第32話 フレイ山脈の悪魔と不審者の正体
「ベリルさん、フレイ山脈には恐ろしい魔物が住んでいるという話を聞いたことはないですか?」
ベリルは食後の水を飲んでいたところ、ミロからいきなり変な話題を持ちかけられた。
ちなみにこの世界では食後にコーヒーや紅茶のような飲み物は贅沢な嗜好品とされているので一般庶民には口には入らない。
飲むのは水だ。
「ああ、『フレイ山脈の悪魔』の事ですか?」
ベリルも最近耳にした情報を口にする。
と言っても聖龍の知識である。
フレイ山脈…サイズ王国とフレイルシュタイザー王国との境界の南部地方には両国を二つに分断するかのごとく、南北にそびえる巨大な山脈がある。
また、その山脈のそれぞれ東西の裾には魔物が闊歩する広大な森が広がっている。
そのため、両国間を行き来するためには山脈の北部となるフリークス領とノーフォレスト領の間にある街道を通るのが唯一の手段と言えた。
その更に北側には『聖龍の森』が広がっているのだが、フレイルシュタイザー側から『聖龍の森』に入ろうとするのであれば、その手前にある凶悪なオークの森に入らなければならないため、両国もそこにはあえて立ち入らないようにしている状態だ。
ちなみにベリルが倒したオーク達もこの森から流れてきていたものであった。
その昔、両国はその唯一通れる場所をめぐり、支配権を争って戦争をしていたが、最終的にサイズ王国が勝利し、そこに砦を築いた。
現在はフリークス家がその地を管理支配している状況であり、現在は友好国となっているとはいえそのような経緯があるのでフリークス家にとってフレイルシュタイザー王国は気が抜けない国と言えた。
「ええ、そうです。フレイの山中に恐ろしい魔物が住んでいるとかで、今までに何人もの冒険者が入ったり、王国の討伐隊が編成されたりもしたらしいんですけども、未だに討伐がなされていないという話なんです。」
「そうなんですか…私は最近になってその話を耳にしたんですけど、その話が、いつ頃から出ていたのか興味があったんですよ。」
先にも述べたがベリルはその話を聖龍の過去の知識により得ていた。
だが、現在の詳しいことはあまり知らなかったので、実際にギルドの冒険者や国の討伐隊がその様な状況になっているとは知らなかった。
「この話が話題になり始めたのは今から100年ほど前からの事で、フレイルシュタイザー王国が山脈を越えてサイズ王国に侵攻してこないのはこの魔物がいるからだとも言われているのです。」
「ひっ、100年前からですか?」
流石にベリルもこの魔物話が100年前から続いているとは思わなかった。
「まあ、山脈に入る前には、両国ともそれぞれ魔物の森を通らなければならないのですが…そして、その森を抜けたとしても山脈の頂上付近にはそれらの強さを遥かに超える『フレイ山脈の悪魔』と呼ばれる魔物がいると言われています。まあ、普通ならここを通ろうなんて人間はいないでしょう。」
「ミロ様はどうしてそんな話を僕に?」
ベリルはミロがそんな話をする理由が気になった。
「最近の話なんですが、御師様から『フレイルシュタイザー王国がフレイ山脈を越える手段を手に入れたのではないか。』と以前仰られていたので…」
「それって…魔物を討伐したとか…操る事ができたとか?」
「いえ、それは無いでしょう、そもそもそんな力がフレイルシュタイザー王国にあればフリークスどころかサイズ王国へ簡単に攻め込む事が出来ますからね。」
「た、確かに、では…上手く魔物を避ける方法を見つけたとかですか?」
「ええ、もし、それが可能ならば、フレイルシュタイザー王国は国境のどこからでもサイズ王国に戦争を仕掛けることが出来るということです。」
「そんな…」
「その話が本当となると、現在の混乱したサイズ王国の国情はフレイルシュタイザー王国にとってサイズに攻め入る格好のネタになります。」
「た、確かに、」
ベリルがその話を聞いて唾を飲む。
「そして、その混乱の原因がフレイルシュタイザー側の人間に人為的に起こされたものであるとすればどうします?そして、それらの情報がフレイルシュタイザー王室側に逐次流されているとすれば…」
「まさか!?そんな事をされれば攻め込む機会が相手に筒抜けになるじゃないですか!」
「そうです。恐らくはあの大魔導士トニーは王子の派閥に雇われたのではなく、既にフレイルシュタイザー王国に雇われていたのかも知れません。所謂『二重
「それは、トニーがスパイだという何か根拠でもあるのですか?」
「ええ、普通、大魔導士級ともなればめったに人間との争いに魔法を使うことはありません。魔法を行使するのは人間に脅威となる魔物、例えば『フレイ山脈の悪魔』等の強大な存在に対してその力を発揮する時、つまり、人間に迫る脅威の存在にその力を行使するのが本来の大魔導士の宿命なのです。ですが、トニーは今回、単なる王族の争いにその大きな力を使っています。御師様も当然気付いておられるとは思いますが、これは非常にサイズ王国が危険な状態に置かれていると思わなければならないと判断せざるを得ません。」
ミロは自分の推察がこれまでのあらゆる事象に符合する事に恐れを抱いていた。
また、それだけでなく、最悪の想定もしていた。
それは、フレイルシュタイザー王国だけではない何か大きな存在がトニーを操っていたのではないのかと…
「ミロ様はこの後、どうされますか?」
「えっ?!この後ですか?」
ミロはベリルからそう聞かれて戸惑う。
『フレイルシュタイザー王国の王都』に探りを入れるか、現在の『フレイ山脈』の状態を確認するのか。
「僕はカーシャさん達を見張っているという不審者を捕らえてみるのはどうかなと思うのですが?」
「不審者を?」
「ええ。」
「でもどうして?」
「私達を狙っていた者達の事もありますので、カーシャさんやベン達の事も狙っているのではないかと…あと、そいつらの正体も知りたいですし…不審者を捕まえて…つまり手近な所から情報を手に入れて対策を練っていくのも良いのではないかと思いまして。」
ベリルの話を聞いてミロも納得したのか頭を縦にふる。
「…なるほど、そうですね。王都に行くにしても、フレイ山脈に入るにしろ、時間が掛かりますし、私達を襲ってきた者がその不審者の仲間であれば、今度はその理由も判るでしょうし。わかりました、では、そうすることにしましょう。」
前回はベリルが巨大な隕石の魔法で全員を殺してしまったので、話を聞くことが出来なかった。
なので、今回はベリルがドラゴンマスクの『不可視』『認識不可』という、『気配隠蔽』の上位スキルを使ってその不審者の正体を暴くという事になった。
先ずはミロがカーシャの泊まっている宿屋に物売りの姿に化けて訪れて連絡をとった。
そして、カーシャ達にはしばらく、この地に
「わかりました。では、私達はミロ様の仰られる通り、この地でしばらく滞在させてもらいましょう。」
カーシャは物売りに化けたミロにそう返事する。
ベリルの正体は知らされていないが、ミロの事はアンジェから聞かされて知っている。
「ヒューノ様にも手伝って貰いましょうか?」
「いえ、それはベリルさんに任せていますので。ヒューノ様にはその旨を伝えて頂くだけで結構ですから。」
「そうなんですか、ベリルさんて、そんな能力があるのですか?」
「ええ、まあ、アンジェ様が選ばれた方ですから。ははは。」
「そ、そうですね、まあ、アンジェ様が選ばれた方ですものね。流石アンジェ様です。おほほ。」
流石のミロもベリルの正体がドラゴンマスクだとは明かせない。
だが、カーシャもそこはアンジェの特殊な力をある程度知っているので、アンジェに選ばれたベリルにも何かしらの能力があるのだろうと別の意味で納得していた。
「では、よろしくお願いします。」
そう言ってミロは宿屋から出て行った。
ヒューノもその姿を宿屋の二階から確認していた。
「大丈夫かな?いくらベリル君の能力が優れているとはいえ、相手はプロのようだからな。」
ヒューノがカーシャに言うと、
「そうですね、でも、ミロ様はあの大魔導士ガルファイア様の御弟子様ですから…」
「うーむ。彼等がどれ程の力を持っているのか目にした事がないので何とも言えないが…少し心配だな。」
ヒューノが街中に消えていくミロの後ろ姿を見ながら呟いた。
「それよりも、相手に私達がこの街にしばらく滞在する事を知らせて油断させなければならないわね。」
「それならば、ちょうど、例の奴が下の食堂にやって来ているぞ。」
「えっ?そうなんですの。それならちょうど都合が良いですね。ベンさんとお昼にします。」
「わかった。私は少し宿屋を離れ、奴等に隙を見せるとしよう。まあ、索敵は外さないがな…」
そう言いながらヒューノがニヤリと笑う。
「お願いします。」
カーシャがそう言って頭を下げるとヒューノは部屋から出ていった。
カーシャがベンを伴って宿屋の一階にある食堂に降りてきた。
二人はわざと自分達の様子を見張っている者の隣のテーブルに座ると、少し遅めの昼食を取るという感じで、料理を食堂のウエイトレスに注文する。
「いやぁ、参りましたねカーシャさん、注文の品が届くのが延びるなんて。」
「そうですね、仕方がありませんがしばらくはこの宿に延泊しなければならないですね。」
カーシャは既に事情をベンに説明しているため、ベンも日常会話に交えて、その者に聞こえる様にしばらくこの宿屋に逗留する事を臭わせる話した。
それを聞いた見張りの者はスッと席を立ち食堂を出ていった。
それを見送りながらベンが眉を上げる。
「あれで良かったんですか?ベリルと…ミロ様でしたっけ?捕まえるとか言ってましたけど?ミロ様は良いとして、ベリルは村でケンカもしたこと無いんですけどねぇ、そんな奴に人を捕まえたり出来るのかな?」
「まあ、大丈夫でしょう。聞くところによるとミロ様は大魔導士様の御弟子さんだと聞いていますから。」
「へぇ、そうなんですね、じゃあ安心だ。」
ベンはカーシャの言葉を聞くとウンウンと頷きながら注文した料理を口に頬張った。
ベリルとミロはカーシャ達が泊まっている宿屋の食堂から出てくる不審者の後を付けていた。
体つきは痩せているようだが、その者は食堂にいたときから頭からスッポリとフードを被っているので男なのか女なのかさえわからない。
ただ、その動きの所作や隙の無さ等からかなりの手練れであることは感じ取れた。
街の繁華街を抜け、寂れたスラム街に入る。
ゴミの腐敗臭が辺りを漂い、路上では乞食が路上に座り込み、柄の悪そうな男達が昼間だというのに働きもせず街角で何やら怪しげにヒソヒソと話をしている。
それらの者たちの前をベリル達が通っていくが誰も彼らに気付く様子はなかった。
『不可視』や『認識不可』というスキルを使って目立たない様にしていなければ、誰も好き好んでこんな所には入りたいとは思わないだろう。
『ミロ様、あの人一体どこに行こうとしているんでしょうか?』
不審者の後を付けているベリルが思念波で隣にいるミロに話し掛ける。
何故だか知らないうちにベリルは聖龍以外の人間に対しても思念波が使える様になっていた。
恐らくは聖龍と長い間思念波で話をしていく間に体で覚えてしまったのであろうと言うのがミロの見解であった。
『さあ、どこまで行くのか解りませんが…あっ!』
ミロがベリルの問いに答えようとしたところ不審者はスラム街に建つボロ家の一つに入っていくのが見えた。
『行きましょう。』
ミロは飛翔魔法とまではいかないが、『軽身』の魔法を自分の体に掛けると、まるで風船に吊られた様にフワフワと浮くように、足先が地面の上で着いたり離れたりする様な感じとなり、その状態から建物の出っ張りを足場に軽い足取りで、2階の窓際まで跳ね上がった。
もちろんベリルは飛翔魔法で同じく飛び上がり、開いた窓から建物内に侵入した。
彼らの姿が認識出来ないためか誰もこの状況に気付いておらずこの建物の近くにいる人間で騒ぐ様な者は一人もいなかった。
二人が侵入したのは2階にある物置きスペースのような部屋であった。
古びたその部屋にはカビ
恐らく先の不審者は空家に入り込んでいたのであろうと思われた。
ミロが辺りの気配を警戒しながら部屋の中を進み、部屋の出入口の扉を開ける。
すると廊下の端にある階段の方からなにやら話す声がしているのが聞こえてきた。
『下で話し声がする。』
ミロがベリルに伝えた。
ベリルが頷くと、ミロは階段の降り口まで移動し、下の声がよく聞こえる様に『盗聴』の魔法を展開すると、ベリルの耳にも何やら話す声がハッキリと聞こえてきた。
話し声の様子から部屋にいるのは二人と思われた。
ベリルとミロはさらに下の階まで気配消して階段を降りる。
そして、二人は声のする部屋に近付く。
「それは本当か?」
「ええ、先程そう話しているのを聞いてきました。」
ベリルが少し開いた部屋のドアの隙間から中の様子を見た。
話しているのは男ではなかった。
『女?』
一人はこの家に最初からいたと思われる30代くらいの女と、あともう一人は服装からベリル達が付けてきた不審者と思われる女の二人であった。
不審者のフードの下の正体は20才くらいの若く美しい女性だった。
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