第9話 契約締結
契約をする。ユサの提案に、ヒルマはいまいちピンときていないようだった。
「契約ってどういうことだ?」
「つまり、約束ってことだ。守らないと罰がある」
ユサに学はなかったが、
「お互いが納得できる条件を出す。守れなかった時の罰を決める。だからお互い守るようになる」
「成程」
ヒルマも理解したらしい。胡座をかいて腕組みをしてふむふむと頷いている。やはり間抜け面だ。
「いいんじゃないか? 俺だって無理にユサを連れ回すのは良心が痛む」
「お前に良心なんてあったのか?」
即座に返すユサの言葉に、ヒルマはぶすっとして愚痴を言い始めた。
「当たり前だろーが。大体ユサだって相当だったぞ」
この男は、くるくると色んな表情を見せる。何でそんなことが出来るんだろうか、とユサは不思議に感じた。ユサは、怒ったり泣いたりそれに時折笑うことはあっても、他の感情は殆ど分からなかった。一体どんなことを経験したらそんな表情をすることが出来るのだろうか。小さい時から搾取され続ける環境にいたユサには、男のその自由さが少し羨ましかった。
ユサには、ヒルマが時折見せる甘えや慰めのような感情はこれまであまりにも無縁過ぎて、到底理解のできないものだった。
「頭に回し蹴りしたりさ、思いっきり金的したりさ、あれ確実に俺を沈めにきてるよな」
まだぶつぶつ言っている。まあ先程までどうやったらこの男を倒して逃げられるかの手順をあれこれと考えていたユサとしては、異論はない。確実に沈めるつもりでいっていたのは事実だ。出来れば死ねとも思っていた。そんな男と今こうして契約について普通に話をしている。思えば不思議な縁だった。
ふと思う。この先、この男と一緒に男の探し物を手伝ったら、ユサもこいつみたいに色んな表情が出来る様になるのだろうか。
それは楽しいものなんだろうか?
ヒルマは何だかんだ言ってずっと楽しそうに見えた。そして思い出した。蟻塚からヒルマに抱えられてグングンと離れて行く時に感じた高揚感。どこまでも飛んでいけそうな気がした。あれが楽しいということならば。
「ヒルマ」
「おう」
「1個目の俺からの提案。対等でいろ」
「対等」
ヒルマが目をパチパチとさせる。いまいち意味が分からないらしい。こいつ思ったよりも馬鹿かもしれないな、とユサは感じた。ただ後に遺恨が残ると争いの元になる。ここは素直に説明することにした。
「どっちが上か下かはなし。勝手に決めない。迷ったら話し合いをする。どうだ?」
うーん? と上を向いているが、この感じをみるとあまり何も考えていないように見える。大丈夫だろうか。
ユサはユサの左足首からヒルマの腰ベルトに伸びる縄を見た。とにかくユサはこの縄を取らなければ何も出来ない。今まさにこの状態が対等ではなかった。早く何とかしたい。
「だから、俺はお前の探し物に付き合う。その代わり、逃げない」
「おう。それならいい」
ヒルマは、納得したように何度も頷いている。ユサはヒルマのその様子をじっと観察していたが、他意は見当たらなさそうだ。だが、何かおかしい。何だろうか。
しばらく考え込んでいたユサは、先程から感じていたこの男に対しての違和感にようやく思い当たった。この男の今までの滅茶苦茶な行動。行動力は物凄くある。初動までが非常に早い。だが、どうも結果がどうなるかまで考えて行動しているようには見えなかった。ということは、まさか。
「ヒルマ、お前……まさかいつも行き当たりばったりで動いてんのか?」
ヒルマがキョトンとしてユサを見返した。次いで、恐ろしいことをのたまった。
「ユサはいつも先のこと考えながら行動してんのか?」
「お前まじか」
「またお前って言ったな」
「そうじゃなくて」
ユサは急にこの男と契約を交わそうとしていることに不安を覚えた。契約を交わすということは、互いがそれを守ることが前提となる。だが、ヒルマはどうも色々と考えが足りてなさそうだ。咄嗟の時、果たして契約内容を思い出すのだろうか?
かといって、今はまだヒルマに拘束されている状態だ。であれば、子供でも分かるような内容にするしかないだろう。身体のでかい子供だと思えばいいのだ。
「ヒルマ」
「おう」
「俺からの後の条件は、飯を食わせてもらうことと、俺に触らないことだ。お前からは何かあるか?」
ヒルマが首を傾げて空を見ている。何か思いついたのか、ぱっと笑顔になった。
「俺を攻撃するな、名前を呼べ、かな」
「名前?」
攻撃するなは分かった。ユサは散々した。あれはさすがにもう嫌なのだろう。だが、名前とは。
「俺はもう長いこと名前呼ばれなかったからな。自分の名前を忘れないようにたまに自分に言い聞かせてたりしてた。だからユサに名前を呼んでもらえると助かるな」
そう何でもないことのように言った。どれだけ長い間呼ばれないと自分の名前を忘れるんだろうか? ユサも蟻塚の最下層に降りてからは他人に名前を呼ばれるようなことは殆どなくなったが、別に自分の名前を忘れちゃいない。
ヒルマは相変わらず呑気に空を見上げている。雲でも見ているのかもしれない。顎の無精髭は顎下には生えておらず、まばらにぽちぽち空間があるのが見えた。やはり何だかみっともなかった。
「ヒルマ、長いことってどれくらいのことだ?」
そんなすぐに自分の名前を忘れるような奴と契約を交わすのは、やはり少し無謀な気がした。
「覚えてない」
ユサは顔を顰めた。やはりこいつは阿呆かもしれない。数も数えられないのだろうか?
ヒルマを嫌そうに見ているユサの視線に気付いたのか、ヒルマが目線を空からユサに戻した。こめかみをポリポリとかく。
「俺がこんな身体になってから始めの10年までは数えてたんだけど、その後段々面倒になって」
10年? 今ヒルマは始めの10年は、と言わなかっただろうか。
「ちょっと待て」
ユサが身を乗り出す。あまり近付きたくはなかったが、ヒルマの顔がよく見えるよう少しだけ這って近付いた。手を伸ばしてもぎりぎり届かない程度の距離まで近づいて、ヒルマの顔をじっと覗き込む。
肌に、特に皺のようなものはない。青黒い髪の生え際も見てみるが、白髪らしいものもない。肌も、ところどころ泥のような汚れが不着してるし汗が垂れた痕が垢のようになっていて汚いは汚いが、張りがある。
あまりじろじろ見られることに慣れていないのか、ヒルマがやや身体を引いた。顔が少し引きつっている。
「な、なにユサ」
「お前、いくつだ?」
ああ、とヒルマが言った。ユサの疑問に気が付いたようだ。相変わらず身体を少し引いた状態で、にこっと笑った。笑うと幼く見えた。もしかして、この汚い髭を剃ったらもっと若く見えるのかもしれなかった。
「この身体になったのが25の時だな」
「は?」
ちょっと意味が分からなかった。どういうことだろうか。ユサの怪訝そうな顔の意味を知ってか知らずか、ヒルマは続けた。
「そうそう、そういや、丁度その頃紅国が皇子誕生祭で国を挙げて大騒ぎしてた記憶がある。紅国の皇子って今いくつだっけ?」
「……21だな」
紅国の皇子は、ユサと同い年だ。
ヒルマはふーん、と頷くと、25足す21は、とぶつぶつ言っている。
「てことは今46かな?」
「……嘘だろ?」
ユサはもう一度じっくりとヒルマの顔を見た。
「あんま見るなよ、恥ずかしい」
ヒルマが照れたように言った。でもまんざらでもなさそうなのが腹が立つ。ユサは目を細めて更に見つめる。
「全然若く見えるんだけど」
「ああ、だってあれから成長止まったからな」
あっけらかんとしてヒルマが言って、顎をしゃくった。
「髪伸びたり髭生えたりはするんだが、何故か年を取らない。しかも怪我もすぐ治る。ユサも見たろ?」
そう言って、先程ユサがナイフで刺した腕をまくって見せた。そこには、傷ひとつ残されていなかった。
と、いうことは。ユサは思わず口をあんぐりと開けた。
「俺はいわゆる不老不死ってやつだな」
にへ、とヒルマが笑った。
一体、どんな『ヤバい奴』がこの男にそんなことをしたのか。ユサは恐ろしくなって鳥肌が立った腕をさすった。
「お前……何やってそんなことになったんだ?」
「うーん、それはおいおいってことで」
ヒルマは言葉を濁した。ユサは、自分が踏み入れてはいけない領域に一歩踏み入ってしまったのではないか。そんな気がした。
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