第3話 お久し振りらしい女神




 ――お久しぶりです。


 走馬灯を通り抜けたところで、声が聞こえた。


 目を開ける。


 寝ていたわけではないのに、目はすっきりしていた。一瞬だけ感じた激痛もない。


 そこは白い世界だった。壁もない、どこまで行けば果てがあるのかもわからない、眩しいほどの、白。


 上も白。地面も白。左右を見ても前後を見ても果てのない白い空間に、俺は立っていた。


 ――醒めましたか?


 女の声だった。哀れみに満ちた、優しげな声だ。


「あんたは?」


 ――私は『切なさ』の女神。


 ……切なさの女神? そんなけったいな名前の神は聞いたこともない。


 ――あなたの世界には、私はおりませんから。


 苦笑いしたような声で、いれば助けることもできたのですが、と続ける。口に出さなくとも考えていることが分かるらしい。


「俺の世界ってことは……。あんたは異世界の神で、ネットやらアニメで流行りの異世界転生でもさせようってのか?」


 言わなくても伝わるようだが、なんとなく心を読まれるのも癪なので、言葉にすることにした。


 ――話が早くて助かります。私の世界ではほかの神が転生させた勇者がいるのですが、戦況が芳しくないのです。


「それで俺を、勇者として転生させようって?」


 ――えぇ。例に漏れず、私の加護や能力を授けます。




    ■■■は《女神の加護Ⅳ》が与えられる!

    これにより、■■■は《先見の明》を獲得した!

    同じく■■■は《神の約束した克服》を獲得した!

    同じく■■■は《驚異の集中力》を獲得した!

    同じく■■■は《焦土の吸収力》を獲得した!

    同じく■■■は《果て無き成長》を獲得した!

    同じく■■■は《無限の度量》を獲得した!




「……至れり尽くせりなことだ」


 ――……あなたを見て来ました。顔に傷を負う前も、顔に傷を負った後も。


 ……。


 ――失礼。あなたの切なさは、異世界の私に届くほど、深いものでしたから。


「……悪趣味だね。俺の死に際も見ていたんなら、勇者なんて立派な職業には不向きだと思うけど?」


 ――あなたはいつも、泣いていましたね。女性を抱く時も金銭を稼いだ時も、人に武術で勝利した時も。


「涙なんて、子どもの頃以来流してないよ」


 ――心の中で、ですよ。


 さすが女神。クサい言葉にも躊躇がない。そして、そうクサいとも感じさせない。


 ――いつでもあなたは、勉学に励み肉体を鍛え、自分を成長させてきました。恵まれた状況でも、恵まれない状況でも。顔の傷で普通の人が持てば、何倍もの幸福が手に入る域まで能力を伸ばして、それでも幸福が得られない状況にめげることなく。これらの能力は、あなたの成長を最大限手助けするでしょう。


「ただの、諦めだ」


 うーばーイーツが出来てからは本当に助かった。家にいても美味いものが食える。外食では、口を開かずには食えない。顔を曝せば、人の蔑みや哀れみの目が刺さる。美味いものを食っても美味いと感じられなかったのだ。 


 ……最後に人と食事をしたのは、いつだっただろう。


 ――切ない、ですね。


「もういいさ。ただ、俺よりも切ない状況の人間なんていくらでもいるだろう」


 ――名前ですよ。


「名前?」


 ――あなたは、自分の名前が言えますか?


 何を言っているんだ。自分の名前くらい、言えるに決まっている。


 ……………………。


 ……え?


「え……、あれ、俺の、名前」


 ――あなたは名前をしばらく呼ばれていない。そのうちに、名前を忘れてしまっているのです。


 嘘だ。人と関わっていないわけじゃない。空手の道場にはいつも行っていた。それなのに、苗字しか思い出せない。下の名前が、一文字も思い出せない。


 ――あなたを慕う子どもたちは『覆面のおじさん』としか呼んでいませんでしたね。道場主たちは、あなたを覆面の、と呼び蔑みながら利用だけしていました。道場生たちはそもそもあまり関わっていない。


 ……確かに、大会にだけは勝つために出させられていた。ご丁寧に出場者名まで『覆面』で登録されて。


 ――名前はどの世界でも、重要な意味を持ちます。それを持ちながら忘れてしまうほどに呼ばれてこなかった、切なさです。


「うるせぇよ……。セフレたちは――」


 ――あなたの名前を知りません。


 そうだ。全員、マッチングアプリで体だけを写した写真に釣られた、ブスかデブたちだ。


 ――切ないですよね。容貌が優れた女性だけには、素顔を蔑まれたくなかったあなたの心も。


「――っ!!」


 バレている。その通りだ。俺が狙ったのは、自分の外見に自信がない、俺の顔を受け入れてくれる見込みがある女だけだった。


 ――……名前を忘れている、ということにも重要なのですよ。


「どういうことだ?」


 ――いくら神でも、異世界の魂を呼び寄せることは、簡単ではないのです。名前はその人間を己の世界に繋ぎ止める、重要な楔なのです。それが無いことは転生を容易にさせます。


 聞きながら、頭の片隅で自分の名前を思い出そうとしていた。けれど、思い出せない。


 ――それだけではなく、あなたは私の声を一度聞き、姿を見ていているのです。


「……そんな覚えはないけど」


 ――あなたが、一番切なさを感じた時ですよ。


 その言葉とともに、声だけを聞かせていた女神は、俺の前に姿を現した。



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