ハイパーソニック・テロリスト
■ 建国記念式典
それは不意打ちだった。
世界が白くて力強いきらめきと、出番を待つざわめきと、宴が始まるときめきに満たされた。
半秒、遅れて地響きが人々の背骨を突き上げ、鼓膜を突き破り、快楽中枢を愛撫した。
氷に閉ざされたホールは汗ばむほどの熱気に満ち、ナイロンギターの甘いメロディに溶け落ちていく。
スポットライトの中心に翼を全開にした天使がせり上がると、バックスクリーンに亜麻色の髪がクローズアップされた。
前奏が歯切れの良いビートの反復に変わる。天使は振り向きざまに微笑み、淡い紅色の唇が小刻みにシンクロする。
歌詞は攻撃的で傲慢で野性的だ。
血の犠牲を払ってでも教えを浸透させよ♪
そなたらの子は聖戦に赴く為に神から授かった♪
祖国の思想で宇宙を染める事こそ万物に勝る喜びなり。
おお、我らがカシス♪ 文化の源♪
おお、母なるカシス♪ 叡智の礎♪
おおむね、帝政ローマの流れを組むヨーロッパ系の国歌はこの様な恐ろしい語句が並ぶ。
幸いな事に、
右も左もわからぬ異邦の田舎娘を装って
熱中症を患って大仰に倒れて見せれば、訓練の行き届いたスタッフが救護室へ担ぎ込んでくれる。生年月日や血液型を自己申告する必要もない。
手際よく水玉模様のサマードレスが裁ちばさみで裂かれ、個人情報の入った量子タグがショーツごと剥ぎ取られる。
ナターシャは手際よく確率変動を操って、うそ偽りのない症状を呈してみせた。担当医は彼女を一目で熱中症と判断し、会場内の奥に設けられた臨時熱中症外来へ転送した。
ここまではよかった。
問題は、ベローゾフ・ジャボチンスキー反応液をどう誤魔化すかだ。特権者は青色の死刑宣告に抗えない。
独立記念式典の警戒は特に群を抜いて厳しいが、それさえクリアすれば幼生体である彼女でも任務は達成できる。
どうしたものかしら。ナターシャは考えをめぐらせたがまとまらない。時刻はグリニッジ標準時で三時過ぎ。夜更けまでにピンポインターをこの奥の部屋に設置せねばならぬ。
しくじれば観客と警察軍を含めた十万人を盾にして穢れた血脈が生きながらえる。
特権者はそれを面白がるだろうが、自分には人間の血が半分流れている。やつらだけが消えればいい。
キンキンに冷えたウォーターベッドが天井に青いしじまを作っている。からからと虚ろな音を立てて回る空調。壁越しに蚊の鳴くような歌声が聞こえてくる。
ぼやけた焦点を故意に泳がせていると、雑多な考えが急速に像を結んだ。
「いけるわ!」
ナターシャは、がばと跳ね起き、世界線をつま弾いた。
■ ステージ
戦闘純文学者はロックスターだ!
暴れまわる
ひとたび事件を解決すれば、人々が彼女たちを熱狂と騒乱で迎え入れ、文字通り百万カンテラの脚光がステージをはい回る。
シアは流暢に歌い終えると、うやうやしく一礼して舞台のそでへ引っ込んだ。
入れ替わりに司会者がマイクの前に立つ。
作り笑顔が引きつっている。脚本にない事象が起きたのだ。
「ベローゾフ……反応青、アオだってんだよ!」
カーテンの隙間から押し殺した声でADが叫んでいる。わかった。司会者は目立たないように頷くと、よどみなくMCを始めた。
「西暦一九九九年七月、
都合よく歪曲された歴史が観衆に響き渡る。会場に入りきれなかった市民が興奮して銃を空に向ける。
「どうして人々はこんなにも生きる力に満ち溢れ、希望に燃え、繁栄を謳歌してゆけるのでしょうか? 私たち、カシス人が世界を導く申命を背負っているからです!」
頼みもしないのに病室に御題目が流れている。ナターシャは寝返りを打つふりをして氷枕を床に落とした。看護婦たちはナースステーションの壁面TVにかじりついている。
「……未来、現代、過去と連綿と続くカシスの栄光、ひいては人類の隆盛を支えるのは
司会者は狼狽を大衆に悟られまいと声を張り上げるが、その耳にはインカムを通じて舞台裏の混乱が伝わっている。中継用のバックアップ回線が三つとも途絶した。予備電源の圧があがらない。観客に決して聞かせてはならない悲鳴と怒号が渦巻いている。
「特権者の攻撃か?」
息継ぎをする僅かな時間に彼は小声で尋ねた。
「……まだ断定できない。BZ液に今のところ反応は無い」
どうでもいい些末事だといわんばかりに鬱陶しそうにディレクターが答えた。
ナターシャの心臓が激しく鼓動する。反応液の水面が肉眼で判別できない程度に細かく揺れ動いているはずだ。彼女は神経を尖らせながら確率変動を操作していた。一瞬たりとも気が抜けない。少しでも波立たせたり泡が一粒でも生じれば気づかれてしまう。出力を針の先よりも絞ってしまえば、それに応じた攻撃しかできない。そういう矛盾に彼女は苛立つ。
「ご紹介にあずかりました
国歌を熱唱した天使の頭上を覆いつくように強襲揚陸艦が降下してきた。
ライブシップが出張って来たのなら誤魔化しはきかない。やつらはどんな些細な確率変動でもかぎ分けてしまう。ナターシャは物陰からナースステーションのTVを盗み見た。
古典的な手段だが騒ぎに乗じて目的を果たすしかない。彼女は自制をやめた。
病室に残してきた枕がとつぜん水蒸気爆発を起こす。続いて、ウオーターマットが破裂。沸騰した蒸気がH2とOに分離し、微細な核融合すら起きるしまつ。
ナースステーションの壁に鮮血がべっとりと付着し、部屋が爆散した。あちこちでガラスが割れる音がして、短い悲鳴が聞こえてくる。
ナターシャは裸足のまま駆け出した。臨時診療所の要所を固める警備員は人件費削減のあおりで事態収拾すら満足にできていない。
「ベローゾフ・ジャボチンスキー反応、撹拌パターン青、特権者の攻撃です!」
「ええっ? こちらに異常は見られませんが……何だこいつ。うわっ……」
人間どもが交信しているさまを見てナターシャは失笑した。会場の警備陣は襲撃をひた隠しながら式典の続行強いられるだろう。ヤナハ大統領の面子を潰せば自分たちに跳ね返ってくるからだ。
目立つ動きは出来ないはずだと踏んだナターシャはピンポインターとなる紋章を床に描いた。
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