14◆造物主(にんげん)と被造物(にんぎょう)

 台所を片付けるついでにぴかぴかに磨き上げ、クワイエットは満足して息を吐いた。そしてそれを自分でも人間じみた仕草であると思っていた。


 材質や機巧の精度を上げれば上げるほど、つまりは制作に金と時間をかけるほどに人形は人間に近づいていく。

 そのうち両者の違いなんてわからなくなるのかもしれない。だとしてもクワイエットは、自分が人形であることへの矜持を捨てたりしないだろう。


 世の中には人間のほうが人形よりも偉いと考えている人間が大勢いる。人形はあくまでも人の手による被造物であり、存在意義を与えるのもまた人間なのだから、理屈はわからないでもない。

 だがそれを口にする権利があるのは人形師だけだろう、というのがクワイエットの考えだ。自分は人形のことなど知らないくせに、人間であるというだけで無条件に威張る輩など、相手をしてやる価値もない。

 あの警官はまさしくそういう人間だった。


 しかしリチャードは真逆だ。彼は人形を作ることができる人間で、それも極めて高い技術の持ち主だというのに、彼自身に驕りや尊大さはまったくない。

 そして物腰柔らかく温厚でありながら、人形に対して横暴に振る舞う警官に対しては驚くほど厳しい態度を見せていた。それこそクワイエットが少々異常だと感じるほどに。


 庇う相手があのパペットでなかったら、まだ少しは理解できるのだが。


「……考えても仕方がないわね」


 無用な思考を断ち切るように、クワイエットはぱっと踵を返した。

 それよりこれからのことを考えなければいけない。ストローはたぶんグランなんとかいう製造業者の調査を続ける気だろうし、現状その手がかりと言えるのはパペットだけだ。

 そういえば彼女が警察でどんな話をしたのか、まだ聞いていなかった。


 居間に戻るとパペットがマントを着せられているところだった。復元したときに着せていなかったので、三つ編みにされたキャラメルブラウンの後ろ髪も出しっぱなしになっていたが、ストローはそれを丁寧にフードの中に押し込んでいる。


「これでよし……あら、キュー。やっと片づけが終わったのね」

「何か待たせてたのかしら。で、何やってるの?」

「帰り支度。しばらくの間、この子を私の家に連れていくことにしたから」

「あたしは構わないけど、いいの? あんたがじゃなくて、警察の連中が。帰されたのってリチャードが監視する前提なんだと思ってたわ」


 大人しくされるがままだったパペットが、そこでなぜかビクッと肩を震わせてクワイエットを見た。


「そのとおりよ。だからリチャードさんから依頼された体にする。詳しくは道中で話すから、早く帰りましょう」

「こ……も、いっしょ?」

「パペット、彼女はクワイエットよ。あなたが悪さをしなければ彼女も怒ったりしない。だからくれぐれもいい子にね」

「わかった……」


 どうやらパペットの中ではクワイエットが恐怖の対象になっているらしい。一度ばらばらに分解されたのが多少効いているようだ。

 怖いやつ呼ばわりには少しムッとしたが、それでパペットが大人しくなるならいいかと思い直し、クワイエットは怒気を懐に仕舞い込む。


 リチャードとテディに挨拶してから三体は外に出た。

 まだ陽は高いが、南西の空を薄黒いものが覆っているせいで、なんとなく街全体が砂色サンドベージュの影に沈んで見える。あの一帯は大きな河沿いに工場が多く並んでいて、排気されたガスでいつもこうだ。

 時間とともに風がそれを北へ東へと運ぶので、夕方になるとジュディ通りでも空が濁ることがある。


 嗅覚の弱い人形たちは人間ほどガスの臭いに悩まされることはないが、ひどいときは身体や衣装が汚れるので、暗雲に追いつかれる前に急いで帰った。

 その道すがら、クワイエットは先ほどの会話の続きをストローに促す。


「で、どうしてパペットを預かる気になったわけ?」

「ほんとうは少し違うの。彼女にも調査に協力してもらう必要があって、ただそれをリチャードさんの前では言い出せなかっただけなのよ」

「……どういうこと?」

「どーゆーことー?」

「彼には、まだパペットが安全とは言い切れないと言ってある。だから何かあったときのために私の呪具をひとつ仕込みたい、それは廃屋にあって私にしか扱えないから一旦連れて帰る……と。

 それ自体は嘘ではないのだけれど」


 そこでストローはなぜかパペットと手を繋いだ。パペットはきょとんとしながらも、とくに疑問を抱いたようすもなくそれを受け入れる。

 相棒から目配せを受けたことに気づいたクワイエットも、パペットの反対側の手を摘み上げた。

 傍から見れば、かわいらしい人形の少女たちが三人並んで手を繋いで歩いている、そんな微笑ましい光景だ。だがその内情はけして穏やかなものでないのだと、ストローの表情が伝えていた。


 普段から彼女はほとんど微笑まない。いつも遠くを見つめる眼をして、どこか寂しそうな顔をしているのは、自分を捨てた主人のことを考えずにはいられないからだろう。

 だが、今はそれよりむしろ――何か思い詰めたような、あるいは、獲物を前に飛びかかる瞬間を測っている獣のような凄みがあった。


「ほんとうは……パペット、あなたが嘘を吐いていると、リチャードさんの前で言えないからよ」


 その瞬間、繋いだ手がぎくりと強張るのを感じたが、クワイエットは努めてそれを離さなかった。


「う、うそ、つい、てない」

「そんなに動揺できるなんて、やはりあなたは見かけより性能がいいのね。……何も責めようというわけではないの。むしろ私としては、褒めたいくらいよ」

「え……」

「あなたが警察にすべて話していたら、彼らに何もかも先取りされてしまったから。逮捕されてしまったら接触が難しくなる。

 ねえ、パペット。あなた、ほんとうはグラン・ギニョール社がどこにあって、社長が誰かも知っているのでしょう。もしかしたらその人があなたの造物主ドール・メイカ―かしら。

 けれど警察に正直に言えば案内させられる。主人にまた会うのが恐ろしかったか、そこに戻ること自体に耐えられなかった、それで何も知らないふりをした――違う?」


 普段物静かなストローにしてはひどく饒舌だった。彼女のこんな姿を見るのは珍しいし、その理由を察せてしまうクワイエットは、正直あまりいい気分にはなれなかった。

 ただ、言い分はわかる。

 狂っていたときのパペット、あの凶悪な牙でクワイエットの強化繊維すら噛みちぎった怪物が、自らを「自由なお人形」と評したのを覚えている。自由という単語だけでもあの一戦の間に何度も耳にした。


 それが示すのはつまり、このパペットは狂人が街に送り込んだ殺戮兵器なのではなく、自らの意思でそこから逃げ出してきたということだ。


 人形は本来人間に所有されるために作られ、それを自らの本能として持たされている。変質エニグマレルで異常化していたときはともかく、石を交換して落ち着いた現在は、誰かのもとに身を寄せたいと願うのが人形としては自然なのだ。

 そして今はリチャードの所有物になっているが、本来の製作者が現れたなら、改めてパペットの身請け先を人間たちが協議するだろう。

 つまり元の主人に返還される可能性がある。いや、恐らくその人物は犯罪者として捕縛されるからほぼないのだが、厳しい取調べに圧されたパペットがそこまで気が回らなかったとしてもおかしくはない。


 そして、警察は彼女を見逃した。

 たぶんリチャードが過保護すぎてそうせざるを得なかった。同行しなかったクワイエットですらそうだろうと想像がついたのは、復元時の彼の態度と、それに対する警官の対応を見たからだ。


 リチャード自身は温厚な、どこにでもいるただの老人のように振る舞っているが、たぶん街の人間にとっては彼は一種の権力者なのだ。破壊されたパペットの復元を依頼されたのもそうだし、現役時代はよほど名の知れた人形師だったのだろう。

 人形に無知で高圧的だった余所者の警官でさえ、彼には嫌味なほど敬意を払っていた。恐らく、そうするように上から言い含められていた。


 つまりこの街では人形師の地位が極端なほど高いのだ。

 世界一の人形の街。それを支える人形は、人形師にしか作れないから。


「……怖いの」


 ふいにパペットがぽつりと呟いた。ちょうどそのとき、三体は廃屋に辿り着いた。

 ストローはさっさとパペットを担ぎ上げてその中に入っていく。普段ならそれはクワイエットの仕事だったろうに、一言も告げずに率先して動いたあたり、今日の彼女はらしくない。


 焦っている。あるいは、興奮している。

 さっき口走っていた、『逮捕されたら接触が難しくなる』という言葉からしても、ストローは明らかにパペットの製造者に固執している。あの血まみれのエニグマレルがよほど衝撃的だったのだろう。


 もしかすると、自分を捨てた主人の代わりになる呪術師を求めているのかもしれない。

 諫めるべきかクワイエットは悩んだ。自分は本来の主を捨ててきた身の上だが、その目的は自分に相応しい新しい主を探すためなのだから、本質的には今のストローと変わりない。そうなると、自分も口を挟める立場とは言い難い気がしている。

 ただ絶対にパペットの製造者はまともな人物ではない。それだけは確かだ。


 けれどクワイエットはこうも思う――この世のいったいどこに、正気のまま呪術に傾倒する人間がいるだろうか?



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