16◆照らされるもの

 ストローによるパペットへの尋問を、クワイエットは黙ったまま最後まで見守った。

 その内心は穏やかとは到底言い難いものだったけれど。


 同じ人形として、主を求めるストローの感情は理解できる。持たされたはずの本来の役目を見失って、何十年も埃に塗れながらこの廃屋を動かずにいたのを、最初にこの眼で見てもいる。

 いくら身なりを直しても、心身が健やかな人間と交流を重ねても、彼女が抱えた悲哀は変わらなかったのだ。

 クワイエットも形は違えど主を失う経験をしているから、痛いほどにわかってしまう。


 それに今のストローの行動が歪んでいるとわかっていても、彼女を止める言葉をクワイエットは持っていない。


 捨てられた。それだけで充分に人形は狂える。

 心臓を血に染めるまでもなく、自らの悲鳴でそれをひびだらけにしてしまえるのだ。

 彼女を見ていると、そう思う。


「……行き先は決まった。けれど森は少し厄介ね……私も立ち入ったことがないし、あの中がどうなっているかまったくわからない」

「い、行っちゃだめだよ……? しゃちょー、お外の人キライなの。すぐ怒るの」

「それは人形相手でもそうなのかしら」


 ストローは言いながらどこかに行ったかと思うと、腕に手提燈ランタンを抱えて戻ってきた。その表面は元の色がわからないほどすっかり錆び付いている。

 光源に蝋燭を使う種類のようだが、中に残っていたそれらしい物体は、もはや元の形がわからないほど溶けきって使えそうもない。


「……ちょっと待ってストロー、まさか今から森に行く気じゃないでしょうね」

「そのつもりだったけど、蝋燭の替えがないから……今夜は無理そう」

「当たり前よ! ただでさえ危ないのに、そんなランタンひとつで夕方に行くもんじゃないわ。それにだいたい誰がパペットを見張るつもりだったのよ」

「あなたに留守番を頼もうかと」


 冗談でしょうと叫びたくなる。

 何が悲しくて明らかに理性的でない友をひとりで狂人の巣穴に送り込み、自分は頭の痛くなりそうな子どもの相手をしなければならないのだ。引き受ける理由がひとつもない。

 絶叫の代わりにかぎりなく大きな溜息を吐いて、クワイエットはランタンを奪い取った。蝋燭がなくてほんとうによかった。


「このひどい錆びもどうにかしなくちゃダメよ。こんなぼろじゃ持ち手が腐ってるかもしれないし……あんた中身は藁なんだから、火の扱いには気をつけなさい」


 それを聞いたストローがちょっと驚いたような顔をする。


「木だって燃えるでしょう」

「それでも藁よりは形が残るわよ。とにかくこの話はもう終わり!」


 クワイエットは念を入れて、ランタンを自分の寝床――厳密には眠らないが、夜の休息時間をすごす場所として決めたゆりかごに持ち込んだ。ストローが自分の目を盗んでこっそり森に行かないように。

 行くこと自体は止められないから、せめて独りでは行かせたくなかった。


 それにこのランタン、やはり錆でかなり腐食しているようだった。これで使っている間に持ち手が折れでもしたら大変だ。

 ストローはもちろん森の中も燃えやすいものだらけで、下手をすれば森林火災だってありえなくはない。

 錆び落としの薬剤はここにはないし、もうこれは鉄クズとして処分するべきだ。代わりのランタンは明日パペットを返すついでにリチャードから借りよう、と考えて、クワイエットは眼を閉じた。


 人形は眠らない。

 ただこうしてじっとするだけ。人間の真似ごとにすぎないけれど、体内の傀儡石のエネルギーは節約される。


 だから何十年と稼動していても、その間ほとんど廃屋を動かなかったストローには、まだ残量がある。

 彼女の孤独は終わりが見えない。それに最後まで付き合うわけにはいかないことも、わかっているのに見切りをつけられないのは、クワイエットの甘さだろうか。




 ・・・・*




 かたかたかたかた。かたかた、がたん。

 歯車が噛み合う音がする。


 夕焼けの燃えるような赤が、窓から部屋の中に忍び込もうとしている。貴重な本が日焼けしてはいけないからと、彼は急いでカーテンを閉めた。


 ジャケットは最新流行のツイードで、丈も彼の長身にぴったり合わせて仕立てている。ぴかぴかのカフスボタンは特注だ。

 襟にはボウタイ、その上に載った顔はつるりとなめらかで、彼の社会的地位の高さを示していた。


「……さて、あの子はどこに行ったかな?」


 彼はぽつりと呟いた。


「私の娘はいったいどこに?」


 歌のように節をつけて言いながら、彼はきょろきょろと室内を見回した。


 部屋の真ん中にはテーブルと椅子。壁には大きな本棚があって、そこには古今東西の珍しい書物がぎっしりと詰まっている。

 後先を考えずに買い集めてしまったので、入りきらずに少しばかり床に置かれた本もあった。


 あと目につくのは大きな姿見だろう。使用人が毎日丁寧に磨いているのでくもりひとつない。

 彼はそこに映った自分を見て、少しだけボウタイの位置を直した。


 きれいに撫でつけた髪はまっすぐなブロンドだ。瞳は黒く、知的な光が灯っている。

 鏡の向こうから微笑み返してくる麗しい青年が自分自身とは少し信じられないが、手を挙げてみれば向こうも同じように動く。間違いなく彼は自分だ。

 姿見は外国製の立派なもので、こうして金メッキの豪奢な枠に囲まれていると、まるで自分が絵画になった気分になる。


 機嫌を良くした彼は鏡を離れ、探しものの続きを始めた。

 この部屋は広い。角を順番に見ていかないと、隅から隅までは見渡せない。


 かたかたかた、かたかた、かたん、かたん、かたかたかた。

 歯車が鳴っている。回転は今日も順調で、まだしばらくは油を挿す必要もなさそうだ。

 かたかた、かたかたかた。


「かわいい、かわいい私の娘は、……あれ? 女の子だったかな?」


 一つ目の角を覗いた。見上げるほど大きな本棚は天井にまで続いている。

 その地面には山積みの本があって、彼らを仕舞うための新しい本棚をちょうど手配中だ。


 本の陰を覗いたけれど、そこに求める姿はない。


「まあどちらでもいいか。さあさ、どこにいるのかな?」


 次に二つ目の角を覗く。そこも本棚があって、やはり足許には書物が山積みになっている。

 いくらなんでも買いすぎた! どうして先に本棚を買わなかったんだ? ――などと彼は思ったが、その本の瓦礫から白い手が覗いていることに気付いてそれどころではなくなった。


 駆け寄り、慌てて本を退ける。

 しかし、そこに埋まっていたのは探していたものではなかった。ただの人形のパーツだ。


 やれやれと肩を竦める。早とちりで良かったと思うべきか、こんなものをここに散らかしたままでいたことを怒るべきか、いや、今はそれより探しものを続けなければ。

 人形はあとで下男に片づけさせよう。


 彼はそれを踏まないように避けて、三つ目の角に向かった。


 そこには椅子に腰かけた女性がいた。彼女の膝には柔らかい毛布がかかっていて、その上に一冊の本を載せて、両手は行儀よく重ねてある。

 彼女はぴくりとも動かなかったが、まぶたはぱっちりと開いていた。

 その眼窩には美しい天空の色をした硝子玉がふたつ。つるつるのきずひとつない眼球の上を、そばの燭台の明かりがてらてらと滑る。


「私たちの娘がいないんだ」


 彼は彼女に向かってそう言った。

 すると、彼女はゆっくりと顔を上げた。


「まあ、大変。ほんとうにいなくなったのはあの子なの?」

「ああダーリン、我々の愛娘だよ。あのかわいい……」

「女の子よね?」

「え? いや、それはわからないけど……ああ、違うな、たしかにきみの言うとおりだ」

「とりあえず、たくさんいるに頼んでみたらどうかしら?」

「わかった、やってみよう。きみはここで待っていて。何かあれば煙出しスモーカーに言えば、彼はなんでもしてくれる。

 ……そう作ったからね」


 彼がそう言うと、女性は静かに頷いて、眼を閉じた。


 ふり返るとテーブルがあった。その上にはケーキが一切れ置いてある。

 ちなみに皿は王室御用達の窯元のもので、ティーセットはもちろん食器はすべて同じ銘柄ブランドで統一している。彼のお気に入りだ。

 彼は少し考えてから、ケーキを手に取った。


 そうして彼は四つ目の角を見ることなく部屋を出て行った。

 扉が閉まった直後、ぐずぐずになった飴色の蝋が燭台から滴って、テーブルクロスに落ちた。



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