第58話 食卓




 十ヶ月後、ヒジカは王都で勇者となるらしい。


 僕は魔化0%でもヒジカより強いので、付いていって守りたかった。もちろん、この世界を知らないまま田舎に引っ込んでおいても仕方ないから、一緒に外に出たいという打算もある。


 森しか知らない世界で、一人で出て行く勇気はない。


 しかし村の人から見れば、僕はただの白髪で褐色肌の、赤い瞳の細い女の子みたいな顔の少年。


「白髪も赤い眼も珍しいねぇ。もしかしたら、人族の貴族にでもひどいことをされたんじゃ……」


 僕の前ではさすがに言わなかったが、誰かがしている噂話が耳に入った。どうやら、敵対はしなくても人族と亜人族には隔たりがかなりあるらしい。体中のアザと鎖付きの首輪もあって、村中での僕のイメージはどうやら決まったらしい。


 ひどい目にあって記憶喪失になった、かわいい顔の蛇亜人の少年、のようだ。


 そんな僕では、頼りにはされないだろう。頼りにされなければ、戦力になると思われなければ、ヒジカに連れていってはもらえない。


 亜人の常識を超えない程度に、認められなければならない。


 ヒジカの両親は、ヒジカが出て行った後の部屋を僕に貸してくれると言ってくれた。ヒジカの家も村のどの家も木製の簡素なつくりの家だったが、あたたかみのあるものだった。


 息子が今日拾ってきた亜人(魔物)に、一緒に住めと言えるのはお人好しというか、むしろ豪胆なのかもしれない。


 正直、渡りに船ではある。記憶喪失は嘘だが、生後一ケ月くらいで森にしか生きていない僕は、この世界のことを何も知らない。


 記憶喪失者以上にルールや一般常識を知らない僕は、このままではこの世界で生きてはいけないのだ。


 ヒジカは食える動物系の魔物の狩りや、薬草の採取などをしていたそうだ。それで恩を少しでも返していけるなら、厄介になることを自分に許してもいいんじゃないかとも思い始めている。


「少なくともシバラク、ここで暮ラスダロ? 狩リにつイても教エテヤルヨ」


 というか、ヒジカやヒジカの両親たちはとっくにそのつもりだった。


 近所の人もそうなると思っていたそうなので、この村のお人好しっぷりは底知れない。お人好しなのはヒジカだけでなく、その両親だけでもなく、村民みんなだ。


 村の生活や暮らし方を、ヒジカやヒジカのお母さんから聞いているうちに、日は落ちた。


 寝る場所はヒジカの部屋、ということを聞かされた時には、遠慮する間もなく僕の分まで作られた夕食が、運び込まれてきた。ここまできて遠慮するのもよくないので、深々と感謝してご飯も宿もいただくことになった。


 本音だったからか、演技のレベルも上がらなかった。


 食卓。初めて囲む食卓だった。丸い机であぐらをかいて囲んだ。


 ヒジカのお母さんの料理は美味しかった。生まれて初めて使うナイフやフォークに、少し悪戦苦闘した。


 ヒジカの両親は、ヒジカの隣に座る僕を見て弟みたいだと笑う。


「銀髪のヒジカと白髪の君が並ぶと、本当に兄弟みたいだねぇ」


 とヒジカのお父さんに言われ、恥ずかしくなった。お父さんは年輩っぽいロマンスグレーの髪で青い瞳、お母さんは髪も瞳も茶色だった。身長はお母さん普通の範疇でも高めで、遺伝が見てとれた。


「あら、覚えてないとなれないわね。指は、こう使った方がいいわ」


 ヒジカのお母さんが時折、僕の手を取ってナイフを扱った。僕はまた顔が熱くなるほど恥ずかしかったけれど、素直にお母さんの手に従った。


 料理は美味しく、食卓は笑顔で溢れていた。


 白い髪(蛇)は長いので、お母さんからゴムを借りて後ろで結んで食べた。本当に美味しい。


 ふと、赤い眼の視界が滲んだ。


「あれ?」


 突然涙がこぼれた。フォークを持ったまま、左手にぽたぽたと涙が止めどない。


「……何で?」


 疑問に思っても、理由は見当もつかない。


 ヒジカがどうしたんだと心配してくれる。銀髪、力強い目の青い瞳、大きい体さえもぼやける。


 ヒジカとその両親がおろおろとし出すのを見ると、もう駄目だった。


「うぅ、う、うぇぇ」


 ああ、駄目だ。勝手に目から涙が出て来て、勝手にノドが声を上げる。


「うええ、うぇ、ええ、うぇえ、ええええぇぇええええええええん」


 僕の感情を僕がわからない。思考が全て膨大な感情に飲み込まれる。幼女の相棒のように、精神が十歳の身体に引きずられているのかもしれない。


「うぇ、ぐ、え、えぇぇぇえええええええ、えぇぇぇえん」


 嬉しいのか悲しいのかさえわからない。


「えぇええええええええ! えぇええええええええん! えぇ、ええぇ、ええ、え、ええええええん!」


 絶叫だった。前世の知識に、ショッピングモールの床で座り込み、泣き叫ぶ男の子の姿。


 そんなんじゃないし、そんなことしたくないと内心は拒絶するが止まらない。近所のフェレット亜人のおばさんが何事かと乗り込んで来た。


「わぁあああああ、わ、え、わぁぁああああん! わえ、ええぇぇええええん」


 正常な思考が出来れば、幼児のように泣き叫ぶ僕自身を恥ずかしく思ったかもしれない。


「ぁぁああああああ!! ぁあぐ、あぁぁあぁああああああん、あぁぁあああああ!」


 でも、押し寄せる感情が大きすぎる。思考なんてものは容易に流される。



 薄れゆく意識の中、見知らぬ映像を見る。初めて見る景色なのに、十数年も見続けた景色のような錯覚を持つ。


 暗い部屋の中。一人座るテーブル。誰も笑わない、そもそも自分しかいない。あるのは食器と箸が触れる音だけ。


 手と口を動かす度に、減っていくだけの食品。毎回の食事で、その食品以外には変化がない時間。


 なくなると、シンクで一人分の洗い物をすます。


 そんな寂しい景色。


 アニメーションのようにテーブルの皿の上が変わる。十数年の何十何百の誰もいない食卓。ご飯の内容だけが変わり、視点が徐々に高くなる。


 ずっと、誰もいないことには変わりなかった。




 あとから聞いた話。


 村全員が僕の泣き叫ぶ声を、何事かと思いヒジカの家に集まったらしい。


 僕はといえば、座ったまま上を向いて声を上げて泣き叫び続けたそうだ。


 手を差し伸べる人の手を駄々っ子のように振り払い、数時間たつと泣き疲れたようで、ふいに静かになって眠ったらしい。


 死ぬほど恥ずかしかったが、すごく辛いことがあって記憶喪失になったのだろうと、村のみんなの確信が深まった。


 ……そういうことにしておいた。



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