第3話 最悪の出会い

 お互いの手首に結ばれた縄を、ユサが力任せに引っ張る。びくともしない。


「人の話聞いてた?」

「引っ張ると締まるとか、そういうこと聞いてんじゃねえよ」

「あらま。可愛い顔して口汚いのな」

「可愛いとか言うな、殺すぞ」

「こわー」


 ニヤリと笑っている。完全に下に見られている。イラッとしたが、とにかくこの縄を解かないと逃げられない。面倒だが、交渉しなければならなかった。どう話を進めるべきか。


 だが、そんなユサの考えなどまるっと無視して男が言った。


「とりあえず歩こうか。じっとしてると怪しまれる」


 男はお互いの手首に結ばれた縄をくるくると手繰り寄せ、ユサを男のすぐ横に引っ張った。手首をぎゅっと掴まれた。かなり力が強い。痛かった。解こうとするが、押しても引いてもびくともしない。


「とりあえず、下層を目指そうか。あんたに話があるんだ」

「俺はお前に話なんてねえよ」


 男がユサを横目で見る。上から下まで舐めまわすように見ていて、正直気分が悪い。


「なんだよ、見るな気持ち悪い」

「あんた男?」

「どっちでもいいだろ」

「いや、でもさっき持った感じは女だったような」

「うるせえな黙っとけ」


 男が、下層に続く階段にユサを引っ張っていく。見かけが緩い割には、やることはかなり強引だ。夜も大分更け、蟻塚内部の人通りは少ない。飲食店等の店員だろう、疲れた様子の男たちと時折すれ違う程度だ。その中で、ユサたち二人組はやや目立つ。


「降りるぞ」


 後ろをちらりと見て、少し足早に階段を降りていく。速い。足がもつれそうだ。ユサは階段を転げ落ちないよう必死でついて行った。男というのはどいつもこいつも勝手だ。大嫌いだった。


 どんどん下の階へと降りていく。数階分を降りたところで、男が今度は蟻塚の外に出る細い道にいきなり入っていった。ユサの意思など関係ない。道幅はユサが両手を伸ばすと届いてしまう程度の細い道だ。天井も低く、男が手を上に伸ばせば届きそうだ。そして暗くかび臭い。地面には水たまり。ひんやりとしていて、嫌な感じだった。


 男が先頭に立ち、どんどん先へと進んでいく。引っ張られる手首が痛くなってきた。


 蟻塚の外側、崖側の通りの灯りが見えてきた。道路の手前まで着くと、男は顔だけ横道から出しキョロキョロと辺りを窺う。


「こっちだ、来い」

「何なんだよ!」


 ぐいぐいユサを引っ張っていく。勘弁して欲しかった。ここいらはもう下層になる。最下層まではもうあと少しだ。月明りも届かない、暗い場所だ。それでも店は存在する。夜は殆ど開いていないので人もほぼいない。ドアの取っ手に鎖が巻き付けられたとある店舗の前に連れて行かれた。男がようやく止まった。男は全く平気そうだが、ユサは軽く息が上がっている。ここのところしばらくろくなものを食べていない。正直もうふらふらだった。


 店のドアの前に追いやられる。背中がドアに当たる。鎖が腰にぶつかって痛い。両肩を掴まれ、男の顔がすぐ近くに迫った。


「あんたさ、さっき盗ったやつ見せてくれない?」

「はあ?」

「くれと言ってるわけじゃない、ちょっと確認したいんだよね」

「さっきびっくりして落としたよ。上に戻って勝手に探せよ」


 ユサは男をぐい、と押し返した。先程、咄嗟にズボンの内側のポケットに移動しておいた。外のポケットには入っていない。多分、ばれないだろう。


 男が目を細める。見透かすようなその視線に、ユサはぞくりとした。こいつは、やばい奴かもしれない。直感的にそう感じた。相手にしてはいけない種類の人間だ。


「さっき、服の中に入れたよな。見たんだけど」

「入れてねえよ。目がおかしいんじゃねえか」

「あんまり乱暴なことはしたくないんだけどな」


 そう言うと、男がユサと繋がったままの左腕でユサの胸を押して壁に押し付けた。


「蹴るぞ! 離せよ!」

「穏やかじゃないなあ」


 空いている左手で男の顔を押すが、力負けしている。手に触れる髭の感触が、チクチクして気持ち悪い。本当に男なんて大っ嫌いだ。汚いし強引だし人の話なんて聞かないし。


 男が、ユサのズボンの中に手を入れてきた。ユサの怒りが頂点に達した。


「いい加減にしろ!」


 怒りのまま、膝を男の股間に力任せに蹴り上げた。当たった。筈だった。


「はいはい、ちょっと待ってね」


 なのに、男は平気な顔をしてユサのズボンの中をまさぐっている。何だこいつ。ユサはゾッとした。手の甲が時折ユサの肌に直接触れる。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!


「あ、あった、これね」


 内ポケットから、ユサがさっきの家から盗んだ石を探し出し、ようやく服の中から手を取り出した。ユサを壁に押し付けたまま、石を片目を閉じて空に透かしてみたりしている。ユサは泣きそうだった。何で知らない男に服の中に手を入れられなければならない。目の前の飄々とした男が憎くて仕方なかった。恥辱で心が燃え散ってしまいそうだった。


「……いい加減離せ」


 喉の奥から、怒りに染まった声を出した。もう十分だ。殺すには十分な理由が出来た。


「10数えて離さなかったら、殺す」

「いや、ちょっと待ってってば。今確認してるから」

「1、2、3」

「うーん、これじゃないかー」

「……6、7、8」

「はい、返す」


 男が、ユサを押していた腕を降ろして、ユサの左手に石をぽんと落とした。だが、手繰り寄せている縄はそのままだ。そのくせ、少し申し訳なさそうに男が笑った。


「女の子に乱暴な事してごめんね」

「うるせえ、これも取れ」


 右手を突き出して縄を見せる。男がヘラヘラとしてとんでもない事を言った。


「あ、それは無理かな」

「ふざけんな」

「言葉遣い丁寧な方が可愛いのに」

「黙ってろ」

「あのさ、他に何か持ってない?」

「は?」


 男がユサの手の中の石を指差す。


「俺が探してる物、それじゃないんだよね。でも、どうもあんたに反応してるみたいだし」


 そう言って、男が自身の上着の中から首にかかっている小さな石が連なったネックレスを取り出して見せた。ユサに近付けると、ひとつの石が白に強く輝く。輝く石なんて聞いたことがない。なんだ、これは。


「ちょっと見ていい?」


 ユサの返事も待たず、今度はユサの首の後ろを覗き出した。ゾワっとして、ユサが切れた。


「何も持ってねえよ! 持ってたらこんな腹空かせてねえ!」

「……まあ、鶏ガラみたいに痩せてるもんなあ」

「余計なお世話だ!」

「でもなあ、人間にあった事ないんだよなあ」


 顎に手を当てて呑気そうに首を傾げているが、ユサには何のことか分かるわけもない。理解したくもなかった。


「あんた家族とかいる?」

「お前には関係ないだろ」


 そう?と眉尻を下げて笑う。何故この状況で笑えるのかユサにはさっぱり理解出来なかった。この男は、顔は笑ってるが目の奥はちっとも笑っていない。それが非常に怖かった。


 次いで恐ろしい事をのたまった。


「じゃあ、いないって事でいいか。誰にも別れの挨拶はいらないね」


 間髪入れず、ユサの腹部を思い切り殴った。「ごめんねー」などと言っているのが聞こえたが、ユサはもう意識を保つ事が出来なくなっていた。

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