第6話 不信
両手首を後ろで固く結ばれ、ユサはその場で寝転んだ。正直、疲れ切っていた。しかも久々に食べ物を口にしたので、身体がポカポカしてきて眠気を誘う。
少し離れたところで焚火に当たっている男をぼんやりと眺めた。男もぼーっとして焚火を眺めている。青い瞳に炎が反射して赤く見えた。まるで話に聞く悪魔のようだった。しばらく見ていると、大きな口で豪快な欠伸をした。眠いらしい。ちらり、とユサを見た。目が合った。
「早く寝てくれよ」
目尻が涙で濡れている。どうやらユサが寝るまでは起きているつもりらしかった。
「お前は信用できない」
「そりゃお互い様だ」
事も無げに男が言った。目を擦ってまた欠伸をした。ユサは男の大きな口の中を見て、歯並びいいな、と変なところに感心してしまった。牙は生えてないから、悪魔ではないのかもしれない。所業は悪魔そのものだが。だが、先に寝るのは怖い。また何をされるか分かったものではなかった。この短時間で連れ去られ、縄で捕まり、身体を触られ、腹を殴られ気絶させられ、服を脱がされ隅々まで見られ、最後は手首を縛られた。悪行のオンパレードだ。信用しろという方が無理な話だろう。
「さっきも言ったけど、何もしないから寝てくれ」
「お前が先に寝ればいいだろ」
「ユサは信用出来ない」
「お互い様だろーが」
会話はループになっている。お互い信用出来ないのだ、このままでは気付けば朝になっていそうだった。
「あー」
辛そうに頭をガクっと落とし、しばらくしてから起き上がりユサを見た。複雑そうな表情をしている。何だか言いにくそうだ。
「安心させる為に一応教えておくが、俺に性欲はない」
男がまた何かおかしなことを言い出した。ユサは何と反応したらいいものか分からず、とりあえずそのまま沈黙を守った。ユサが何も反応しないからだろう、頭をボリボリと掻いた。ユサの場所からも飛んでいくフケが見えて汚らしかった。爪の間に入ったフケをユサの方にふうっと吹いた。本気でやめてほしい。男は、もう少し説明する気になったのか、また話し始めた。
「俺、あんたに金的食らっても、回し蹴り食らっても平気だっただろ?」
ユサは返事が出来なかった。男の話の内容に、思わずゾッとしてしまっていた。やはりあれは全然効いてなかったのだ、ユサの渾身の一撃だったのに。
「それと一緒。痛覚ないし、性欲もない。分かったら寝ろ」
男は膝の上で腕を組んでその上に顎を乗せ、だらしなくこちらを見ている。恐らく言いたくなかったことなのだろう、少し唇が尖がっている。髭面が唇を尖らせても可愛くも何ともない。ただ気持ち悪いだけだ。
痛みがないとはどういうものなのだろうか。ユサには想像がつかなかった。痛みがないのはいいのかもしれない。でも、痛みを感じないと怪我をしても気付かない。それは困るかもしれないな、とぼんやり思った。ユサは性欲を感じたいと思ったことがないのでそれもよく分からないが、蟻塚の底辺は
そんな詮無い事をつらつらと考えている内に、ユサはいつの間にかウトウトしだした。段々と考えがぼやけていき、頭の奥が白くなっていく。やがて、深い眠りへと入っていった。
男が立ち上がり、寝たばかりのユサに静かに近づいた。一度回収した自分の外套をユサにかけると、ユサの首元まで上げた。手をユサの頭に近づける。赤茶の短い髪に触れようとして、一瞬躊躇した。少し間があったが、結局は手が髪に触れ、ユサの頭を軽く撫でた。
「ごめんな」
小さな声を出した。
男の手がユサの肩を揺さぶった。
「ユサ、起きろ」
いつの間にか寝てしまっていたらしい。ユサはゆっくりと目を開けた。辺りはまだ暗い。
「何か来る。逃げるぞ」
男が切羽詰まった声を出した。男の目線を追うと、蟻塚の方を見ている。ユサも目を凝らしてみると、何人かこちらに向かって来ているようだ。男は自分の外套をユサから取って身に着け、鞄にユサのサラシと靴を放り込んで上をぎゅっと閉めた。なかなかに重そうな鞄を軽々と背負うと、片膝を立ててまだ寝ぼけ
「来い」
「あ?」
男が焦ったように早口になる。
「あ? じゃないよ、足首に縄ついてるだろ、しかも靴も履かずに走れるか」
「縄つけたのはお前だろ」
寝起きで機嫌が悪い。嫌味がスルスルと口をついて出た。言うことを聞きそうにないユサを見て時間の無駄だと思ったのか、いきなりユサの膝下と腰に手を入れ、一気に持ち上げ立ち上がった。
「文句は後でゆっくり聞くから、俺の首にしっかり捕まっとけ」
「おい、ちょっと待て」
「うるさい」
男はそう言い捨てると蟻塚と反対方面に向かって一気に走り出した。やはりこの男、速い。背が高いだけあって一歩が大きいのだろう。ユサの頭がガクガク揺れた。
「捕まれって! 舌噛むぞ!」
舌は噛みたくない。男には触れたくなかったが、贅沢は言ってられない状況だったので仕方なく男の首にしがみついた。時折男が跳躍する度に身体が浮いては頭がガクン!と揺れる。寝起きにこれはきつかった。男が後ろをちらっと見た。
「追って来てるぞ、なんだありゃ!」
ユサがガクンガクン揺れる男の肩から後ろを覗いてみた。縦にも横にも大きい影とその横に小さい影がひとつ、ふたつ。あれはホバーバイクだろうか、砂煙を上げている。物凄い音も聞こえてきた。その陰影に、ユサは見覚えがあった。
「ありゃ人攫いの連中だ」
「人攫いぃ? なんで俺たちを追うんだよ!」
全速力で逃げながら男が聞いてきた。大きな穴を飛び越え、ユサをぎゅっと抱き締め着地するとまた一気に走り出した。速い速い。ユサは少し楽しくなった。こんなに動けたら楽しいだろうな、そう思う。蟻塚がどんどん遠くになっていく。
「体格がいい男は売ると高い」
「俺が狙われてんのか⁉ 俺のせいか⁉」
息ひとつ乱さず男が喋りながらひたすら走る。ホバーバイクのスピードは元々遅い。少し砂煙が遠くなったきた。言うべきだろうか。でもまあ離れているに越したことはない。ユサは黙っていることにした。
「労働力になる。顔が良けりゃ上層部のマダムに買われる」
蟻塚が大分小さくなってきた。監視塔の光が時折チラチラと目に入るが、もうここまでは届かないだろう。
「ユサ、冷静だね……」
「夜はよく狩りしてるからな」
遠くに見えるホバーが反転したのが見えた。諦めたらしい。男はどんどん走って行く。元気な奴だな、ユサはそんなことを思った。そろそろ教えてあげてもいいかもしれない。全力で首にしがみついているのも疲れてきたところだ。男のこめかみから伝って落ちた汗がユサの頬に落ちた。汚い。肩で拭いた。男がそんなユサの様子を見て何か言いたそうな目線を送ってきたが、ユサは構わないことにした。
「ユサ、まだ追われてるか見えるか⁉」
「もうとっくにいないぞ」
聞かれたので、答えた。途端、男が走るのをやめてハアー、と息を吐いてユサの背中に顎を乗せた。ユサがそれを肩で払いのける。また何か言いたそうな目線でユサを見た。恨めしそうな目線だった。
「いや、そういうのは教えてよ」
「聞かなかっただろ」
ユサが男の首に回していた手を外した。だが男はユサを降ろさず、そのまま歩き続けている。このまま進むつもりだろうか。後ろを見ると、蟻塚が見えなくなった。あっという間にこの距離を稼ぐこの男の脚力。羨ましいな、と素直に思った。これだけの足があったら、ユサも逃げ出せていたかもしれない。あの蟻塚からも、この男からも。
男が不貞腐れたように言った。
「……性格悪いな」
「性格いい奴は生き残れねえよ」
事実なのでそのまま伝えた。次いで欠伸をした。まだ夜中だ。正直寝足りなかった。上空を見上げると、沢山の星が瞬いている。蟻塚では見れなかった景色だ。とても綺麗だった。何だか少し自由になった気がした。気がしただけだが。
ユサを捕らえて離さない男が、空をじっと見上げているユサを見て小さく溜息をついた。
「寝てろ。このまま進む」
ユサに返事は求めてないように聞こえた。歩いている人間はユサを何かすることはないだろう。そう思い、ユサは素直に目を閉じた。
眠りはすぐに訪れた。
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