3

 東洞スミカ。

 中学生までの、僕の腐れ縁。屋上から飛び降り自殺した少女。今はほんの小さな未練の欠片となって、田端ミレンを宿主としている。

 東洞スミカの未練を晴らすと、雨のなかで彼女は明かした。それが嘘偽りない言葉だと仮定して、僕は推測を並べ立てていた。彼女に宿った未練と、それを晴らすためにとった行動。即ち告白。その意図から、東洞スミカの未練とはなんなのかを探った。

 しかしてその答えは、とてもシンプルでわかりやすいものであった。

 答えのわかった今思い返すと、『死』と『恋愛』の関係を尊重する彼女が、死者の願いを叶えんとするのはとてもに落ちる。当然の帰結だった。

 ここで言う『死』は東洞スミカを降霊している田端さんであり、『恋愛』は消去法で僕になる。

 なるほどたしかに、田端ミレンが僕に告白してきた理由も納得だ。それこそが東洞スミカの未練――生前叶わなかった願いを実現する第一歩だったのだから。


 僕と恋をする。

 それが、東洞スミカの未練だ。


 死別してもなお残った想い。否、死んだからこそ生まれた願いとでも言うべきか。

 『死』が絡んだ恋愛観を持つ田端ミレンが、その身を差し出したのはおかしいことじゃない。


 僕が考えなければならないのは、東洞スミカとの向き合い方だ。

 器である田端さんとの距離感といってもいい。

 僕が田端さんを本気で好きになり、自分の胸から白い線が伸びたとき。彼女のなかからスミカは消えるだろう。

 しかし、それがどれだけ難しいことか。

 スミカの飛び降り自殺をトリガーに、僕のみえる世界は一変してしまった。白状してしまうと、恋愛ほどつまらない世界はない、というのが本心である。

 この目が示す恋心はどれももろくて、ウソに塗れている。どんなに濃くてもすぐに切れる。可視化された想いの線は、現実の残酷さを、人々の醜悪さを浮かび上がらせる。素直に誰かを好きになるのだって、今の僕には不可能なのかもしれない。


 すべては、僕にかかっているのだ。

 田端さんが抱いている『みえない恋心』。それは紛れもなくスミカのものだ。線として捉えられないだけで、想いだけは本物。つまり向こうの条件はクリアされている。あとは、僕が田端さんを――その奥の東洞スミカを――本気で好きになれるかどうか。


 すぐに決められることではない。偏った見え方がそうそう定まることもない。

 迷っている。どう接したらいいのか、悩んでいる。

 スミカでもある田端ミレンを、僕はどう思っているのだろうか。好きに、なれるだろうか。



「お味はいかがですか?」


 田端さんの言葉で、僕は我に返った。


「え、ああ、うん。この暑さには最適だね」


 午後四時過ぎ。

 場所は変わって、屋台の並ぶ一画。なかでも一際大きい海の家。遊び疲れ荷物番をはじめたふたりと交代し、自由な時間が与えられた僕らは、かき氷で身体を冷やしていた。田端さんがブルーハワイ、僕がメロンだ。

 とはいえ食べ続けるのはきつい。僕はスプーンの手をとめ、店先の通りを眺めた。

 砂浜より一層人々がひしめき合っていて、海水浴というよりお祭りに来ている気分になる。実際、今日はそういう日だったようで、夜は海への入水が禁じられると同時に花火が打ち上がるのだという。

 きっとスミカはこういう時間を望んでいて。だけど現実に耐えきれなくて、命を絶ったのだろう。そう思うと、胸の奥がずきりと痛んだ。スミカを裏切っているような、もしくは田端さんをないがしろにしているような、そんな気さえする。


「……考え事ですか?」


 ささやかな声に、僕は苦笑いして頷いた。

 がつがつ食べて頭痛に顔をしかめる、までが醍醐味のかき氷を、彼女は小さい一口で上品に食べ進めていた。今も溶けるのをお構いなしに、僕へと耳を傾けてくれる。仕草はどこを切り取っても田端ミレンのもので、スミカの気配はない。ふと気を抜いた途端に目に付く、線の伸びていない現状。違和感――それだけがスミカの証だった。


「彼女のこと、なんでしょうね」

「まあ、ね」

「……」

「……」


 安心感のある沈黙が流れる。再びスプーンとグラスの音が聞こえてくる。油断で胸中を埋めていた僕は、何の気なしに口をひらいた。


「ねえ、ミレン」


 ご要望どおり名前を呼んでみる。ぱちりと目が合ったのは、なにも変わらない至って普通の顔。引き結んだ口元も、涼やかな目元も変わらない。だけど、仄かに頬は色づいている。そっちから提案しておいて、この呼び方に慣れていないらしい。

 僕はみつめてくる彼女に尋ねる。


「僕は、君を好きになれるだろうか」


 暗めの前髪が揺れて、長いまつげが揺らぐ。

 葛藤のようなものを感じ取り、眉をひそめる。だけど問い詰める勇気もなくて、黙って待つ。

 やがて、彼女の表情は吹っ切れたようにすっきりして。スプーンを置き、ぽつりと落ち着いた声が返事をした。


「なれますよ、きっと。私はそう願っています」

……」

「はい。東洞スミカとしてではなく、ただのミレンとして、私はあなたに好かれることを望んでいる」


 だけど、ミレンは今も恋をしていない。

 そう反論しようとしたもうひとりの自分を、理性が押しとどめる。優しげで儚い微笑みが、続く言葉を濁らせた。


「食べ終わったら、すこし歩きませんか」

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