樹海の中の喫茶店

無月弟(無月蒼)

前編

 都会の喧騒を忘れてしまうような、深い樹海の中。

 木々が太陽の光を遮ったそこは、そこはかとない不気味さを感じさせる。


 右を見ても左を見ても、あるのは木ばかり。自分が今どこにいるのかも分からなくなってしまうような森の中を、私はただひたすらに歩いていたけれど。

 突如現れたソレを目の当たりにした途端、思わず目を丸くした。


「……へ? 嘘でしょ、どうしてこんな所に、こんなものが建ってるわけ?」


 樹海のど真ん中にあった建物。これが山小屋だと言うのなら話はわかる。

 だけど木造ではなくレンガ造りのオシャレな外観のそれは、何だか山小屋っぽくなかった。どちらかと言うと、そう……。


「なんだか、喫茶店っぽい建物ね」


 

 赤茶色のレンガの壁に、白枠の窓。中を覗き込むと何組ものイスやテーブルが置かれていて。大学時代によく友達と行っていた喫茶店と、どことなくにた雰囲気があった。


 さらによく見ると、店の前には本日のおすすめメニューが書かれたボードが出ていて。そして入り口のドアには、『木葉珈琲館』と書かれたプレートが貼ってある。

 ……うん。これはもう、まごうことなく喫茶店ね。

 

 けど、なんでこんな山の中に?

 町中で見かけたらオシャレなお店と思うだろうけど、人里離れた山の奥にあるにはいささか以上に違和感がある。


 そのあまりに不自然な光景に、私はここに来た目的……自殺をしようとしていた事も忘れて。

 ぽかんと口を開けながら、喫茶店を見つめるのだった。



 ◇◆◇◆


 少し話を戻して、どうして私が樹海の中を歩いていたか。その経緯について説明しよう。

 と言っても、あまり楽しい話じゃないけど。


 きっかけは、ある日突然言い渡された解雇通知。経営難に伴う人員削減だそうで、白羽の矢が立ってしまったのが私だった。

 だけど悪い事は、それだけでは終わらなかった。無収入になった私はその後すぐ、結婚を考えていた恋人に、あっさり捨てられたのだ。


 後で思い返したら、元々おかしかったんだよね。

 彼、事ある毎に「今は持ち合わせがない」、「後で必ず返すから」なんて言って、ワタシから度々お金を借りていたの。たぶん私の事を、無利子無利息のATMくらいに考えていたんだと思う。

 結局貸したお金は帰ってこないまま、自分勝手な理由を告げて彼は私の前から去って行った。聞いた話では、実はもっと前から浮気をしていたみたいで。きっとどう転んでも、彼と結ばれることはなかったのだろう。


 仕事を失って、彼を失って。次の就職先も決まらずに、貯金はどんどん減っていく。

 そんな状態が一年ほど続くと、精神もすっかり参ってしまっていて。このまま生きていても仕方がない、もう何もかも終わらせたい。そう思うようになっていた。


 だから今日、私は全てを終わらせるべく、人里から離れた山の中へとやって来たの。

 自殺なんてやろうと思えば自宅でもできるけど、人目につかない場所で静かに終わりを迎えたくて。山の奥で首をくくる事にしたのだ。


 リュックには、首を吊るためのロープを忍ばせて。最初はハイキングコースを歩いていたけど、途中からわざと舗装されていないけもの道へと進路を変える。


 誰にも見つからないよう、できるだけ奥へ。木々の間を抜けながら、モクモクと山の奥へえと向かって歩いていたけど。

 そこで見つけてしまったのだ。山中にあるには、あまりに不自然な喫茶店を。


「かなり奥まで来たと思ったのに、どうして喫茶店があるの? ひょっとしてここ、案外麓の近くだったりする?」


 だけど辺りを見てみても光を遮る木々が覆い茂るばかりで、道も舗装されていない。

 けどどうしよう。せっかく人目を避けるために山の奥まで来たのに、これじゃあ自殺なんて出来やしない。こんな所で首なんて吊られたら、店の人もいい迷惑だろう。

 それにしても……何だか良い匂い。


 店から漂ってくるのは、芳醇なコーヒーの香り。

 さっきから歩いてて思ってたんだけど、ここって山の中だけあって肌寒かったんだよね。


 不思議なもので、今でも死ぬ気満々だと言いうのに。おいしそうなコーヒーの香りを嗅いでいると、つい飲みたいなんて思ってしまう。


 山の中にあるなんておかしなお店だけど、だからこそ中がどうなっているのかも気になるし。命を絶つ前に、コーヒーを飲むのも悪くないかも。


 そうして誘惑に負けた私は、ドキドキしながら店のドアに手をかけた。


「いらっしゃい」


 中に入ると挨拶をしてきたのはカウンターの奥にいた、長い黒髪を後ろに縛った女性。彼女が店主だろうか? 女の人だからマ、スターじゃなくミストレスだっけ。

 年齢は、たぶん三十歳くらいだろうか。釣り目の美人で、白のシャツに黒いベストを着ている。


 店内を見てみると、年季を感じさせるイスやテーブル、装飾品がノスタルジックな雰囲気を出している。

 中の作りを見ても、やっぱり山小屋じゃなくて喫茶店ね。


 だけどお客さんの姿は見当たらない。まあこんな山の中の、ハイキングコースからも外れた所にあったんじゃ、ガラガラなのも頷けるけど。


 そんな事を考えながらカウンター席に腰を下ろすと、店主が注文を取ってくる。


「お客さん、何になさいます?」

「ええと。それじゃあ、コーヒーを貰えます?」

「あいよ。ちょっと待っててね」


 女性店主は慣れた手つきでコーヒーを用意してくれて。出されたそれを口に運ぶと、体中がじんわりと暖かくなってきた。


「……おいしい」


 フーフーと息を吹きかけながら、もう一口ゴクリ。

 やっぱり美味しい。こんなおいしいコーヒーを飲んだのは、いつぶりだろう。


 そんな事を思っていると、不意にお腹がぐーっと大きな音を鳴らした。

 ウソ、なんでこんな大きな音が鳴っちゃうわけ? 顔を赤らめながら音を聞いたであろう店主に目を向けると、案の定彼女はくすくすと笑っている。


「コーヒーだけで足りないなら、何か食べていくかい? ハンバーグプレートがお勧めだよ」

「じゃあ、それをお願いします」


 死ぬ前に最後の晩餐をするのも悪くない。

 運ばれてきたハンバーグは、ナイフを入れると中から肉汁が溢れてきて。口に運ぶと濃厚な肉とデミグラスソースの味が、舌を刺激していく。


 美味しい、美味しいよこれ。

 ハンバーグを切り分けては、無我夢中で口に運んでいく。コーヒーを飲んだ時にも思ったけど、こんな風に食事をして『美味しい』って思ったのは、本当に久しぶり。


 最近じゃあ何を食べても、味なんて感じずに。食事がただの作業になってしまっていた。

 だけど今は違う。味わって食べるという当たり前のことを、この店のコーヒーとハンバーグが思い出させてくれたのだ。


 そうして食べていると不意にカランカランって、お店のドアが開く音がした。誰かお客さんが来たのかな? 

 私以外にも来る人がいるんだなんて失礼な事を思ってしまっていると、入ってきたその人は私から少し離れたカウンター席へと腰を下ろした。


 見るとそれはリュックを背負った高校生くらいの、髪をツインテールに結った女の子で。一人で入ってきたところを見ると、ソロキャンプにでも来たのだろうか?

 まさか私と同じで、自殺志願者ってことは無いだろう。


 なんとなく横目で見ていると、店主は彼女に何かを話しかけている。

 何を話しているかは聞こえないけれど、注文を取っているようには見えないし、もしかして二人は知り合いなのかな?


 そんな事を思いながら、残っていたハンバーグを完食する。

 ふう、ご馳走様。最期に良い思い出ができました。


 予想以上の味に満足していると、さっきまで女の子と話していた店主が、再び私の方へと近づいてくる。


「コーヒーのおかわりはいるかい?」

「それじゃあ、頂きます」


 そうして淹れられたコーヒーを飲んでいると、店主はニコニコと笑いかけてくる。


「お客さん、いい顔になりましたね。店に入ってきた時とは、まるで別人です」

「そ、そうですか? だったらきっと、このコーヒーと料理がおいしかったおかげですよ」

「それは嬉しい。アナタ、本当にいい顔で笑っていますよ。


 ………………えっ?


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