異世界に行きたいですか はい/いいえ?

 ■ 異世界に行きたいですか はい/いいえ?


 ばらばら、と何かが青年の顔に衝突する。猛烈な痒み。目にシャンプーが入った時のように痛い。

 しかし青年の瞼にはしっかり文字が浮かんでいる。しかもごていねいにゴシック体だ。

 バーンとエラー画面が瞼に焼き付いている。首を左右に振っても取れない。その背後では家の壁がゆっくりと崩れ落ちていく。

「シャノン情報の写像が不正です。強行しますか?(Y/N) ■」

 何のことだよ? そのシャノンなんたらの選択肢は俺が望んだものではなく、俺に望まれることでもない。

『……ちょ、ちょっと……なんで、エラーが出るのよ?』

『推奨する点検箇所?? ……ウォラストン・プリズム?……げっ?! ひずんでる。ひゃぁっ!』

『きゃぁーっ。らみあちゃん! ちょっと!らみあちゃん? ら、み、あ……死んでる!!! うそ~~~~』

 女の片割れが亡くなった様だが、俺には関係ない。

 俺はブラックな求人に騙され、試用と称してタダ働きさせられ、正社員に苛められた。

 自分が死にたいと思った時に災害に巻き込まれて死ねるなんて幸運だ。

 せめて、来世は美少女に生まれ変わって可愛がられたい。

 俺は「イエス」と答えた。

 そこで記憶は砕けた。


 惑星カシスの首都を揺るがした巨大地殻変動は「大爆震」を名付けられた。

 死傷者および行方不明者はは十万人。損壊家屋は数万棟を越えて、カシス経済を最貧国レベルに陥れた。

 、


 ■ 量子ネットアイドルらみあの最期

 量子ビットで満たされた空間に一つの意識が芽生えた。

 それは一つの完成した人格を持っている。


『白、白、白、どっちを向いても白。どこまでいっても白。過剰なまでに清潔な空間。

 漂白され過ぎて、自分という存在すら希薄になる。

 そんな場所を期待した。

 とても疲れていたからだ。

 まず意識したのは、人の気配だった。色とりどりの声が渦巻き、毛羽立っていた。それで複数の人間が取り乱しているのがわかった。

 聞き分けはできる。ところが、その色の名前がわからない。僕は理解する意欲すら乾燥してしまった。

 ところが、純白をさらに照らす光源に気づいた。迂闊だった。

 世界が起動する。

 純粋な白に気泡が混じる。それは次第に透明度を増す。

 考えるに、白はつくづく矛盾した色だ。すべての要素を包括していながら透明でない。不純で不完全な存在だ。

 ひるがえって、純粋はすべてを透過するが、何一つ、その手に絡めることはできない。未熟で不完全な存在だ』


 空間メモリの外では修羅場しゅらばが展開していた。

 せせこましい部屋に天井までさまざまな機器が積み重なっている。床にケーブルがはい回り、壁には画廊かと見まがうほどたくさんのモニターが掲げてある。部屋の中央に操作卓とヘッドマウントディスプレイを被った女がいる。その傍らにはベッドがしつらえてあり、ドレスアップした少女が横たわっている。

 コンピューターはヒステリックに喚く

 《ペンローズ量子脳ネットワーク:遅延選択ウィザードが報告します》

 《ペンローズ量子脳ネットワークに***異常負荷***》

 《ペンローズ量子脳ネットワークに***外部干渉***》

 《白というキーワードでメモリが浸食されています》

「白? 白といえば、"白夜大陸条約査察機構(ハンターギルド)の攻撃です"と即答するのがあなたの仕事でしょう!」

 操作卓に座っている女は逆上して言い返す。

 《メモリー内容を読み上げます!》


『光と闇の闘いというが、透明と不透明のたんなる自己欺瞞。一人相撲ではないのか?

 矛盾だらけの存在が、なぜに神を名乗れようか。

 純白などという言葉は思い上がりだ。まやかしに秀でた者こそが宇宙に君臨するのだ。いれかわり、たちかわり、安住などない』


 女は聞き流しながら、コマネズミのようにはい回る。コネクターを見かけよりも重そうな機器を一人で運び、汗だくで配線し直す。

 《警告》《警告》《警告》《警告》

 《辞書に更新例外。:語句の意味が何者かによって再定義されています。ハッキングの可能性! アリョーシャ・チョムスキーのアカウントで再ログインして下さい。》

「だから、あたしと、らみあが何をしたというの?」

 サイバー攻撃を受ける筋合いなど無いと言わんばかりだ。


『すでに宇宙のはじまりがそうだった。

 超高温高圧高密度の塊、イレーム。ある時、ゆらりと崩れて大爆発した。ビッグバンだ。湖面に映る月のように宇宙はゆらいでいる。ゆらぎは宇宙の在りようだ。究極の塊イレームですら屈したのだ。それでも抵抗が続いた。

 イレームが朽ちて、光が生まれる。

 だがその出生は祝福されなかった。

 しばらく光は濃密な濁流の中に、幽閉されていた。

 やがて、宇宙が冷えると、光を遮っていた存在が希薄になった。

 宇宙の晴れ上がり。光に祝福あれ。

 透明な宇宙。

 ばあん!と、一瞬で空間が無限に膨張し、その後を解放された光がのろのろと追いかける。

 光は自由だ』


 《警告》《ペンローズ量子脳ネットワーク:第一防火壁が突破されました》

 アリョーシャは腕組みして考え込んだ。このファイアウォールを突破できるのはハンターギルドしかいない。

「しばらく放置なさい。第二から最終までプロテクトを緩めて。なるべく手薄に。ギルドに査察の口実を与えないで」


『光は変幻自在にさすらう波であり、確固たる存在の粒子でもある。

 波でなければ伝わらないし、粒でなければ、そもそも視覚細胞に捕らえられない。

 では、どっちなのだ?と訊かれると、どっちとも言いがたい。

 波であり、粒子であり、そう、湖上に映る満月のようにゆらゆらと、あいまいな存在。

 真っ白で純粋な状態。純粋状態だ。曖昧ゆえに何%の確率で、「こうだ」と保険を掛けた言い方しかできない。

 不確定なのだ。

 不確定性原理こそが宇宙の法則である』


 量子脳の自分語り(ポエム)が耳障りだ。アリョーシャは読み上げ機能の停止を命じたが、拒絶された。

 《警告》《ペンローズ量子脳ネットワーク:ライブラリに異常干渉》

 とうとう、侵入者は大切ならみあの生涯を記録したライブラリを暴き立てはじめた。

 たまらずアリョーシャはWEBマイクに縋りついた。

『気が済んだら出て行って! メモリにはらみあの想い出しかないんだから。"大量破壊兵器(ギガヒット)の女神"はもうこの世にいないの。アイドルを売り出すための謳い文句ですら兵器であるというんなら攻撃していいから……』

 近頃のギルドは神経質すぎる。発端となった流出事件―ハドラマウト事変から以降、大量破壊兵器による戦争が後を絶たない。三日間戦争、惑星バウル独立戦争、中央諸世界革命戦争、確率変動簒奪者戦争……

 量子ネットアイドル「御崎らみあ」は量子動画配信キューチューブのシンデレラだ。

 世界線カメラで歴史上の人物と同期シンクロして、本人の心境や事件の真実を明らかにする。

 それのどこが大量破壊に結びつくというのか。


『おかしな話だ。

 粒子はゆらがない。確固たる存在だ。

 光は責任能力を持たない。自分が何者か認識できない。

 知性を持たないからだ。

 じゃあ、誰が確定するのか。

 そうだ知性だ。認識力を持つ者。

 知的生命体が必要だ』


 らみあの亡骸が横たわるベッドに機械医療腕メディカルアームが伸びる。シンクロ中の彼女に万一のことがあれば直ちに処置を施す。

 死人に鞭を打つつもりか。


 《警告》《ペンローズ量子脳ネットワーク:緊急ファーストエイドキット始動》

 《警告》《ペンローズ量子脳ネットワーク:クローン培養槽初期化》

 《警告》《ペンローズ量子脳ネットワーク:これより、被験者の欠損部分を補完します。》

 アリョーシャの前にクローン培養装置がデンと置かれた。

「きゃあああ!いきなり、らみあちゃんに。何するのよぉ!」

 医療腕は軽々と遺体を掴み取り、装置に投げ入れた。

 《警告》《ペンローズ量子脳ネットワーク:被験者の着衣を検出しました♪》

『♪って、あんた……まさか』

 嬉しそうな電子音にアリョーシャはただならぬ気配を感じた。

 《パンティ、ブラジャー、ブラウス、ジャケット、ミニスカート、スリップ、ペチコート、アンダースコート、ショートガードル、 ニーソックス、チューブトップ、ビキニボトム、アンダースイムショーツ、ミュール、カチューシャ、ピアス。衛生のため、これら汚れた着衣の焼灼除去を試みます。危険です。退室してください》

 脱がす気満々である。なんというけしからん機械だ

「ばかっ! バージンの女の子に何てことするのよ。大好きな彼氏にいじられるならともかく」

 アリョーシャがアームに飛びかかろうとすると、一歩先の床が焦げた。

 《警告》《ペンローズ量子脳ネットワーク:フォノンメーザー。精密モードで照射!》

 か細い光線がアリョーシャすれすれに降り注ぐ。

「きゃああああ、誰か止めて! きゃ~~~~~。誰か、追っかけでも、ストーカーでも、カメラ小僧でもいいから来て~」

 半狂乱になった彼女はあちこちに通報しまくる。


『はっきりさせよう。1986年にジョン・ホイーラーという学者がある実験を行った。ホイーラーの遅延選択実験だ。

 光源の途中にスイッチを設けて光を粒子として捕らえる装置と、波動として観測する装置を切り替えできるようにした。

 月~地球のように光の到達にじゅうぶん時間がかかる距離で、人間がすばやくスイッチを切り替えまくるとどうなるか。

「粒子来い~」と思って切り替えてもうまくいかずタイミングがずれるはずだ。月を出発した瞬間に光の命運がきまっているならば。

 ところが、スムーズに切り替えられた。つまり光が出発したであろう時刻よりもあとでどちらか自由に選択することが可能なのだ。

 ということは、人間の意志が何らかの干渉したか、スイッチを切替えたという結果が過去へワープして原因に影響を与えたかのとちらかしかない』


 《警告》《ペンローズ量子脳ネットワーク:アンダースイムショーツの除去に失敗。ラスト一枚。出力を切替えて除去を試みます♪》

 高価なステージ衣装と撮影用のビキニまで切り刻まれ、あられもない姿になったらみあのパンツをレーザーが執拗に狙っている。

「らみあをこれ以上傷つけないで。死んでるのよ。量子ネットアイドルの最期が機械に犯されるなんて。酷すぎるよ!」

 アリョーシャは目を真っ赤に腫らして懇願した。

 結局、神ひとりでは天地創造は不可能ってこった。それどころか、量子力学の結果から、 奇跡は、人の意思が超光速で空間を超えて全宇宙の摂理を作り変えるということを伴うのである。

 これぞ、宇宙の原理。人間原理だ。いや、原初の宇宙に人間はまだない。妖精原理だ。

 湖面のゆらぐ月。その姿を生で捉えるにはボートで近づくしかない。しかし、ボートを漕ぐという行為が月を揺らしてしまう。

 月を揺らしたくなければ遠くから撮影すればいい。しかし、それでは真実を克明に捉えることはできない。どう足掻いても宇宙はあいまいだ。

 だが、人が手をくわえることはできる』


 《警告》《ペンローズ量子脳ネットワーク:システムリソースが不足しています。被験者の体組織を使って再構成します》

 トチ狂った量子脳は遺体からクローンを作りだそうとしていた。


「もしもし、チーフ? ええ……壊れたのは私の方じゃなくて……ええ、サイバー攻撃です。手がつけられなくって。もうしわけありません」

 アリョーシャが上司に助けを乞うている間にも量子脳は着々と培養の準備を整えていく。


『だから、天地創造ひとつ取っても、妖精の手助けが必要だ。父と子と妖精の御名において。父は秩序を。妖精は自由意志を司る。自由を束縛すれば 多種多様な生命の進化はありえない。だが、秩序がなければ樹はまっすぐ育たない。まず、物に名前をつけよう。意味づけをしよう。

 世界を掌握するには、まず、意味の単位を創ること。量子化だ。ものさしで世界を測るのだ。たとえばアダムとイブ。人間の単位。男と女。

 XX染色体、XY染色体。Xの方が3つもある。だからXXXが基本単位だ。

 XXX。♀。オンナノコ。宇宙の根源。イレームはオンナノコ。

 イレーム。えれーむ。elle aime……フランス語の女性代名詞3人称。

 彼女。彼女はあ・た・し。これが、あたし?

 』



「ど大変なことになりしましたね」

 ピンク色のスーツに水玉模様のネクタイをつけた上司が飛んできた。


「あっ、チ~フ」

「らみあちゃんをなんとかするですよ。オンエアまでに代役を探す時間は無いです」

 人が一人死んでいるというのに冷静すぎる上司だ。

「でも、ぐすっ……」

 敏腕プロデューサーたるアリョーシャが子役時代から手塩にかけて育てたアイドルが亡くなったというのに、あまりにも無神経だ。

「こやつ、手探りで自我を育んでますね。ベクトル量子化という、お間抜けな手法です」

 淡々と状況把握に努めるチーフを見てアリョーシャも気持ちを切り替えるべきだと悟った。


「勝ち目はあるんですか?」

「ここは天下の歴史専門チャンネル、イエスターイヤーBBです。らみあちゃんの資料は売るほどあります。あと、スポンサー様のご意向というありがた~い価値観もたっぷり流し込んでやりますです」

「犯人をぶっころしてやりたいわっ!」

「いれーむ、えれーむ。こんな駄洒落を駆使するアホは人類圏広しといえど、一人しかいないですよ」

「誰なんですか?」

「下品で品性下劣で、ぶっさいくな癖に査察だか盗撮だかいけ好かない事やってて、万年行かず後家の、かの、うすバカ下郎押収事件で悪銭を稼いだ……」

「シア・フレイアスターですか?」

超海王星空域カイパーベルトに私有惑星一個買って、小遣い稼ぎにハンターやってるババアですよ。こんなイジメというか言いがかり同然の【査察】は断固許しません。徹底抗戦するですよ」

 真っ赤な顔をしたチーフは吐き捨てるにいうと、アリョーシャから操作卓を奪い取った。

「目にもの見せてくれるですよ」

 渾身の怒りをキーボードに叩きつける。壁面のモニターが白熱した。

 量子コンピューターに未公開映像だの秘蔵写真だのイエスターイヤー社が持てる「らみあ」関連資料のすべてが雪崩込む。

 侵入者を情報の洪水で洗い流そうというのだ。バリバリと光ケーブルが燃え立っている。

 アリョーシャの前にどさりと金属ケースが置かれた。

「え?」

「ほら、何をぐずぐずしているです? 読み取り機リーダー量子結晶メモリクリスタルを掛けるです」

 ぎらつくディスプレイの逆光を浴びてチーフの顔に不気味な影が落ちている。

「はい」

 ごくりと唾を飲み下し、アリョーシャはクリスタルを取り出す。

「ほいっ!」 チーフが奇声をあげてリーダーに突っ込む。「はい」「ほぃ!」「はい」「ほぃ!」……等比級数的に動作が加速する。

 アリョーシャは「はぁはぁ」と息を弾ませる。

 メモリマップの八割を白が、らみあを表わすピンクが二割を占めている。一気に逆転し五分五分になる。

 負けじと白が九割まで押し戻す。

「どぉりゃあ!」

 リーダーが懐から毒々しい紫色のクリスタルを取り出す。

「そ、それは……」 アリョーシャが手書きのラベルを見てドン引く。

「らみあちゃんのハ〇撮り写真ですよ!」

「いや~~ん。ちーふぅ~」

「挿入ーーーーーーーーーーーーッ!!」

 渾身の怒りを込めてクリスタルを差し込む。

 メモリマップが桃色いっぱいになり……

 カッ。


 加入者数数億を誇る由緒ある娯楽チャンネル、イエスターイヤーBBの社屋が爆散した。

 爆発炎上する残骸の中から、ふよふよと一匹の妖精が飛び出した。

 そして、逆巻く煙の中へ消えていった。


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