第50話 狂気の蜘蛛神
ミズリーナに対しブラドーグの話は続いた。
「この3日間、俺にも十分に時間はあった。お前が連絡をよこさない時には何か余程の事情があるのだろうと考えるのは必然。お前からの連絡が途絶えた日は即日、俺は王都に使いを送っていたのだが、その使いは王都に入ることが出来なかったとスゴスゴと帰ってきおった。」
「……一体…?」
ミズリーナが不思議そうな表情となる。
「王都全体に強力な結界が張ってあった。我らでも破れないほどのレベルのな…だが、お前が結界を抜け出てここに帰ってこれたということは、かなり複雑な仕組みのようだな…」
その言葉にミズリーナは目を大きく開く。
自分が気を失っている間とはいえ、魔族にすら破れぬ強力な結界を張るのは人間には至難の業というよりまず無理である。
それは魔族と人間の間に何か強大な存在が介入していることを示していた。
ミズリーナは自分の知らない間に事態が大きく動いていた事に動揺する。
いくら気配を隠蔽していたとはいえ、ミズリーナは自分がこの魔王のいる遺跡まで追跡者に気付かず無警戒に移動し、魔王の存在をも脅かしていることを理解していた。
「そろそろやって来そうだな。」
苦渋の表情を浮かべるミズリーナを横目に見ながらブラドーグはニヤリと笑って部屋の入口の方向を見る。
「シュラチか…?」
「はっ!お待たせいたしましたブラドーグ樣、移動の用意が出来ました。」
そう言って部屋に入ってきたのは人間の女性の姿をした配下の魔族だった。
ブラドーグはゆっくりと身体を起こすと何も喋ることなくシュラチと呼ばれた女性の後に続いて部屋を出ていく。
「一体何を…?フェイドルフ何か知っているのか」
何が起こっているのかあまりわかっていないミズリーナが、ブラドーグの側にいた護衛の魔族に説明を求めた。
「我らは、お前からの連絡が途絶え、王都にも入ることが出来ないと知った時、お前の身に何かあったのだと判断した。そして、もし、その後お前がここへ帰ってくることがあれば、それはお前がわざと逃されたということであり、それならば王都から逃げ出すお前の後を尾行してくる者が必ずいるだろうと判断していた。で、案の定、今、お前の後を付けてくる者達がここまでノコノコとやって来ていた。」
「そいつらを捕まえて殺すのか?」
ミズリーナがフェイドルフと呼ばれた魔族に尋ねるとフェイドルフは、
「そんな事はしない。とりあえずは捕まえて人質にする。どうせそいつらはただの使い走りに過ぎないだろうからな。最終的な目的は王都に結界を張った張本人をこちらに誘き出さねばならないということだからな。」
「そういうことか…で、それをブラドーグ様自らが手を下されるのか?」
「ああそういうことだな、今回、ここへ来たのはただの人間のようだが、魔力量から見て一応魔導士のようだし、その後に控えている奴の存在がお前の話だけでは一体何者なのか、その実力も含めて未だ確定的でないからな。」
ミズリーナはフェイドルフの説明を聞き納得した。
「確かに…奴は相当に強い、油断すればブラドーグ様も危ないかも知れない…」
「おいおい、冗談はやめろ。流石にブラドーグ様をどうこう出来る奴など…」
ミズリーナの言葉にフェイドルフは呆れたような顔をしたが、ミズリーナの表情を見て素に戻る。
「そんなにか?」
「ああ…」
それを聞いたフェイドルフはしばらく考えると、
「…それでは俺もブラドーグ様を手伝わねばならないな。」
と呟くとブラドーグの後を追って部屋を出ていった。
ーーー◇◇◇ーーー
時間は少し遡り、場所は変わって、ここは天界。
アラクネの神殿。
子供を殺される前のアラクネの住む神殿はとても大きく荘厳な佇まいを持ち、美しく光り輝く立派な建物であった。
だが、それも今では壁は崩れ落ち、黒々とした蜘蛛の糸が神殿の周り全体に纏い付き、以前の輝きはおろか威厳や美しさは全く無くなっていた。
そんな宮殿の奥にアラクネはいた。
人間の姿をしているがその目は狂気を
その昔、蜘蛛神アラクネはブラドーグの策略により自分達の子供を殺された。
ブラドーグはアラクネ配下のアナンシの自宅で偽物の計画書を発見させることにより、それをまんまとアナンシによる犯行と思い込ませた。
ブラドーグの罠にはめられたアラクネは、怒りの赴くままにアナンシを捕縛し、その娘フェナンシェも追手を使って追い込みをかけていた。
結果、アラクネはアナンシや他の配下の者達を捕まえ、むごたらしい程の拷問をしてアナンシを問い詰めたが、結局、無実の罪を着せられたアナンシは獄死した。
だが、それでアラクネの気持ちが収まるわけではなかった。
毎日が怒りと悲しみの渦巻く気持ちと、陰鬱とした感情が心を支配する日々であった。
そしてそんな2500年というその長い時間がアラクネを狂気の神に変貌させていた。
以前は蜘蛛の神様として自ら生成する美しい糸で編み込まれた生地を使ったドレスを着ていたが、今ではボロボロになった汚い布を身に纏う恐ろしい悪神となっていた。
「おのれフェナンシェ!何故見つからぬ?アナンシと組んで私の可愛い子供達を奪った奴を絶対に許さぬぞ!地上のどこかに潜んでいるのはわかっておるのだ!必ず見つけ殺してしまえ!」
事実を知らされないままアナンシを捕らえ、処刑し、逃げたフェナンシェにも追手を差し向けた。
最初は事件の真相を知るためであったが、今では未だに捉えられないフェナンシェを捕まえ命を奪うことこそがアラクネの生き甲斐となっていた。
そんなある日の事だった。
アラクネのところに客が1人やって来た。
『おーおーエラいことになっておるのぉ。』
暗いアラクネ神殿の中に入ってきた者がいた。
普通の声ではない。
アラクネの頭の中に思念波が響く。
アラクネのいる神の間には、今は護衛も誰もいない。
荒れたアラクネが壊した壁や柱の残骸があちらこちらに転がり足の踏み場もない状態となっていた。
その侵入者はそれら残骸をヒョイヒョイと軽い足取りで飛び越え、アラクネの前までやって来た。
「何者じゃ?」
アラクネが薄暗い部屋の中に立つ侵入者を目を凝らしながら見る。
よく見ると龍のような兜を被った奇妙な出で立ちで、敵意が感じられないが今までに見たことが無い奴だ。
『久しぶりじゃのアラクネ。』
アラクネはその者から放たれた思念波と気を再び感じ取った。
最初は遠い記憶の中に薄っすらと感じていた懐かしいモノが脳裏を刺激し段々と過去の記憶を取り戻していく。
そして次の瞬間、アラクネの目が大きく見開かれる。
「お、お前は…イグナートか?!」
記憶を蘇らせ、その余りにも懐かしい気配にアラクネは驚く。
というのもアラクネは、自分が地上世界へ逃げたフェナンシェ達の捜索をイグナートへ依頼していたのだが、彼はその後に発生した始祖の魔王ヴァルキリスとの戦いにより命を落としたと聞いていた。
アラクネは自分がイグナートを地上世界に送り込んだせいで、ヴァルキリスとの争いに巻き込まれて亡くなったと責任を感じていたこともあり、妙な感覚が彼女を包む。
その後、しばらくの沈黙があり、アラクネが最初に声を出した。
「あ、何から話せばいいものか…お主には悪いことをしてしまったと詫びればいいのか…お主、死んだと聞いてたが生きていたのか?」
『ああ、なんとかの。』
アラクネは目の前にいるイグナートの変身体を前にしてあることに気付いていた。
それはその目の前の龍兜の人物にイグナートだけでないもう一つの魂の存在が確認されたからに他ならなかった。
それは、まさにベリルのことであった。
「は、はじめまして。」
ベリルがドラゴンマスクの姿のままアラクネに挨拶をした。
「まさか人間か?!」
『そうじゃ、ベリルという者だ。』
「そういうことか、で?以前とは姿が違うようだが……ん?これは『魔石渡り』か?」
『正解だ。』
アラクネは、一瞬でイグナートの魔石渡りを見抜く。
「憑依を使わないところを見るとお主、この者が相当気に入っているようじゃな?」
『まあな。』
「それで?お主がそんな状態になってまでここにくる理由とやらを聞かせてもらおうか?」
アラクネはここ何百年と動かさなかった表情を緩めニヤリと笑う。
『お前の
イグナートの言葉にアラクネは心臓を掴まれたような驚きの表情を見せたあと、憤怒の形相となった。
「か、仇、だと?」
仇という言葉に心当たりは一つしか無い。
アナンシの娘のフェナンシェだ。
2500年間探し続けていた仇を龍神イグナートが探し出したというこの言葉にアラクネの心が躍る。
「どこだ!?どこにいる?!!奴を殺したのか?」
はやるアラクネの気持ちに告げられたのは意外な名前だった。
『見つけた仇の名はブラドーグという奴だ。』
「は?」
アラクネは当然ながらフェナンシェのことを探し出したという報告をされるものだと思っていた。
だが、違った。
『お前の子供を殺した本当の仇は現世魔王『ブラドーグ』。奴はお前の子供を殺した後、その罪をお前の配下のアナンシに着せ、まんまとアナンシを亡き者にすることに成功し、お前の全てを奪い去った張本人だったのだ。』
「ブラドーグ?は?……な、何を言っているのだ?お前は?」
2500年という長い年月の間、仇と思っていた存在が全く違っていたという報告に心を乱される。
そして、アラクネの頭の中が整理出来ない状態でパニックとなる。
「イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ!そんなことはありえない!?まさか、そんな!?」
アラクネの心の中に様々な感情が流れる。
子供を殺され、激情にかられ、アナンシの部屋にあった計画書の真偽をきちんと確かめもせず、怒りの赴くままにアナンシを捕らえ、彼女の無実の訴えを聞くこともなく無慈悲に拷問を与え続けて殺してしまったこと。
自分の配下や親友の龍神イグナートに依頼し、アナンシの娘フェナンシェにも共犯者として追い込みをかけ、真実を知らないまま2500年間という長い年月を無駄にしてしまったこと。
イグナートはアラクネにこれまで知り得た今回の騒動の経緯を詳細に説明した。
「わ、我は何ということをアナンシにしてしまったのだ……フェナンシェにも…うぅぅ…」
枯れ果てたと思っていたアラクネの目に大粒の涙が溢れて流れ落ちる。
後悔ばかりがアラクネの心を攻め続ける。
そんな、アラクネにイグナートが優しく声を掛ける。
『アラクネよ…今更なんだが、そのブラドーグが地上界のサイズ王国という国にいる事がわかっているんだが……』
イグナートがそこまで言ったところでアラクネが返事した。
「イグナートよ!私がこのまま黙っているとでも思っているのか?どうか案内してくれ、もう大丈夫だ。アナンシやフェナンシェにした罪を償うためにも、業を背負って私は戦う。」
それまで怒りと憎悪によって醜悪な顔となっていたアラクネの顔が憑き物が落ちたようなスッキリとした表情となっていた。
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