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 灯台もと暗し。活気づく屋台どおりのなか、やや人気のすくない海の家を後にした僕と田端さんは、その足で通りを歩いた。

 恋人らしく、との意向で手をつないで、ゆったりとした足取り。他愛ない会話が控えめに交わされ、だけどそれがふたりだけの時間を充実させる。

 足元のサンダルは砂を踏みしめ、すれ違う人々の大半は水着姿。極力意識しないよう努め、様々なラインナップを流し目にみていく。イカ焼き、たこ焼き、海鮮焼きそば。魚介系を扱った店が多いのは、やはり海沿いでひらいているからなのだろうか。とはいえ、なかには全く海と関係のない――それこそ神社の祭りでよく見かけるものも存在する。

 僕と田端さんは興味本位、ふらふらと立ち寄っていく。


 綿あめの屋台では、買うつもりもないのにじっと観察した。ちいさい頃は見慣れた光景だったのに、この年になるとその機会さえ失われていく。ガードの向こうでザラメがマシンへ投入され、くるくると回した棒はあっという間に雲をまきつける。

 男の子に手渡されるそれをみて、妙に懐かしく感じる光景ですね、と感想を共有した。


 こういう場特有、玩具を乱雑に詰め込んだようなテントに足を踏み入れる。水鉄砲やうきわはもちろん、音の鳴る剣も、キャラクターをかたどったお面も、田端さんの興味を引くプラモデルも並ぶ。お気に召したものはなかったようで、感心を示すことはなかった。代わりに、奇抜なサングラスをかけて袖をひく。ピンク色でフチ取られたハート型をかけた彼女はコミカルにすぎて、僕はしばらく肩をふるわせた。


 やはり海に来たからには、それらしいものを食べたい。というわけで目をつけたのは、タコが二倍のたこ焼きだった。八個入りを買って、通りのすみっこで分け合う。明らかにデカく、そして熱い。おまけに中身はタコがほとんどで、食べ応えは抜群でもたこ焼きを食べた満足感かといわれると首をひねる味だった。

 田端さんはひとつを差し出し、俗に言う『あーん』をねだる。やってくださいという圧に負け、熱々の中身にハフハフ悶えれば、彼女はころころと笑った。


 流れていく時間。繋いだ手がそのままであることも忘れ、僕らは堪能した。「歩きませんか」と誘った彼女は、きっと何かを伝えようと、あるいは問おうとしている。彼女がときおりみせる思い悩んだ表情も、おそらくだが関係する。だけど、急かすことはしたくない。

 彼女の方から決心するのを待つ。それまで、僕は君と安息の時間を過ごそう。

 幸い、二人で見てまわるのは楽しい。人混みにウンザリするのも、珍しいものを通してふれ合うのも、心地良い。夏の暑さを忘れるくらいには。

 この感覚は、となりにいるのが田端ミレンだからこそ。

 ちかい考え方、似た行動基準。互いの秘密を共有し、通じ合った相手だからこそ得られるモノだ。この温かいものを恋と呼ぶべきなのだろうか。そう自問しても、答えは出ない。けれどどこかでは「一歩たりない」と結論づける自分がいて、不安を残していく。


 ――君を、好きになれるだろうか。

 僕は海の家でそう訊いた。東洞スミカよろしく、彼女の返答から立ち位置を定めようとした。まるで、化け物が仲良くなりたい人間に「オレは人間になれるか」と問うように。

 返ってきたのは、「そう願っているよ」というものだった。

 目の前で笑みを浮かべる田端さんは、あの返答を体現している。あの日、放課後の昇降口で出会った彼女からは考えられない眩しさを携えて、手をひく。


 薄明の色を乗せた瞳。口元にうっすらと浮かべた優しい笑み。惑わす灰色の髪。ひらひらと揺らすスカート、そこから伸びる細い脚。

 色白な肌の田端ミレン。


 好きになって良いのだと。佇まいが、振る舞いが、そう告げている。

 だけど、どうしても踏ん切りがつかない。

 返答ももらった。それを行動で示してもくれた。それでも、僕のなかは未知への不安でいっぱいだ。


 線がみえないのに、好きをぶつける少女。

 そこには騙そうという野望も、からかおうという不誠実さはない。

 ああたしかに、『想いの線』などというものに頼り、人々の薄情さに怯えてきた僕には打って付けなのだろう。

 しかし、将来は底なし沼のように深く見通せない。


 田端さんは好きになってほしいと語った。その理由が、彼女が僕に恋しているからだとして。でもその恋心はスミカのもので……。

 僕が田端さんを好きになって、結ばれて、スミカが――今の恋心が――消えたとき、僕らはどうなるのだろう?

 僕の一方的な片想い。シュレディンガーの箱をあけてみれば、中身は開けた途端に溶けるネコの氷像でした。なんて結末だ。



 とどのつまり。

 僕には、田端ミレンの本心がわからないのだ。

 東洞スミカの未練という『恋心』が介在しない、純粋な彼女ミレンの想いがわからない。


 だから、踏み込むのが怖いのだ。

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