第10話 不老不死

 不老不死。そう言ったヒルマは、相変わらずヘラヘラしている。何とも締まりのない顔だ。


「だから、危なくなった時は俺を盾にしていいぞ」


 どうせ痛くないし、などと物騒なことを言い始めた。勿論ユサはヒルマの無事よりユサの無事の方が大事なので元々遠慮なくそうするつもりではいるが、にしても本当にそんな夢みたいなことがあるのか疑わしかった。確かにヒルマの身体は異常だが、本当に死なないのだろうか。


「不死って、今まで何か試したのか?」


 すぐに怪我が治るからといって、真っ二つになったらさすがに治らなさそうだ。限度が知りたかった。限度が分かってれば、そこまでは遠慮なく盾に差し出すことも出来る。それこそヒルマが言うように、どうせ痛覚もないのだ。


 ヒルマが軽く頷いた。相変わらずのヘラヘラ顔に、こいつ話の重要性を理解してるのか? と心底疑問に思う。


「まず、崖から落ちて潰れただろ? 復活にしばらくかかったけど、俺の肉は不味いのか動物に食われることもなかったし、腹に穴が空いた時は割とすぐ閉じたかな? あの黒い液体がどばどば出て、俺の腹に穴開けた連中がびびっちゃってそれはそれで笑えたし、あーあと首が飛んでったこともあるけど、くっつけたら戻った。あれ、反対に付けたらどうなったんだろうな?」


 気味の悪いことを言って首を傾げて笑っている。ユサがあまりにも顔を歪めていたのだろう、ヒルマが慰めた。


「心配しなくても、全然大丈夫だったよ」

「いや、心配はしてない」


 即答のユサにヒルマの顔も歪む。


「そこはさ、これから一緒に過ごすことになる相棒なんだからもう少し気遣いというかそういうの欲しいんだけど」

「だって盾にしていいんだろ?」

「……確かにそう言ったけど」


 ヒルマはまだぶつぶつ言っていたが、ユサはもう相手にしなかった。とりあえずひと通りは話が済んだ。


「よし」


 ユサが膝に手をついて立ち上がった。仁王立ちすると、左足を胡座をかいているヒルマの前に出した。ヒルマは一体何事かとユサを見上げている。


「とにかくもう必要ないだろ? これを取ってくれ」


 ユサはそう言って左足首の靴下の上にある縄を指差した。


「契約ってもうあれでいいもんなのか?」

「どういうことだ?」


 ヒルマも立ち上がった。やはり立つと高い。ユサの頭ひとつ分くらい上にあるヒルマを見るには、かなり見上げる必要がある。この先は常に肩が凝りそうだな、そんなことをなんとなく思った。


 ヒルマが右手を出した。


「ほら。契約成立の握手」


 そういうのは知っているらしい。


 だが、ユサは先程見て知っていた。


「お前さ」

「ヒルマ」


 即座に訂正される。面倒だが契約の一部だ。呼び直すことにした。


「……ヒルマ」

「おう」


 ヒルマが屈託のない笑顔を見せた。ただ名前を呼ばれるだけでも嬉しいものだろうか。隠れるように暮らしていたユサには分からない。この男を理解するにはまだまだ時間がかかりそうだった。


「そっちの手はさっき手鼻をかんでいた方だろ?」


 ユサに指摘されて、ヒルマはそうだったか? と言いながら手のひらをじっと見て、グーパーし、何か違和感を感じたのだろう、真面目な顔で代わりに左手を出してきた。


 さっきまで争っていたのに、さっきまで死のうと思ったり、この男に恐怖を感じていたのに。


「ふ……ふふ……!」


 この馬鹿な男の馬鹿な行動に、ユサは笑いを抑えることが出来なかった。


「え、何? どうした?」


 何故笑われてるか分からないらしいヒルマが、分からないなりにへら、とまた笑顔になった。


 まあ、手ぐらいなら問題ないだろう。まだ笑いながら、ユサも左手を出した。


「よろしくな、ヒルマ」

「……おう!」


 こうしてふたりの盗賊の契約が無事締結された。







 ヒルマは契約通り、ユサを対等な者として扱うべくようやく縄を解いた。


 靴下の上からであってもかなり擦れた。ユサは、いてえなあ、とぶつくさ言いながら投げてあった左の靴を履いた。ぴょんぴょん跳ねて、屈伸をする。ようやく自由だ。もうヒルマに捕らえられてもいない。


 空は青。見渡す限りの草。


 それで思い出した。


「ヒルマ、この草がいっぱいのこれって何か名前あるのか?」


 ヒルマが荷物をまとめて背負いながらユサを見る。


「草? 草原のことか?」

「草原? 聞いたことあるな! これのことか……」


 その場でぐるっと一周してみる。凄い、一面の緑と空だ。皆ユサを囲んでいる。広い、凄い、大きい。他の言葉は思いつかなかった。


 大きく息を吸ってみる。風が優しく吹いた。蟻塚のじめじめした匂いも、砂埃の匂いも感じられなかった。甘いような、不思議な、でもいい匂いがした。


 そんなユサを、ヒルマは静かに微笑んで眺めていた。


「いいもんだな、こういうのも」

「しばらくはこんなんだ」

「次の行く場所、決まってるのか?」


 ユサが振り返る。短い赤茶の髪の毛を風が舞い上がらせる。ヒルマがユサを眩しそうに見ていた。


翠国すいこくの中心に行こうと思う」


 ヒルマはそう告げると、ほら行くぞ、とユサを促し歩き始めた。


 翠国。紅国こうこくの隣の国だ。紅国の周りには小さな国が沢山ある、らしい。紅国もそこまで大きな国ではないが、武器の輸出で生計を立てている。そんな話だった。


 ユサの知識は殆どがユサの元クソ主人から得たものである為、むかつくがそこそこ正しい知識な筈だ。策略や金勘定ばかりのどうしようもない本当にクズみたいな奴だったが、憶測でものは言わなかったと思う。


 そして翠国のことは何と言っていただろうか。ユサは記憶を辿る。


「確か、宝石の採掘、加工、売買」


 ヒルマが意外そうに右を歩くユサをチラ見した。


「何でそんなこと知ってるんだ?」


 元々は売られた身でその後は蟻塚の底辺で生きてきた人間が、何故隣国の産業を知ってるのか。不思議だったのだろう。


 だがこれ以上詳しい説明はしたくなかった。過去については、もうヒルマには十分話した。もう蒸し返したくはなかった。


「生きる上であったらいいと思った知識は覚えてるんだよ。お前と違って考えなしじゃねえからな」

「またお前って言ったな」

「はいはい、ヒルマね」


 拗ねて口を尖らせている横を歩く大きな男は、どうも外見に比例して中身も幼そうだ。もしかして、外見が変わらないと中身も大して成長しないのかもしれなかった。


「で、何で翠国に行くんだ?」


 ユサの疑問にヒルマが答えてくれた。


「今、翠国は年に4回ある大市場を開いてるんだよ。色んな国から宝石類が集まる。俺も何個か反応があったから向かってたんだが、行く途中の紅国で反応を1個見つけた。それがユサだったって訳だ」


 そう言って、首にかかったネックレスを引っ張り出した。言われてみればほんのり光ってるのがふたつみっつあるようにも見えなくはないが、空が明る過ぎてよく分からない。


 ヒルマがネックレスをしまった。


「昼間だとよく分かんないよな。宵闇よいやみに見るとよく分かるんだけど」

「宵闇?」


 聞いたことのない言葉だった。


「おう。宵闇ってのはな、日が沈んでから月が昇るまでの真っ暗な時間のことだ。そん時はよく見える。それに、盗みを働くにもいい時間だ」


 にやりとヒルマが笑った。悪い顔だ。


「お前元々は何やってたんだ?」

「何って、当然盗賊だよ。ほらまたお前って言った」


 ということは、ユサもヒルマも元々盗賊稼業。同業者ということだ。


「まあ、その辺もおいおい話していくよ。一気に全部話さない方がもっと俺のことを知りたくなるだろ?」

「言ってろ」


 下らないことを話しながら、ふたりは緑の大地をずんずん進んで行った。

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