06◆再会、あるいは遭遇
誰が呼んだかクワイエット、それは語り部を持たぬからくり。口を借りねば話もできず、いつも黙ってすましてる。
誰が聞いたかクワイエット、それは繰り手を捨てたからくり。指を借りねば手振りもできず、端にちょこんと座ってる。
あたしに見合う役者はどこに?
口下手、不器用、お断り。
・・・・*
子どもが歩いている。たったひとりで、手にしているのは泥だらけの小さなボール。
その瞳には何の光も灯っておらず、何も映さず――どこに、何のために向かっているのか、恐らく彼自身もわかっていない。
ストローは素早く少年の元に駆けつけて、その肩に触れた。
反応はない。まるでペープサートの動力が入っていない人形のように、その身体に意思を感じられない。
目の前で手を振ってみたけれど、少年は気にせず、糸で繰られたように休まず歩き続ける。
少し遅れて追いついたクワイエットが彼の胴を掴んで持ち上げたけれど、身体が宙に浮いてまでも脚だけがその行動を止めようとしなかった。
「これはなるほど、異常だわ。催眠術か何かかしら」
「ええ。それもかなり強力なもののようね」
「ストロー、あんたってこういうのは対処できないの?」
「無理よ。私の専門は呪術だもの。……仕方がない、この子にはこのまま本丸まで案内してもらいましょう」
クワイエットが下ろすと、少年はそのままふらふらと歩いていく。
その後ろについて歩きながらストローは続けた。
「さっきのだってハッタリ。わかってたでしょう?」
「まあね。笑いそうになったけど我慢したわ」
ストローは手のひらの中で五寸釘を弄びながら、ふうと息を吐いた。
人の噂というのものは、広げられる過程でどうしても誇張や虚飾が混じってしまうものらしい。
ストローが睨んだだけで相手を殺せるなどということはない。ましてやその場にいない、会ったこともない相手を念じて殺すこともできはしない。
人を呪い殺すには、それなりの下準備というものが必要になる。
たしかにストローは、己の身体を傷つけてそれを相手にも反映させるという呪術を知っているし、それを扱うこともできる。
だがそれにも発動のためには条件があって、少なくとも硝子越しに仕込むのは不可能だ。
けれど愛玩人形たちは噂で聞いただけで、実際にストローがその藁人形だと知ったのも今日が初めてだったし、まして呪術の知識などあろうはずもない。
だから彼女たちは自分の顔を破損させられると本気で思い込んで怯えたのだ。
結局それで脅しが成功したのだから、誤解も状況次第で役に立つ。
それに噂が広まっても困ることはない。
いつかその話が、自分を捨てた主の耳にも届けばいいと、ストローは思っていたから。
「……あ、建物に入ってくわよ。工場かしら?」
「エンブレムは掠れて読めないけれど、そのようね。なるほど……この辺りは潰れた会社の工場がたくさんあって、犯罪者が隠れ住むのには良さそう」
「ある意味ここって人形産業の激戦区よね」
クワイエットは言うなり飛び出して子どもの腕を掴んだ。
少年の手からボールが零れ落ちて、地面をころころと転がっていく。
「あんたの仕事はここで終わり。死にたくなければ大人しくしてなさい」
その言葉はやはり彼には届かなかったけれど、クワイエットはそれに構うことなく、どこからともなく幅広のリボンを取り出した。
少年がこれ以上先に進ませられないよう、それで彼の脚を縛り上げて寝かせる。
うつろな表情のまま、無言で脚だけもがいている子どもの姿はなかなか不気味なものがあったが、内部がどうなっているかわからないので、この子を連れていくことはできない。
少年をその場に転がしたまま、ストローとクワイエットは廃工場に足を踏み入れた。
中はひんやりと冷たい空気で満ちていた。
そこに混ざる血の臭いと、かすかだが複数の人の呼吸音もあることに、人形たちはすぐ気づく。
まずはその人間が被害者か犯人かの判断をするために、ふたりは物音を立てないようにしてそっと進んだ。
すでに陽は落ち、近くに街灯もあまりない区域だったこともあり、光源といえば割れた窓から差し込むぼんやりとした月明りくらいしかない。
人形はそれほど灯りを必要としなかったが、それにしても暗かった。
すでにあの歌声はしておらず、その主がまだここにいるかどうかすら定かではない。
ただ、進んだその先に、彼女たちはついに探し求めていた人の姿を見た。
「……テディ!」
思わず声を上げてしまったクワイエットに、ストローはやれやれと肩を竦める。
彼女はこういうところが自分とは真逆で、だからこそ一緒にいると刺激が多くて楽しいわけだが、こういう場面ではちょっと考えものだ。
もはや身を潜める必要もなくなったので、ふたりはテディに駆け寄る。
少年の身体は天井から鎖や革帯などでつるし上げられていた。
まるで拷問を受けているかのような痛ましい姿に、しかも足許やシャツに明らかに嘔吐の痕があったので、それを見てクワイエットが絶句している。
幸い見てわかるほど大きな怪我はなさそうだが、一体何をされたのだろう。
「テディ、テディ……やだ、もう、ひどい顔……ちょっと、死んでないでしょうね? 起きてちょうだい」
泣きそうな声でそう言いながら、クワイエットはテディを下ろそうとしたらしいけれど、鎖も帯もかなり頑丈らしくびくともしない。
そうしているうちに、気絶していたテディがようやく眼を醒ました。
「っ……あ……れ……クワイエットさん……?」
「テディ! 誰があんたにこんなことしたの? そいつの顔は見た? ううん、その前にまずあんたを下ろさなくちゃ……手、手は無事かしら」
「だ、めだ……逃げて」
「キュー、少し落ち着いて。あなたがそれじゃテディが怯えてしまう」
「そうじゃないんだ、ふたりとも、すぐに……ここから、逃げて。あいつは――」
テディが何か言いかけた途中で、ひっと喉を引きつらせたので、ストローはすぐさま振り返った。
自分たちからは離れたところに、何か人影のようなものがある。
暗がりにぼんやりと浮かぶのは桃色のフード。頭の位置からして、攫われた子どもたちと大差ない年齢のように思える。
いや、
「……テディ、あれが犯人? 見たところ私たちと同じ人形ね」
「ああ……だめだ、ふたりは逃げて、あいつは危険なんだ! そこに死体が転がってるのが見えるだろ……あいつ……あいつが食べた……っ」
「なるほど、かなり凶悪なのね。それなら余計に放っておくのは得策ではないし、ましてやあなたをここに置き去りにはできない」
「そもそもあんたを探しに来たんだしね」
ストローとクワイエットが睨みつけると、敵がぱっと顔を上げた。
愛らしい少女の顔は、しかしあちこちに黒っぽい染みがついて汚れている。曇らないはずのシアングラスの瞳すら本来の色が損なわれていた。
笑っているはずの口許にしても、汚れのためか歪に曲がり、三日月の形をしたヒビのようだ。
そいつは身体を左右に揺すると、マントをひらりと翻しながらその場で一回転した。
「あは、あはあはッ、お客さんだぁ。おもてなしをしなくっちゃ♪
それならまずはご挨拶♪
わたしはパペット、かわいいパペット。誰が呼んだか、
ぴょん、と軽やかに跳ねながら求められてもいない自己紹介をしたそいつは、そのままスキップをしながらこちらに向かってくる。
笑顔を浮かべ、声も明るく、友好的な態度ではあるが、それに騙されるストローたちではない。
なぜならパペットが手にしているのは裁縫用の、それも工業機械専用の大きな
「テディを下ろす暇はなさそうね」
「ああ、それなんだけど頼んでいい?
「……そう? なら分担作業にしましょうか」
ストローはパペットに背を向けた。同時に、クワイエットが一歩前に出る。
彼女のほっそりした両腕が胸の前に突き出された。
その状態で右の手首がくるりと回る。指先をぴんと伸ばして、人間ならばありえない方向と速さで。
もちろん人形なら造作もないことで、ゆえに痛みも感じない。
そうしてむき出しになった手首の継ぎ目から、クワイエットは空いた左手で何かを引っ張り出した。
それが月明りを反射して、きらりと光る。
「さて、――物を知らないおバカさんに教えてやらなくちゃ。あたしの人間に手を出したらどうなるかってことを」
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