断章 マーガレット
1◇来訪者
始まりは、一通の手紙だった。
* * * * *
――マーガレット・ホームズ様。
あなたの噂を耳にして、居ても立ってもいられず筆を取りました。
私の名前はアーサー・ローンソン。あなたの同業者であるグラン・ギニョール社に勤めております。
しかし私は職人ではなく会計士です。そして社内に私の願いを叶えられる者はおりません。
あなたの助けが必要です、ミス・ホームズ。
* * * * *
流麗な筆致からは差出人の教養が感じられた。
そして何よりマーガレットの心を動かしたのは、同封されていた一枚の写真だ。灰茶色の四角の中で、やや緊張したようすの少女がひとり、ぎこちない笑みを浮かべている。
写真の裏には差出人ローンソン氏とは違う筆跡で「十歳になったシャーロット」とあった。
マーガレットは写真の少女としばし見つめ合う。
これは彼女の癖のようなものだ。モノクロのフィルム越しにその瞳の色や、少女がそこに何を映していたかを想像する。
彼女はこの写真を撮ったあと、
――コンコン。
静かに考え込むマーガレットを控えめなノックの音が遮った。何かと問えば、扉の向こうから甥の声で、マーガレットに来客だと返ってくる。
「いいわ、お通しして」
甥のリチャードに連れられてマーガレットの作業部屋に入ってきたのは、三十歳くらいの男性だった。
短く切り揃えられたダークブロンドに、涼しげな切れ長の
そんな彼を見てマーガレットが抱いた第一印象は、とても真面目そうな人、だった。
「はじめまして、ミス・マーガレット・ホームズ。私はアーサー・ローンソンと申します。
……先だって手紙を出したのだが、目を通していただけただろうか」
「ええ、ちょうど今読んでいたところです。どうぞお掛けになって。
ディック、お客さまにお茶をお願い!」
すすめた椅子には素直に座ったものの、ローンソン氏の眼差しには迷っている気配があった。
恐らく手紙は勢いで書いてしまったのだろう。後になって躊躇いが生じたが、すでに出した手紙は取り戻せないから、やむを得ずマーガレットを訪ねたといったところか。
そういう客は他にもいるので慣れている。
むしろまったく迷いがないよりも、このほうが好ましいとマーガレットは思う。
「ミスター・ローンソン、さっそくだけど、あなたのご依頼……シャーロット・ローンソン嬢の
「……いいでしょう。お願いします」
「もし答えられない場合はそう仰ってください。……まず、あなたと彼女の関係は?」
「シャーロットは妹です。五つ下の」
「そう、では、ご存命なら立派な
「いいえ……」
ローンソン氏は俯いて、口許を隠すように手をあてた。
「じつはその……、正直に申し上げると、依頼するかどうかもまだ迷っていて」
「ええ、わかりますよ。そういう方は少なくありませんもの」
「……そうなんですか?」
マーガレットの言葉に顔を上げた彼の瞳には、小さな光が溜まっていた。
それを見て、改めて思う。――やっぱり。とっても真面目で、そしてとってもまっすぐな人だわ。
「恐らくあなたはわかっていらっしゃいますね。
……写し人形というのは、あくまで故人の容貌に似せているだけ。当然ながら別人です。
エニグマレルを組み込めばさらにそっくりな言動をします。ですが、できるのはすべて『再現』であって、そこに故人の記憶が備わるわけではありません」
「つまり、シャーロットが帰ってくるわけではない……」
「そういうことです。……ときどき、黒魔術や降霊術で本人の魂を入れるための器としてご所望される方もいらっしゃいますが、そういうご依頼はお断りしています」
必要はなさそうだったが、念のため釘をさしておく。あなたはそうではないでしょうね、と。
それを
ならばなぜ、写し人形などという感傷的な商品を看板に掲げているのか。
それは単に他に稼ぐ手段がないからだ。マーガレットの技術力と実績であれば、どこの製造業者に務めても充分に働けることを自負してさえいるが、まだこの国は女の技術者を社会に入れる準備が整っていない。
とはいえ戦争に平行して世間ではますます工業化が進み、個人事業はやりづらくなった。ましてそれが女となるとなおさらに依頼などこない。
未婚でコネも伝手もない女人形師がとれる手段は限られていて、その中で写し人形を専門とするのは比較的ましな部類だ。とりあえず好きでもない男に媚を売らずに仕事が得られる、という意味では。
時代が時代であったから、主な客は亡くなった兵士の家族たちだった。
死んだ人は帰ってこない。そのうえ命を落としたのが戦場ともなれば、遺体が戻らないこともある。
近年は兵器の威力も増したためにふた目と見られない姿に変わり果ててしまっていたり、あるいは敵軍の捕虜になったのを見たのが最後だった、という人もいた。
……マーガレットの弟、つまりリチャードの父親もそうだった。
しかも彼の妻もまた、看護婦として戦地の病院に赴き、戦闘に巻き込まれて死んでいる。
孤児となった甥を養うためにもマーガレットが稼がなくてはならなかった。結局リチャードも人形作りを学びたいと言い出して、その学費を貯めるべく路上で靴磨きや使い走りなんかをするようになってしまったが。
「私はその手の人間とは付き合いがありません。それに、単に顔の似た人形が欲しければ、個人的に頼める人形師なら社内にもいます」
「……手紙で仰っていましたね、願いを叶えられる者はいないと」
「ええ。……あなたの写し人形でなければ意味がない」
ちょうどそこでリチャードが入ってきて、慣れた手つきでテーブルにティーセットを並べ始めた。
「どうぞ、ミスター」
「ありがとう。……あなたは結婚はされていないと伺ったのだが」
「この子は甥です。私にも弟が
「そうでしたか。いや……失礼なことを訊いてしまった、申し訳ない」
「お気になさらないで、そういう時代ですもの。……でも、あなたのシャーロットはそうではなさそうですね。生きていれば二十代半ば、でも写真は十歳の誕生日に撮られたこれ一枚きり……」
「……身体が弱い子でした」
聞き耳を立てたそうなリチャードに「出て行きなさい」と視線で諭す。
故人の話はマーガレットと依頼人の間だけで聞く決まりだ。まだ人形師でもない甥を正式な助手にはできないので、同席も許していない。
リチャードが出て行ったのを、廊下を遠のく足音まで確認してから、マーガレットは続きを促した。
アーサー・ローンソンの妹シャーロットは、生まれつき病弱だった。物心つく前から複数の病をその身に抱えていて、自室からもほとんど出られなかった。
とくに肺の病が深刻だったので、両親は彼女のために空気の良い田舎に家を建てた。
だから兄妹は、丘の上に青空の広がる美しい村で育った。
たまに調子のいいときだけ妹を外に連れ出した。そよ風の匂いを嗅いで、咲き乱れる季節の花々に触れるほうが、湿ったベッドに寝たきりでいるよりずっといい。
花畑で髪をなびかせていると、シャーロットはまるで絵本に出てくる妖精のようだった。
アーサーは妹と違って健康で丈夫な身体に恵まれた。けれど妹に付き合って家の中にいることのほうが多く、学校に行けない彼女に勉強を教えていた。
ならば自分がまず理解していなければならないと、誰より熱心に授業を受けていたせいか、自身の学業成績はとてもよかった。
ところがそれが災いして――妙な言い回しだがローンソン氏はそう言った――推薦入学の話がきた。全寮制のいわゆる名門校で、条件次第で学費も全額免除にできると言われれば、これを断る理由はない。
けれどシャーロットは、兄が家を出ることを悲しんだ。
もう帰ってこないんでしょうと言って泣いた。
「もちろん休暇には必ず帰ると約束しました、でも……シャーロットにはきっと、わかっていたんです。それまで持たない……自分はもう長くはないんだと……」
兄は泣きじゃくる妹を田舎に置き去りにしてしまった。
なぜならアーサーは、都会で学んで立派になれば、シャーロットを病から救う手段があると信じていたから。
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