


 そんなユサを見て、ヒルマはにこりと大人の余裕を見せつけるかのような穏やかな笑みをしてみせた。一見いい男風に見えなくもなかったが、如何せん言葉の中身が空っぽのためその雰囲気を台無しにしている。


「何が安心しな、だよ。馬鹿じゃねえか」


 ユサが毒づく。ヒルマは心外そうにようやく嘘くさい笑顔を引っ込めた。ユサはこの方が落ち着いた。にこにこしてばかりいる奴はどうも信用ならないのだ。


「人をそう馬鹿馬鹿言うなよ。悲しくなるだろうが」

「すっからかんで鼻歌うたってる男のどこが賢いって言うんだよ」


 間髪入れずにやり返すユサだが、ヒルマはめげなかった。


「大丈夫だって。夜には金持ちだから」


 自信たっぷりにユサの顔を覗き込んだ。目が笑っている。怪しかった。


「どういうことだ?」


 まだとても信用など出来る訳もなく、ユサは疑わしそうに水色の目を細めながらヒルマに聞いた。


「ユサも協力しろよ」


 にっこり。またその人好きのする笑顔を惜しげもなく見せて、ヒルマは小声で説明を始めた。







 翠国の中心地。そこは、大小様々な天幕が集まる大市場だった。人もかなり多く、ヒルマの背が高くなければすぐに見失ってしまいそうだった。


「すごいだろ? これ、全部天幕だけで作られた期間限定の町なんだ」


 確かに凄い。草原の中に突如として現れた町に驚いたユサだったが、まさかこれが一時的なものだとは思わなかった。


「翠国は元々が遊牧民の国だからな。王都も移動してるっていうから徹底してるよなあ」


 ヒルマはそう感心しながら、次々と通りすがりの人々の財布をすっては中身をユサに渡して財布を捨てるを繰り返している。ユサは服の内ポケットに綺麗に畳んではしまっていた。


「いやあしかし効率いいねえ」

「お前も大概だな」

「ヒルマね」

「はいはいヒルマね」


 大分このやり取りにも慣れてきた。しかし手際がいい。靴下をなかなか上手く履かせられなかった人間と同一人物とは思えない。


「お前いつもこんな感じか?」

「まあそうだねー」


 ユサは家に盗みに入り物色する派なので、こういう風に財布をすったりするのは未経験だ。見つかって殴られたりしたら嫌だな、という抵抗感があるからだが、まあ殴られようが蹴られようがバラバラにされようが関係ないこの男なら抵抗感など全くないに違いなかった。


「にしても凄いな、財布の中身」

「宝石市だからな。桁が違うだろ」


 ひとりひとりの財布の中身の分厚さが凄い。ユサは今までこんな量の紙幣を手にしたことはなかった。こんな大金持っているのが万が一ばれたらまずいのではないか、盗賊のユサですらそう思ってしまう金額を僅かの間で入手していた。


「ヒルマ、そろそろいいんじゃないか?」


 正直少し怖かった。ユサの不安気な表情を読み取ったのだろう、ヒルマがにこ、と安心させるように笑った。


「分かった。今日はここまでにしておこうか」


 今日は、ということはきっとまた明日やるのだろう。まあこうやって少しずつ慣らしていけばいい。ユサはそう思った。


 ヒルマが一際大きな天幕が遠くからも確認出来る一角を指差した。


「あの辺が多分中心だ。宿泊施設もあると思うから、今夜はちゃんとした寝床で寝よう」

「そうだな」


 棘なく普通に返事を返してきたユサに何を感じたのか、無精髭のむさい顔を嬉しそうな柔らかい笑顔でいっぱいにして振り返ったヒルマの動きが止まった。目線はユサの腰の後ろの辺りで固定されている。


「ユサ、それどうした?」

「それ?」


 何のことか分からず、ユサはヒルマの視線を追った。ユサの外套を小さく掴んでいる小さな手が見えた。


「あ?」


 後ろを覗き込む。


 まだ4歳くらいの可愛らしい小さな男の子が、目に涙を溜めてユサを見上げていた。

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