第一章 紅国

第2話 盗み

 紅国こうこく。この国は、国土全域に渡り赤土あかつちが確認出来ることからそう呼ばれている。銅の採掘場も多く存在し、国全体が赤い。


 まるで蟻塚のようにそびえる崖に掘られた居住区からは、暖かそうな灯りが漏れている。その遥か上空の暗闇には、警告をするようにグルグルと回る監視塔からの眩い光。


 上層にいれるのは金や地位のある者ばかりだ。金のない、地位もない者は地べたを這いずり回る、そういう国。それが紅国だった。


 底辺からは成り上がれない。生きるには、ある所から施されるか、搾取するしかなかった。


 ユサは、その2択の内搾取する側を選んだ。


 ユサは、遥か上空の灯りを忌々し気に睨みつけた。水色の瞳はスッとしていて涼しげな印象を与える。可愛らしい鼻と小さな口は、まだ幼さを残している。少し赤みを帯びた茶色い髪は短く刈られ、少年なのか子供なのかそれとも女性なのか、一瞬では判断つかない。身長は少年にしては低く、女性にしてはやや高めというところだろうか。満足に食事がとれていないのか、かなり痩せている。着ている外套も汚くはないが古そうだ。


 幼い時、この顔のせいで実の父親に売られた。そこから死に物狂いで逃げて来た。搾取され続けた幼少期から先の数年間。ユサが逃げたことで父親にどんな報復措置が取られたかは知らない。知りたくもなかった。


 読み書きは殆ど出来ない。金勘定だけは何とか出来るようになった。覚えなければ、騙され続けた。生きていく為に必要な知識は、最低限は身に付けた。身に付けられなかった同じ様な立場の者達は、どんどん堕ちていった。底辺の最下部へ。


 搾取される事を甘受する者達を責める気にはなれなかった。ただ憐れだと思うだけだ。彼らには、抗うだけの余力が残されなかっただけなのだ。


 煤色の外套を羽織り、上へと向かう。上に住む人間は、下に住む人間の力を多く使うことで優劣を争っている。だが、中程に住む人々は金銭的に底辺の人間を雇う者が多い。つまり、底辺にいる人間でも問題なく上がれる場所。狙い目だった。


 岸壁に張り巡らせられた通路をひたすら登って行く。前から目を付けていた家があった。老夫婦のみが住むその家は、雇われている人間はたったのふたり。それも晩飯の時刻が過ぎるといなくなる。危ないんだよな、とは老夫婦を心配する雇われ人から聞いた話だ。間違いないだろう。


 ユサのことを勝手に善人だと判断してペラペラと喋ったのは相手の方だ。それを責められるいわれはない。正しいとか間違っているとかは、それが出来る余裕のある人間がやっていればいいのだ。生きるのに精一杯のユサには次元の違う話だった。


 老夫婦の家の前に着いた。中の灯りは消えている。この家の雇い人の腰から拝借した鍵を使って鍵をそっと開ける。静かにドアノブを回転させた。周りには人通りがあるが、こういうのは堂々としている方が印象に残らない。まるでこの家の住人かのように、真っ直ぐ立ってみせる。


 ドアを開けた。蝶番が軋む音がする。あまり手入れは良くないようだ。耳も遠いようなので、関係ないのかもしれないが。


 室内に入る。後ろ手で玄関のドアを閉めた。室内は暗い。1回瞼を閉じて、目の裏に残っていた明かりを追い出す。再び目を開けると、室内の様子がよく見えた。そこそこ広いリビング。古そうな大きなソファーと、大きな本棚。中程に引き出しが備え付けられている。キッチンに続く入り口と、その隣には奥の寝室に続く廊下。


 床には絨毯が敷き詰められており、足音の心配もない。ドアが閉まっている夫婦の寝室の前で耳を澄ますと、大きないびきが聞こえた。これだけうるさければ、多少引っ掻き回しても大丈夫そうだ。


 まずはリビングの本棚の引き出しだ。それでもなるべく音を立てないようにそっと引き出しを引く。用心するに越したことはない。左の引き出しの中には、何かの書類。字がもう少し読めたらと思うが、残念ながら方法も時間もユサにはない。紙、紙、紙だ。読めなければ何の価値もない。引き出しの奥に手を突っ込んだ。何もない。静かに押して戻す。次に右の引き出しを引く。こちらも紙がバサバサと入っている。引っこ抜こうとして、途中で引っかかった。手を突っ込み、引っかかった場所の天板を触ってみる。何か貼ってある。小さなものだ。引き出しを少し戻し、しゃがんで天板から貼り付いていたものを剥がしにかかる。少しベタベタするが、少しずつ剥がれていく。取れた。手に残ったものを見てみる。暗くて色は分からないが、さくらんぼ大の石だ。透かしてみようと思い、窓の方を振り返った。


 目の前に大きな人の影があった。


「うわっ!」


 思わず大きい声が出てしまった。心臓が飛び跳ねた。


「しっ!」


 大きな影がユサの口を慌てて塞いだ。男だ。何でいつの間にこんなのが自分の背後にいる。ユサは割と気配に敏感な方なのに、有り得ない。


「お前なん……!」

「黙れって」


 ユサの口を確実に塞ぐ為か、頭を男の胸に押し付けられた。硬い。少なくとも、ブヨブヨのデブ親父などではないようだ。


 寝室のドアの隙間から、灯りが漏れた。ばれたか。


「逃げるぞ」

「だからお前……むご」


 腕で頭を抱えられ、反対の手で口を塞がれてユサは男に引っ張られて行った。男が入って来た時に少し開けていたのだろう、男がドアに当たっただけで開いた。男が背中でドアを閉めるのと、リビングの電気がつくのとかほぼ同時だった。窓ガラスから灯りが漏れる。まずい。


「ちと黙っとけ」


 鼠色の外套を纏った男がユサを肩に抱き抱えると、目の前の通路の塀をヒョイと乗り越えて落ちた。


「うっうわわわ」


 真下は何もないただの空間だ。ユサが先程まで居た底辺の地は遥か下。


 ――落ちていく! 死ぬ! 死ぬ死ぬ! まだ死にたくない!


 ユサは一瞬本気で死を覚悟したが、男はすぐ下の階の塀に器用にドン!と着地すると、ガク、と男の肩の上で後ろにバランスを崩したユサの腰を引き寄せ、軽業師のように通路に降りた。人通りは少ないが、何人かが落ちて来たふたりを驚いたように見ている。男は辺りを一瞬見回すと、蟻塚の中へと続く狭い通路に向かって軽やかに走って行った。鼠が足元を逃げていく。速い。速いが、何だこの男は。


「おい! 降ろせってば!」

「捕まりたいか?」

「嫌だけどさ!」

「少し黙っとけって」


 低い声だ。声を聞く限りはまだそれなりに若そうだが、いかんせん顔が全く見えない。ボサボサの青みがかった黒髪が見える。少なくとも白髪ではなかった。


 細い埃だらけの道を進む。このままだと、蟻塚の内側の大通りに出てしまう。


 人の声が聞こえ始めた。通りが近い。すると、男がようやくユサを降ろした。瞬間、ユサが走って大通りに逃げようとした。


 グン、と右手が引っ張られた。


「あ?」


 いつの間にか、ユサの右手首に縄が結ばれている。反対側はどうも男の左手首に結ばれているようだ。


「おい! これ何の真似だよ!」


 初めて男の顔を見た。年齢が読めないが、ユサよりは上そうだ。20代後半くらいだろうか。それなりに整った顔はしているが、何とも緩い顔つきがとても軽薄そうだ。顎にパラパラと生えた無精髭がこれまた貧乏臭い。もみ上げとも繋がっておらず、汚らしい。それに青黒い前髪が伸びて邪魔そうだ。髪はボサボサ。多少癖があるのか、固そうな髪が肩の上でピョンピョンと跳ねている。瞳は濃い青。そしてでかい。ユサより頭ひとつ分以上高い。痩せ気味だがヒョロヒョロではないように見える。軽いとはいえ大人のユサひとりを抱えて走れるくらいだ、それなりに筋肉もあるのだろう。


「あんまり引っ張ると締まるから」


 男が、そうのんびりと言った。

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