第72話 鍛錬ーイッサ・コドム(2)




※ イッサ・コドム視点です。

  この世界の単位――時間や月日そのまま、㎏ーキーログラム、kmーキーロメトル、みたいな感じで。





 ――あの子に近づくのは、やめなさい。




 意識が混濁する中、子どもの頃の記憶が過ぎった。もう何時間走っているのだろう。


『じゃあ今から、魔の大森林に向かって全速力で走ってみて』


 長い白髪を揺らして笑顔で言った、新しい褐色の友人に、何故か恐怖を感じた。蛇亜人の彼の舌は長い。


 この体だ。全速力で走れば、百メトルくらいで息が限界まで上がった。彼は隣にすぐに追いついて、息が戻ったらまた走って、と言った。


 あどけない笑顔は、有無を言わせなかった。ギョッとした表情で見返したが、笑顔は一瞬も綻ばなかった。


 ただ頷いて、走った。今度は百メトルももたなかった。


 また蛇亜人は隣に来たが、言うことはわかるだろうとでも言うように、今度は無言だった。


 また息を戻して全速力で走った。数十メトルで終わってしまった。それについては、何も言われなかった。


 今度は八割くらいの力で走ってみた。その方が、もっと早く目的地に、魔の大森林に着けそうだと考えたからだ。


 バン、という音がした。その後で尻に衝撃、一瞬して痛みを感じた。


 後ろを見やると、褐色の脚が上がっていた。蹴られた。


「そうじゃないよ」


 こうじゃないらしい。また頷いて、全速力で走り出した。また数十メトルももたなかった。距離が短いことについては、何も言われなかった。


 何度か繰り返しただけで、意識は朦朧としていた。それでも数十回繰り返して魔の大森林まで辿り着いた。


「じゃあ、タマソン村まで同じように走って。村の柵に触ったら、また魔の大森林まで。陽が赤くなったら終わりね」


 顔を上げることさえ辛く、どんな表情でそんな死刑宣告をしているのかはわからなかった。なんとか顔を持ち上げた時には、蛇の姿は小さくなっていた。速い。


 全力で走った。自分が息が限界になるまでどれくらいの距離を走ったのかさえ、もうわからなくなった。


 また顔を上げて全力で走る。息が限界になるよりも先に、足がもつれて倒れ込むようになった。全速力で走って、倒れて、息を戻し、立ち上がって走る。それを繰り返した。


 草原を真っ直ぐ走るだけだ。方向は関係が無い。あぁ、そうだ。別に何も考えなくていいんだ。ただ前に走ればいい。


 地面を蹴って、蹴った足を前に出して、腕を振って。地面を蹴って、蹴った足を前に出して、腕を振った。


 何も考えなくていいのに、頭には色々なことが過ぎる。


 ――何でこんなことをしているんでしたかな?


 強くなるためだ、ですな。


 ――何で強くなりたいんですかな?


 ヒジカと一緒に、勇者の旅に出るためですな!


 それは、自信を持って言える。そのために俺は、走って、倒れて、走っている。草原でよかった。倒れても痛くない。


 ――では何故、勇者の旅に出たいのですかな?


 ……だって拙者は、俺は、ヒジカが好きだ。亜人の地位向上だって、やらなきゃいけない。


 ――はて、亜人の地位向上を? タマソン村は亜人だけの村で、そんな実感はないでござろ?


 そうだ。そうじゃなかったんだ。


 忘れていたけれど拙者――俺は、六歳までは別の町にいた。その町は、人族がほとんどだった。


 その町もタマソン村にくらべれば都会だったが、都からは離れていて、亜人の差別はそこまでひどくはなかった。


 亜人の大人と人族の大人は、ほとんど関わりを持たなかったが、子ども達には関係がなかった。


 大人の目から離れて遊びたくなる年頃はかぶるもので、町の近くの遊び場は、亜人族の子どもも人族の子どもも、自然にかぶった。


 人族の子どもは、高速で鬼ごっこする俺たち亜人の子どもに


『スゲー!』


と喜んで近づいてきたし、おれたち亜人の子どもも、人族の面白そうな遊びをしていると


『何それ!』


と目を輝かせて近づいた。


 お互いの輪が近くなり、普通に遊んでいたのだ。


 それでも、大人たちに言えば怒られるだろうことはわかっていたので、誰も亜人と一緒に遊んでいるとも、人族と一緒に遊んでいるとも親には言っていなかった。ヒミツの遊びのようで、それも楽しさを助長させていたのかもしれない。


 一年くらいは、楽しく遊んでいたのだろうか? 幼い頃で、いまいち時間の感覚は曖昧だ。


 その頃は痩せていて、種族のせいか身体が大きく力も強かった俺は、ガキ大将のようになっていた。


 俺がやろうとした遊びに、人族の子も亜人の子もみんなついてきて、それをみんなで楽しめたらいいと、漠然と思っていた。それでも、自分が得意なことをしがちだったけれど。


 六歳のその日も、木登りの競争をしていた。しばらくして、人族の男の子が木から落ちた。


 俺含む亜人の子は、まったく心配しなかった。自分たちはちょっと着地に失敗したとしても、足を挫きもしないからだ。子どもだったし自分たちの運動神経が常識なのだから、人族の子どもでいえば、ちょっと歩いてゆっくり転んだ程度の心配だっただろう。


 だからかけよった人族の子どもが、足が折れていると叫んだことも、信じられなかった。


 膝から変な方向に曲がった足を見て、やっと現実を受け入れた。


 急いでその子を背負い、家まで連れて帰った。俺が一番力持ちなんだから、当然だと思った。足が揺れて痛まないように、一人が折れた足を持って支えた。


 その子の家の玄関を叩くと、お母さんがギョッとした目で迎えた。俺から引き剝がすようにその子を奪い、勢いよく玄関を閉めた。




 それから、誰も遊び場には来なくなった。


 ――あの子に近づくのは、やめなさい。


 そんな声は、人族の親だけでなく亜人の親からも聞こえてきた。どこの親だって、自分の子どもが一番かわいい。責めるようなことじゃないとは思っても、悲しくなった。


 数日後には何がどうなったのか、大猩々の亜人の子どもが人族の子どもを叩いて骨折したらしいという話になっていた。


 兵隊の調査が入った。町に常駐だが、都会から来たらしい兵の思想は都会的だった。


 おれは子どもへの傷害の罪で、町からの追放になった。人族の大人以上の力を持つということで、大人が子どもを傷つけた罪の重さで裁かれ、亜人の人族への罪としてより罪は重くなった、そうだ。


 両親は引き取り手を探して、今の父――タマソン村で道場の後継者がいない亜人を見つけた。


 何がいけなかったのかと、子どもながらに考えた。


 ガキ大将として偉そうに振る舞っていたのがいけなくて、バチがあたったのかと。


 強かったのがいけなかったのかと。


 足を折った子の母親の怯えた顔を思い出して、そもそも強そうなのがいけなかったのかとも思った。


『あなたは強くて優しいけれど、それだけじゃダメだったの』


 母が別れの時に、泣きながら俺の頭を撫でて言った。


 どうすればよかったんだろう?


 それを考えることはしばらく続いて、気づけば今の父の武道場の子どもになっていた。


 今の父は甘えさせてくれて、食べ物をたくさんくれた。まだ色んな悲しみからは解放されず外で遊ぶ気にもなれなかったから、俺はふくふくと太っていった。


『柔和な顔になった』


 にゅうわという意味を聞くと、優しそうという意味だと、父は答えた。母の言葉で悩んでいた俺は、思い当たったような気がした。


 強くて優しくて、優しそうだったらいいんじゃないか。


 それなら、あの子の母親も怯えなかったんじゃないか。


 変なウワサにならず、本当のことがみんなに受け入れられたんじゃないか。


 兵隊に、町から追放されることもなかったんじゃないか。


 お母さんとお父さんと、いっしょに暮らせたんじゃないか。


 そうだった。そう思って、優しそうになるように努めたんだ。太ろうとして、偉そうにならずに謙虚に、言葉づかいもそれらしく拙き者、拙者になろうと思ったんだ。


 また足がもつれたのを感じると、地面が顔にせまっていた。


 顔に痛みを感じてから、倒れたのだと気づく。


「はぁ、デュフフフ。はぁ、……痛い、ですなぁ」


 考え事をしていたからか、息は上がっているのに苦しさはあまり感じなかった。二回、あの蛇に半日ゆっくりと走らされていた効果もあるんだろう。


 これなら、また立ち上がって走れそうだ。



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